ポカポカコインランドリー2018

大手メーカーに勤務する小学校からの友人がいる。どうやら営業でトップクラスの成績を残してるらしい彼に、洗濯機を安く買えないものか、前々から折り入ってお願いをしているのだが、なかなかお目当ての洗濯機を社販価格で買えるタイミングが来ない。

ってなわけで半年以上も洗濯機のない生活を続けているのだが、それはすなわちコインランドリーへ通う生活が必然的に続いてるということになる。


引退したとは言え、ボールを蹴る頻度がそれなりにあるから、洗濯物の量はなかなか多くて、大体2台の洗濯機を回して2台の乾燥機で乾かす。
ランドリーの場所によるけど、大体1000円から2000円ほどの費用が1回にかかっていて、早く洗濯機が自宅にほしい。

費用よりも時間のところでロスするのも大きく、洗濯物をカバンに詰め、バイクでランドリーを目指し、お札を硬貨に両替してから洗濯機を回して、乾燥機にかけ、畳んでからカバンに詰め直し、家に帰ってタンスにしまう。。。という一連の流れで、軽く2時間ぐらいは経過してしまう。

洗濯機回してる間に風呂に入ってメシ作って、ほっと一息ついたら取り出して干すなり畳んだりする・・・なんてことができず、最近は家に帰った瞬間ヘトヘトなことが多いから、コインランドリーに通う今がそれなりにしんどい。


でも、マイナスばかりじゃないランドリーライフ

お金も時間も体力も削るコインランドラーとしての毎日だけど、悪いことばかりではない。
なんとなくモヤモヤする時は良い気分転換になるし、パソコンを持っていって、機械音だけが響く静かな部屋で作業をすると、自宅よりも思いの他捗ったりもする。

「積ん読」してる本が多くなってきたらから、それらを消化するにもちょうどいいぐらいの時間で、溜まっていたレシートを整理して家計簿につけたり、見ようと思ってた海外サッカーのハイライトをまとめて見たり、なんだかんだ有効活用できてるのも事実。

何より、狭い空間を共有する他のコインランドラーたちの身なりや洗濯物を見て、この人はきっとブルーカラーだな、とか、とてもキレイな人だけどなんとなく未亡人っぽい気がするな、とか。勝手な妄想のひろがりは無限大。文句を言いながらもそれなりにこの生活を楽しんでて、友人から洗濯機が届けば通うこともなくなると思うと少しさみしい。


SNS疲れとリアルな体験

最近はiPhoneかPCとにらめっこしてることが多くて、コミュニケーションの多くはキーボード経由か、俺のワールドクラスなフリック入力により行われている。

やることすること大量で、故に直接会ってミーティングとか電話とか、割りかし億劫に感じる今日このごろ。
何か資料作ったり文章書いたりしつつ、並行して多人数とコミニュケーション取ろうとするとこうやる他ないのだけど、そうしたらそうしたらで、やっぱり人と話したくなる。

という慢性的さみしがり男子な俺のキモチも、ときどきコインランドリーは埋めてくれる。


洗濯機が回ってる間、一旦家に帰ったり買い物に行く人もいるけれど、家が微妙な距離にある俺は、大体1時間から2時間はコインランドリーに居座っている。
そうすると他のお客さんが入れ代わり立ち代わりやってくるのだけど、

「洗剤貸してくれませんか」
「雨降りそうですね」
「これ忘れてないですか?」

ウルトラ人見知りな割に、スーパー話しかけられやすいという特性を持つ俺。ただ同じ空間にいるだけで会話がスタートする率は結構高い。

今日もそんな日だった。



なぜビニール袋をくれるのか

「そこで畳むよりこっちの方で畳んだら楽よ」
そう言いながら突如会話を切り出し、空いてる洗濯機のフタを、自分のカバンから取り出したタオルでキレイに拭いてくれるおばあちゃん。
たしかに、乾燥機から取り出した洗濯物を、椅子の上でちまちま畳んでた俺。おばあちゃんが拭いてくれた洗濯機の上を使えばもっと楽に畳めそう。

「こっちの洗濯機はね、200円なの。でも駅の方のお店は400円なのね、でも代わりにお湯で洗ってくれるから・・・」

ありがとうございますと会釈をする俺に、続けざま喋りかけるおばあちゃん。多分、80歳近いのではないだろうか。
小さくなった身体から出る声は同じく小さく、耳を澄ましていないと乾燥機の回転音に掻き消されそうになる。車が通り過ぎれば、もうその言葉は2m先の俺にすら届かない。


それでもぽつりぽつりとなんとなく会話は進んでいって、意味のない世間話は、気がつけば俺の心をポカポカさせてくれている。

「洗濯物たくさんね、持って帰れる?」
あまりにも大量な洋服を畳んでいる俺を気遣ってくれるおばあちゃん、

「これ使って。スーパーで買ったの。たくさん入るからね」
と、ゴミ袋をくれようとする。


たくさんありますけど、家からここまでも運んでこれたので、帰りも大丈夫です。と俺が返すと、

「雨が降ったら大変だからね」
と、ちょっぴり強引に渡された。



多分だけど、おばあちゃんは俺と会話できたのが何より楽しかったんだと思う。
俺が言うようなことじゃないだろうけど、俺だってまあまあ楽しかったんだから、のんびり暮らしているおばあちゃんはもっと楽しかったに違いない。

きっとゴミ袋も、本当に俺のことを気遣ってくれたというより、何か俺にプレゼントをあげたくなったんだと思う。俺だって飴ちゃんのひとつでもあればあげた気がするから、きっとおばあちゃんも同じ気持ちだ。


人はリアルから離れられない

スマートフォン全盛、SNSは生活の一部となり、Amazonでなんでも家に届くようになった今、もはや誰とも会話せずともそれなりに楽しい毎日を送れると思う。

とはいえ、なんだかんだ現実と仮想空間が切り離されないのは、同じ空気を共にして波長と波長を合わせるコトに、無形の価値が有るからだ。

現実に限りなく近づいてきたVRというテクノロジーはイイ線行ってると思うけど、AIが普及したってVRが生活の一部になったって、人は本能的に人を求める。

きっとそのうち洗濯物をドローンが取りに来て、玄関にクリーニングされたシャツがお届けされる日が来るのだろう。そうなればコインランドリーはこの世から消滅すると思うし、そのころには外に出なくても全てが完結する世の中になるだろう。けど、だからといって生まれてから死ぬまで密室にいるようなことはないはず。



おばあちゃんからビニール袋をもらってポカポカ。
若い男の子にビニール袋をあげてポカポカ。
Amazonから何をもらっても、Uberがどんな美味しい食べ物を運んできても、物欲や食欲以外は満たされない。けれど、おばあちゃんがくれたビニール袋は、五感をフルに使って俺を幸せにしてくれる。

Amazonで漫画や書籍を買いまくってUberとマックデリバリーでお腹を満たしても、わざわざSNSに何かをシェアするようなことはないんだけど、おばあちゃんにもらったビニール袋の話は、めったに使わないnoteを使って、この世に残しておきたいなと思える。

それこそがリアルに生きる価値で、血の通ったコミュニケーションが財産になるという良い例だ。



たかがコインランドリーの話でこんなに膨らませられる俺は、少し疲れているのかもしれない。けれど、今日の体験はなんとなく今後のヒントになりそうだから書き留めておこうと思った。と同時に、メーカーに勤めるYくん。早く俺に洗濯機を送ってくれ。

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