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あの日のキミへ

おはよう。まる。
私は、今第二の人生を歩んでいます。

え?

何言ってんの?

今のキミはそう思うよね。

物理的には死んでいない。でも感覚的に今の自分は第二の自分なんです。
今日はそんなあの日のキミへ20歳の「市丸 裕也」の人生を少し開示します。

最近周囲に言われるんです。
キラキラしてるね。(私とは違って)
ワクワクしてる。(いいな)
恵まれているからいいね。(私の気持ちは分からないでしょ?)

否定する気はありません。
恵まれていて幸せ。
それは自分がそう思うように、そうなるように、少しづつ築いてきたから。

でも、そんなまるにも暗黒時代はありました。
それは小学5年生の頃。クラブ活動でのこと。

まずは、まるの小学時代についてお話しします。
兄がいて年上と遊ぶことも多く、習い事も将棋・和太鼓・空手・水泳。
野球大好きな野球少年。ドッジボールが大の得意。学級委員。
運動も勉強もそこそこできる。毎日放課後遊んで回る。

そんなまるが小学5年生。2つ上の兄が卒業してからのこと。
クラブ活動で野球を志望していたが、人気で昨年野球クラブだったため譲ることに。
そして友人と入ったクラブが唯一定員割れしていた「相撲クラブ」
でも、その時は「不満」ではなくてこの友達となら何しても楽しいだろうと思っていました。

しかし、突然人生が狂った。あの日から。
クラブ活動中に先生の指導通りにぶつかっていって全身の力が抜けた。
「大丈夫だろ」そう言われながらも初めて自分から保健室に行った。
その時は湿布を貼られて終わった。

その日、たまたま怪我していた足の通院で整形外科に。
腰を見てもらうと骨が欠けていてそれが砂山のように骨がなくなるかもしれないという診断だった。その後に、椎間板に欠けた骨が当たっていることも発覚した。

アドレナリンが出ていたのだろう。
そこから全身が痺れて長時間座ることも出来なくなった。
大好きな友達との遊び。大好きな野球。大好きな学校。
あの日、全てを奪われた。

大袈裟に聞こえるかもしれない。
でも、中学野球部を目指していて甲子園やプロ野球選手を目指していた自分からドクターストップで「運動」が奪われた。それは精神的に応えた。

椅子に長時間座ることができなくなり、授業も受けることができなくなった。
でも、少しでも受けたかった。みんなと遊びたかった。
無理をすればするほど、みんなには分かってもらえなかった。
足や手の骨折と違い目に見えないから小学生には分からなくても当たり前だろう。
でも、先生にも分かってもらえなかった。
行きたかったけど決断して休むことを決めた合宿も
「今、行かなかったら同窓会で一人になる。それでもいいのか!?」
嫌だ。でも、仕方なく…
小学生なりに決断したのにわかってもらえなかった。

先生も分かってくれないので生徒もますます分からない。
階段を登れないまるに無理に登れという。
ずる休みだろという。

小学6年生の春。最後の体育祭。
最後だからと見学席で着る学校に置いていた体操服を親が取りに行った。
最後だから洗濯した綺麗な状態で着て欲しかったのだろう。
帰宅した親は衝撃を受けていた。
体操服がハサミで切られていたのだ。
このクラスは事件が多かった。
女子生徒の机の引き出しに座ったら刺さるようにハサミが入っていたりしたこともあった。

あんなに好きだった大人が。あんなに好きだった友達が。
あんなに好きだった学校が。
全部全部体が拒絶するようになった。
全身から蕁麻疹がでた。今でも残っている。コンプレックス。

ここから身体的だけでなく、精神的に追い詰められ学校に行けなくなった。
今の自分からしたら大したことないようにも思えるが、あの頃の自分からしたら虚無感が凄かった。

あの日に戻ることはできない。あの日すべてを奪われた。

小学6年生の秋。修学旅行一週間前。
たまたま事情を分かってくれた小学1年生の時の担任の先生のクラスに転校をすることに。
そのクラスでは腰のことを理解してくれてランドセルが持てない自分のために毎朝荷物を取りに来てくれた。遊んでくれた。
転校先でこんなにも違うんだと感じた。
あの時支えてくれた人たちには感謝しきれない。

そんなある日、小中連携事業で中学の生徒会の先輩が中学の説明に来た。
そこにいた一人の先輩が大きく人生を変えた。
その先輩は真面目に話していたのにオーラが違った。
みんなが大爆笑していた。真面目に話しているのに。
初めて「かっこいい」と思えた。

その日からまるはあの先輩と友達になると言い始めた。
転校先で生徒会選挙に出た。結果は落選。
しかし、生徒会には入れて先輩から声をかけてもらえた。
パズドラという共通の話題で仲良くなった。
毎日先輩のもとで仕事を見させてもらった。
すると北九州青年会議所が行っていた青少年育成事業に先輩が行っていてそれに行かないかと誘われた。

先輩がしていることなら!と活動内容も知らずに参加した。
そこで班長になり、一年間活動した。

ここで、今までの自分は変わった。
運動大好きで遊んでばっかりだった「ゆうや」は活動大好きの今の「まる」になった。

そこからの活動はInstagramに掲載している。

今の自分があるのはこのすべての出来事のおかげ。
身体的・精神的な苦しみを知らなかったら寄り添える人にならなかっただろう。
もしかしたら傷つけていたかもしれない。
あの時、先輩に出会わなかったら活動はしていないだろう。
その1つ1つの「運命」を今になって感じる。

あの日のキミへ
自分を表現しようともがき続けた
あの頃は自信なんて持てなかった
周りの世界が怖かった
だけど、今は前を向けたから大丈夫 大丈夫 そのままでいい
 ありのままのキミが素敵さ もう1歩 もう一歩踏み出して
受け入れていくるはず
キミの進む道は楽ではないけどすべてうまくいく
辛くても悲しくても前を向いて
キミの頑張りが今の僕をつくる ありがとう

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