髪を切った私に、違う人みたいと

  



偽名を使ったことはありますか。 

私は、あります。 




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ここ10年ほど、どうにも髪を切れない。 

正確に言うと鎖骨より短くすることができない。


美容院に向かう前、ファッション誌のなかバツっと切った短い髪にハツラツとした笑顔の太陽みたいな女性たちをみて「かっこいいなぁ」と思い、こういうのもいいよねと参考用に画像を保存しておくものの

いざ鏡の前に座り自分の姿を見据えると、それらの気持ちはふっとんで「痛んでるところ3cmくらい切ってください」と日和ったことを言う。



 すがってるなぁ、と思う。



理由は自分でもうっすらわかっていて、なんとなく、長い髪が自分の唯一の女らしさである感じがしているのだ。 

こんなに女性らしい魅力がなくて、髪まで切ったら誰かに好きになってもらうことができないんじゃないかと思ってしまう。 

今以上に相手にされなくなったらそれはちょっとしんどいだろ、やめとけやめとけ、と思う。 


だから街中でショートカットの女の子をみると、眩しくてワッ!となる。 かわいい、おしゃれ、そして何よりその心意気がイイ。 

そんなものに頼らなくても、というよりそんなものに頼るという発想自体がないと感じさせる颯爽として自信にあふれたシルエットはすばらしくかっこいい。


私の方はというと、それでいて美容院でケープを脱ぎながら「3cmしか切ってないのに1万円かぁ」とか考えてしまっているのだから本当にどうしようもない。 


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20代前半

重んじられたい、と思うことがよくあった。


誰かの「椅子足りないね」の言葉で椅子を取りに走るとき、 自分の予定は訊かれずに参加予定の打ち合わせが入るとき、 CCが漏れていて「すみません、私その連絡、来てません」とおずおず手をあげるとき、買い出しの立て替えで地味に家計が切迫するとき、電車で列に横入りされるのにうっかり前のひとの靴のかかとを踏んでしまったときにはシッカリ睨みつけられるとき

仕方ないこととわかっていながらも昼間デスクでひとりご飯を食べながら、夜中布団にくるまりながら

誰かに重んじられたいな、と思う。

それはほとんど、気にかけられたいに近い。 


雑用のあと、「ありがとう」の後ろに「助かったよ」なんてつけられた日にはこっちこそ助かった心持ちだった。



そんなさなか、2番目の姉の挙式でハワイにいった。



滞在する5日間、 1番目の姉は旦那さんと子どもと一緒に楽しみ 

新婦である姉はもちろんハネムーンを兼ねて新郎と日々を過ごし 

両親もひさびさの海外、2人で羽をのばしてもらいたかったので私は誰の邪魔もしないように、ひたすら1人で出歩いた。 


浮かれた父からあてがわれた家族お揃いのアロハシャツを着て 

ホテルのプールにぷかぷか浮かんだり、いかにも海外といった甘さのスプリンクルまみれのアイスを食べたり、近所のスーパーに行ってみたことのない食材を買ってみたり、かじりかけの一眼レフで町の写真を撮ってまわったりX-MENの新作を観に行ったりした。

 


異国という環境も手伝い、圧倒的にひとりだったけれど大丈夫大丈夫、私は私のやることを頑張ればいいし、今も今で楽しいしと予定をたてては出かけて日々を充実させていたら3日目、思いっきり携帯電話をバスに置き忘れた。 


GoogleMapという案内人を失ったため、地図を頼りにおろおろとホテルに戻ってフロントでバス会社に取りついでもらって受け取りの手続きをし、父に報告すると「海外まで来て、しかもお祝いの場で人様に迷惑かけるんじゃない!」と叱られる。


アロハシャツを着て人に叱られたことがありますか。あれはひどくみじめです。



翌日、やっと戻ってきた携帯を「やばいやばい」とwi-fiにつなぐと仕事のメールは3、4通しか貯まっていなかったりで何ひとつやばくはなく、これまた感傷を加速させた。



4日目の夜、私ってやつは…とホテルの前の砂浜をさくさく歩いていたら同室だった母が、帰りが遅いのを心配してむかえにきた。 

強がって「すぐ戻るから」と言って先に帰ってもらったが、ちょっとうれしかった。



式の翌日、ひさしぶりに3姉妹だけでご飯を食べた。 

いちばん恋愛体質であった1番目の姉に、結婚するのってどんな気持ちだった?と尋ねると 

「もうほかの人と恋愛はできないんだなと思うと名残おしいのもあったけど 幸せだし、これでもう“自分で自分を養う”っていうむなしさと“誰かに好きになってもらわないと”っていう焦りみたいなのが消える、っていうのはうれしかったかな」と笑う。





姉はふたりとも、髪が短い。


それでも私は、髪を切れない。 

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ハワイから帰って、友人との待ち合わせのためにコリドー街を通っていた時のことだった。


都内随一のナンパスポットであるこの通りではサラリーマンの集団にまじり、声をかけたい男性とかけられたい女の子とがそこここで意味深に目線を送りあっていて街全体がちょっと浮足立っている。 


私も例にもれず、さっきまで別の女の子に声をかけていたであろう人に声をかけていただき

いつもだったら手刀を切って通り過ぎるところを物寂しさも手伝って「せっかく私などに声をかけてくれたし」と、いじけた理屈で待ち合わせの時間まで1杯だけ飲みに行くことにした。 


余談だがコリドー街では、なぜか声をかける時点で会社の名刺をくれる人たちがいる。この時もそうで、名刺には査定の資格についての記入があった。 これはおそらくナンパ競争のあるこの界隈独自の文化なのではないかと思う。

 

すぐ近くのビアスタンドに入って、名前を訊かれたとき

もう一生会わないだろうというのと、なんとなく自分ではない人としてそこにいたくて

我ながらよくわからないけど、嘘の名前を言った。 昔読んだ小説の登場人物だった。 


口から出た瞬間、ものすごい罪悪感で「あぁしまったな」とすぐに後悔したけど、いまのはウソです!というのもヘンなのでそのまま通した。自己紹介を間違える人なんていない。


席に座った15分の間、その人は「資産として買うなら絶対絵画や宝石よりロレックス」という旨の話をしていた。

あれっコレもしかしてロレックス買わされるのかなと思ったらそんなことはなくひたすらロレックスの価値の普遍性について語られ、ロレックスってすごいんですね、やっぱり最終的にはロレックスですね、とロレックスの形もよく思い出せないまま相槌を打ち続け、ビールを1杯だけ飲んで別れた。


「○○ちゃん、アリガトー!」と相手の口から改めて吐き出されるその名前をきいて、その子はバスに携帯忘れたりしないだろうなと思った。 

名刺までくれたのにごめんなさい、と心の中で謝りながらその場をあとにする。



いまでもロレックスという言葉を聞くとあのときコリドー街で、自分ではない誰かとして過ごした15分間を思い出す。 


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私の名前には、「希」の字が入る。 字を尋ねられたら「希望の“キ”です」と答えるのが常でその都度、両親の込めてくれた願いも感じる。




希望もへったくれもない時期もあったし、今でも不釣り合いな名前だなと思うけど気に入ってはいて

いつかこの名前もしっくりくるようになったら、この執着のかたまりみたいな髪をバッサリ切れる気がする。


ハワイにもいつか、もっかい行きたいなと思う。



それですぐエクステとか付けてたらそのときは、笑ってやってください。


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