みやちゃん

みやちゃんは、中2のおわりに転校してきた子だった。

クラスが一緒になったと思ったらほとんど話さないうちにクラス替えになって、一学年が8クラスもあるうちの学校では中3の1年でかかわることもないまま卒業しちゃうんだろうな、と思ったら、また同じクラスになったうえに隣の席になった。

みやちゃんはソフトボール部、私は文芸部で、趣味も全然違い、家だってほとんど逆方向だったが、部活のない日はお互いの家を結ぶ線のちょうど真ん中あたりにある公園まで歩いていき、そこでしばらくおしゃべりして各々家に帰るというのが習慣になっていた。
終業式のあと、何やらいろいろと分厚いテキストを持たされてひいひい言いながら私とみやちゃんは公園へ向かった。
取っ手のちぎれそうな鞄をドサリとおろして、みやちゃんはブランコに座った。
「あちー!何これ、座るとこやけてんの!」
隣のブランコの座面に触れてみると、なるほどジュウと音がしそうに熱い。
みやちゃんはスカートを短くしているから太ももの裏が直に当たってしまうようだ。
私は全く短くしていないし、制服を買ったときからほとんど背が伸びていないからブランコに座ると裾が地面に擦りそうなほどだ。
途中の自販機で買ったコーラはもうぬるくなりかけていた。

ときどきいやに大きくなる蝉の声に負けじと声を張ったりしながらお互いの夏休みの過ごし方を話していると、みやちゃんが急に神妙な顔をした。
「幽霊ってさあ、いつも同じ顔やんなあ?」
何の話だろう。
訝っていると、みやちゃんはこんな話をした。
「いつもな、部活のあるときは一緒に帰れへんやんか。あたしの家の方行くとき、途中に線路あるのわかる?」
市内の地図はだいたい思い浮かぶので、何となくあのへんのことだとはわかる。
「その脇にな、いつも誰かおってん」
住宅街だが、人がいておかしいような場所なのだろうか。
「いつも同じ位置なんよ。違う人やのに。いつも違う人が、おんなじ場所に立ってるんよ」
気持ち悪いが、それがどうして幽霊の話になるのだろう。
「おっさんやったりおばさんやったり子供やったりするけど、昨日立ってたのが、」
みやちゃんは急に泣きそうな顔になって私の目を見る。
「私やったんよ」

急に寒気を感じて背後を振り向く。もちろん誰もいない。
「ねえ何急に!やめてよもう!」
みやちゃんは泣き笑いのような顔で私の制服の肩にぎゅうとしがみついた。
冗談を言ったわけではないようだ。
「みやちゃんて、幽霊見える人なの?」
「知らんよ、あれ幽霊っていうんかな。幽霊てずっと死んだときの姿なん違うの?なんでいろんな人の姿になんの?」
<それ>がみやちゃんの姿をしていたことで、みやちゃんはいつもそこにいる<それ>がその時々で別のものなのではなく、同じものがさまざまな人の姿をとっている一つの何かだと考えたようだ。
蝉が妙に静かになっている。
ミンミンうるさいやつが黙って、かわりにシイシイいうやつが鳴いている。
「夏休みになったら一緒に帰らんから向こうの道通るし・・・なんであたしなん・・・あした誰になっとるんかこわい・・・」
昨日<それ>がみやちゃんの姿をして現れるまでは、幽霊か何かだと確信はしていなかったし、たとえ幽霊だとしても害はないから平気だと思っていたのだという。
しかし<それ>がみやちゃんの姿になったということは、みやちゃんが<それ>に認識されてしまったということだ。
「こわい・・・」
さっきまで威勢よく暑さに文句を言っていたみやちゃんが嘘のように震えている。
太陽の勢いはまだ衰えていない。
「遠回りだけどこっちの道通ってくれば?そしたら線路の方通らなくていいでしょ」
いつも同じ位置に立っていると言っていた。
それなら、そこに近づかなければいいだけのことだ。
「おった・・・」
「え?」
「さっき学校出るとき、るりちゃんの家の方の道にあたしがおった!!!」

私はしゃくりあげながら鞄を開けると、煉瓦のようなテキストにつぶされてくしゃくしゃになった部活動の予定表を引っ張り出してみやちゃんのと照らし合わせ、一緒に帰れる日に○をつけた。

それからは、一人で帰るときはできるだけ周りを見ないように全力で走って、みやちゃんと帰るときにはいつものように公園まで来て話し込み、帰るときにはお互い意を決してせーので逆方向に疾走した。
その甲斐あってか、みやちゃんも私も、卒業するまで一度も<それ>に遭うことはなかった。

その頃は中学生が携帯を持たせてもらえるような時代ではなくて、別々の高校に進学する私とみやちゃんは、卒業式で固く抱き合ったりした割にあっさりと連絡を取らなくなった。
同じ市内だし、そのうち会えるでしょ、なんて思っていたように思う。

つい先日、SNSでみやちゃんを見つけ、友達申請をすると飛びつくような勢いで返事が来た。
あれよあれよという間に会おう、いつ会う、どこで会うと話が進み、あの公園で会う約束をした。

約束の日に公園に行くと、あのブランコは座面がゴムのものに変わり、時計や新しい遊具が設置されていた。
それでも懐かしい気分になって、ひとりブランコに揺られてみる。
夏休みの時期だというのに子どもが一人も遊んでいない。現代っ子はクーラーの効いた部屋でゲームだろうか。

時計を見つめていると、約束の時間ぴったりにみやちゃんは現れた。
短い髪や明るくてはじけそうな笑顔は変わっていなくて、あの頃は絶対にはかなかったであろうロングスカートをはいていた。
「るりちゃん!」
「いやーみやちゃん!久しぶり!」
悲鳴みたいな声を上げて、二人で手を取り合ってはしゃいだ。

みやちゃんは進学先の高校でもソフトボールを続けるつもりだったが、何やらややこしい事情で入学した年に廃部になってしまい、仕方なく入ったバレーボール部で主将になり、インターハイで優勝したのだという。
今は東北の高校でバレーボールを教えており、昨日から久々に実家に帰ったとのことだ。
もともとの関西弁に東北訛りが混じっておかしなことになっていると何か喋るたびに家族につつかれて辟易しているらしい。
私はというと実家を離れ、都内の図書館で司書をしている。
「へえー司書ぉ。文芸部からショシカンテツやね」
「初志貫徹って漢字で書ける?」
「書けない!」
何を話しても、あの頃と同じに笑いあえるのが嬉しい。

「相変わらずお互いタイプ違うなあ。変わってない」
笑いすぎて荒れた息を整えながらみやちゃんが言った。
「平行線だね」
「さすがうまいこと言うわあ。
・・・なあ、平行線て言えばな」
みやちゃんはあの日と同じ神妙な顔になった。
「幽霊見たって言ったやん」
「うん」
冷えた汗が一筋、背中を伝った。
「あれ、嘘やの」
まなじりが裂けそうに眼を見開いて思わず叫んだ。
「嘘!」
「うん、嘘」
「なんだあ、わたし実家くるたび怯えてたのにー・・・」
みやちゃんは照れたようにうつむいている。
「あんな、あたし転校してきたとき、席離れてたやんか」
みやちゃんは最前列の廊下側、私は最後列の窓側だった。
「話せへんかったけど、あたしの目の前、学級文庫の棚あって、そこに文芸部の雑誌みたいなんあって」
文芸部は毎年秋になると作品を持ち寄り、印刷して冊子にしたものを図書室と各クラスの学級文庫に配置していた。
その先を予想して顔が熱くなる。
「いやだ、まさか」
「読んでん」
「いやだああ」
私は両手の中に顔を沈める。
学級文庫なんてうちのクラスは誰も読まないから大丈夫と思っていた。読むとすればきっと別のクラスの私を知らない誰かだろうと。
それがまさか、よりにもよって、みやちゃんに読まれていたなんて。
「私すっごい夢つめこんでた・・・」
「うん、ほんと夢みたいやった」
みやちゃんが私の手を顔から剥がしてぎゅっと握る。
「中3なってまた同じクラスで隣の席になれたとき、えらい嬉しかった。るりちゃんと仲良うなれて嬉しかった。
でも平行線やから、るりちゃんの夢ん中に、あたし入りこめんでさみしかった」
確かにみやちゃんと話すとき、私の空想の世界のことなんて活発な子には理解されないだろうと思ってそういう話題は避けていた。
「それならあたしの物語ん中に引きずりこんだろと思って。
あたし怪談話なんでか得意やったから、色々読んで勉強して、るりちゃんにあの話したんよ」
文芸誌を読まれた恥ずかしさが、いつの間にか違う照れにかわっていた。
「夏休みは会えへんと思ってたから、一緒に帰れて嬉しかったあ」
お互い顔を真っ赤にして見つめあう。
私はもう言葉が出ない。

「ああ、顔熱っ!なんであたしらずっと公園おるんやろね、大人やのにね」
学校から家までの唯一の寄り道がこの公園だったあの頃とは違い、今なら駅前の喫茶店にも隣駅の繁華街にも、なんなら東京にだって出られる。
「そうだね。でも、今日はもうお互い実家にまっすぐ帰らない?」
私の提案の意図を察してくれたようで、みやちゃんはにやりとして言った。
「『せーの』で!」

少し日が傾きかけているが、暑さは少しも緩む様子を見せない。
公園の入り口で、どちらからともなく手を取った。
「明日は学校で待ち合わせしてみない?それで、家の方でも公園の方でもない道に行くの。寄り道みたいに」
「ええね」
まるであの頃の夏休みに戻ったみたいだ。
「じゃあ、いくよ。せーの!」

お互いに背を向けて駆け出す。
あの頃はもっと軽く走れたんだけどな。運動靴じゃないせいもあるけど、なんだか走り方がぎこちなくて可笑しくなってくる。
みやちゃんの方を振り返ると、もう随分遠くに行っていて、曲がり角に消えようとしているところだった。
みやちゃんがこちらに気付いて大きく手を振ってくれた。私も手を振り返し、まっすぐに家を目指した。

もうみやちゃんの姿が見えなくなったのだから走らなくたっていいのに、私はなぜか足を止められないでいた。
あの頃は家まで一度も止まらずに走って帰れたのだ。苦しいけれど、もうちょっとだけ頑張ってみたい。
明日は筋肉痛で全身が痛くなるだろう。今も運動を続けているみやちゃんには笑われるかな。
たぶん顔がにやけているのだろう、すれ違う人に怪訝な顔をされた。

やっと実家が見えてきた。
もう足がうまく上がらない。

玄関の前に誰かいる。母だろうか。今日は出かけないと言っていたけれど。
それが誰なのかわかって、私は足を止めた。

玄関の前に、私が背を向けて立っていた。



※フィクションです。

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