頑張らずに頑張ったら楽だった

最近、「好きを仕事に」みたいな言葉をよく目にする。

サラリーマンからの脱却的な意味で捉えてる人が多くいる気もするけど、実は全然違ったりするって話を今日はしたい。

「好きを仕事に」と言われて思い浮かべるのはやっぱりYouTubeだと思う。
動画投稿でお金稼ぎができる!なんて夢のような話だし、趣味の動画をたくさんの人に見てもらえたら自分も嬉しいんじゃなかろうか?

ただ、知っての通り動画投稿って撮影だけじゃなくて編集する時間も必要だったりして、これがかなり面倒くさい。かくいう自分も高校3年生の終わりごろにYouTuber目指して動画を投稿していた時期があった。3ヶ月くらいやってアップロードできたのはたったの5本。ただ、収益化までの難易度が今とは全然違っていて、当時は5本の動画の総再生数が500回くらいでも100円ほどもらえていた。

あの時動画投稿を辞めずに続けていたら今頃ちょっとお金持ちになっていたのかもしれない。だけど、動画作りにかかる労力に対してのリターンがその当時は全然見合ってなくて(そう感じて)辞めてしまった。

何はともあれ動画投稿は「頑張らないと」続けられなかったわけで、今でもあんまりやろうとは思わない。

人って本当に単純で、好きなことを、好きなタイミングで、好きなようにやっていれば全然苦にならない生き物なんだそうな。

あなたの趣味を思い浮かべて欲しいんだけど、そんなたいそうな趣味じゃなくても全然良くて、例えば友達と飲みに行くとか、テレビゲームをするだとか、週末にキャンプに行くだとか、そういう時間って別に頑張ろうと思わなくても自然とできている。

人によっては、誰かと飲み行くことだって「頑張ること」の対象だし、ゲームをすることだって「頑張らないと」続けられない人が多い(スマホゲーとか)。

「頑張る」ってことは自分にとってストレスを感じるってこと

ストレスを自ら向かって得ようとするなんて、美味しくないお弁当をわざわざスーパーで買うようなもの。もはや罰ゲーム。

ここで「好きを仕事にする」って考えて欲しいんだけど、これは本当にサラリーマン生活からの脱却なのだろうか?

人によってはサラリーマン生活があっている場合もあって、僕なんかは本当にそうなんだけど、自分で自分を律することがあまり得意じゃないんですよね。フリーランスとか自営業の人って全部自分で決めて、自分をうまくコントロールしてやり切らないといけない。

そんな生活は「理想」であっても「好きなこと」では全然ない。

僕は今会社に属していて、毎日出社して、お仕事して、その見返りとしてサラリーをもらっている。ちなみにエンジニアなんだけど、技術が好きだらやっているわけじゃなくて、サービスが好きだからそれを実現できる「プログラミング」に興味があるってだけ。そんな理由でも毎日楽しく働いているし、月末には振り込まれてくるお給料をしっぽをフリフリして待ってるし、同期や先輩とご飯や飲みに行くのが楽しくて仕方ない。

「好きを仕事にする」って実はそんなに大したことじゃなくて、別にフリーランスにならなくていいし、「頑張らずに頑張れること」に出会ったら十分なのではなかろうか?

明日からまた仕事だ。頑張ろう^^

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?