「テクノロジーと文化による仕事観の変革」
株式会社は近代に発明された。みなさんご存知のオランダ東インド会社である。ちなみに世界最古の企業は宮大工集団の金剛組である。
法人は、相続税も発生しないし有限責任で破壊力がある仕組みであるが、強い人格なので最終的には人間(社長でも)が企業に依存することになる。たとえば、2-3人ぐらいで立ち上げた会社が、大きい会社からの出資を受け入れてでかくなろうとした際に、創業メンバーがいなくなるのはよくあることである。創業期の経営者の仕事は、大概にして仕事や資金を取ってくることであり、その後は、経営資源の配分方法やら大枠のことになり役目の比重が変わることもあるので、当然と言えば当然だろう。まあそういう創業が好きな人は次のことを見つけて何かやりはじめる。
ただ、その法人で蓄積した仕事が、個人ではなく法人に信頼として残る。バンドで言えば相対性理論から脱退した真部氏が、脱退後に思ったほど自分のブランドが残らず、人が引いていったと述べていた。創業だけで抜けるのもいいんだが、創業者に何か還元がないと、ドル箱期間に利益を分配されずにしんどい。
だから、法人を立てる際に出資するなどして株を持っておくなどが行われる。
法人は個人を守るツールでもあるが、優先度は法人にあって、個人はあくまで法人の取替え可能なパーツとなる(そういう新陳代謝が企業活動の永続性を生み出してもいる、ただ会社の寿命も短くなってきた)。昔ドキュメンタリーで見たが、現在のGUCCIは、GUCCI家の人がいない。株式総会で一族が追い出されたからである。その後、GUCCI一族が新たにブランドを立ち上げたのだが、すでにGUCCIの名前を自分たちのブランドには使えない。一族はGUCCIの店舗の前を通り過ぎるたびに苦渋を味わっているという話だった。
他の例で言えば、イトイ新聞ともなるとさすがに、糸井重里氏は交換不可能になってしまうのだが、そこを株式公開で、会社のオーナーを公募して複数人にすることで残していこうとしている。しかもオーナーは次々に入れ替わる。株式会社の中でも上場することは誰でも株が買えるようにするということだが、なかなかの手法である。株主総会はオーナーが集まる会だが、オーナーの質で会社の経営の質が変わる。利益優先の株主が多ければそうなるし、理念を大事にしてほしいという株主の集まりなら会社はそういう方向へ行く。現代日本で後者は少なそうだが、倫理観が違う文化圏ならありえなくもない。
現状の経済活動では、個々人でやれることよりも集団でやったことのほうがインパクトが大きいことがあり、必然的に法人が増えて行くわけであるが、別に法人じゃなくてもいいんじゃねえか、と思うことも多い。信頼の蓄積に関しては、インターネットアカウントが信頼の蓄積として法人よりも強くなったり、これは法人とは直接関係ないが、経理とか中間部門をアプリで簡易にできるようになってきている。個人でもやりきれる自由度が高まると良い。
友人で、1人でWebサービスを立ち上げて社員を雇わず1人で1億円ぐらいの利益に近づいている一人社長をやっている人物がいる。激しく目立つことはないが、そういうやり方は平和でいい。もっとも、そういうことを教えてくれる人はあまりいない。人を雇用して人数を増やしたほうがすごそうな感じもするし「雇用の創出」が重要視される社会でもあるからだ。仲間が増えるということを好む経営者も多い。経営者は孤独なのでついつい仲間を増やしたがるし、実際フリーランスの集合体でプロジェクトごとに集まって解散するというやり方は手間が多い面もある。
インターネットテクノロジーが目指していたと思われる方向性は独立した個人がその都度協力してプロジェクトを進めて行くという話だったのだが、グローバル戦では力技が強いので巨大企業同士の戦いに巻き来れざるを得ない。
ただ、思うのはCOVID-19による打撃は最初に個人事業主や零細企業を直撃し、次に大きめの企業が打撃を受ける。その後広範囲な落ち込みが発生した後は、個人サイズの仕事が復調を担うのではないかと思う。戦後にいち早く立ち上がったのは闇市だった。その後の展開では、荒くれた猛者が一気に現在の大企業を創設していったのだが、全体として環境変化に対応していく萌芽を生むのは小さいサイズの仕事だろう。一説には大都市東京で生まれた新ビジネスは、コンサルと宅急便だけで、他はビジネスの原型は別の地方から生まれているという。
このようなレジリエンス(環境変化に対する弾力性)を社会的に担保するには、個人サイズの日常的な起業が鍵になる。私の代表的肩書は仕事づくりレーベル「ナリワイ」代表ということになっているが、今後も個人のための仕事の形を開発しつつ、いかにして文化として定着させられるかを追求していきたい。野良着メーカーSAGYOも、3名でやっている長いプロジェクトだが、3人だけの仕事ではなく他の人に仕事をつくるためでもある。主にお店をやっている人が販売会を仕事として企画してくれているが、それ以外にも兼業で行商人をやりたい人には個人でも販売会を開ける仕組みにしている。農閑期に野良着を売る仕事もやる、というのが面白いと思っているからである。
個人研究課題としては、地味だがボランタリーチェーンなどの仕組みに関心がある。具体的には「力餅」などのれんわけ定食屋、「赤帽」、「山崎デイリーストア」などの仕入れだけを共有するような仕組みである。
デジタルテクノロジーの方向性は個人のできることを増やすのに向かってもいたわけだし、COIVID-19によるグローバリズム反動現象に対応するためにも。今日は俳句ではなく、絵にしてみた。ゴリラの絵である。人類はどこに行くのか、霊長類を見て我がふりを見直す時期だと思う。
ここから先は
¥ 300
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?