ベオグラードで“マコト“と呼ばれたから、マンガで勝負しようと思えた
出版社を立ち上げて1年と数ヶ月だが、なんでマンガ事業をやることにしたの?という話がやっぱり多い。
その度に
「キャプテン翼が世界中で人気だから、マンガやってる」
みたいな話を、何度も何度も各所でしている。
僕が練習中に長くドリブルをして監督に怒られたことがありました。
『お前はキャプテン翼か?』と。
『キャプテン翼』のアニメでは、翼くんと岬くんがセリフを交わしながら地平線の向こうからドリブルしてくるシーンが数分続くことがあります。
つまりそのくらい長くお前はドリブルしているぞ、という皮肉を言ったわけですね。
言葉もよくわからないリトアニアで日本人の僕が日本のサッカーマンガ『キャプテン翼』を例に出して怒られるってすごいことだなと思いました。
-東洋経済ONLINE-
https://toyokeizai.net/articles/-/254728?page=2
僕がリトアニアでプレーしていたとき、いろんな国のチームメイトがいたんですね。ウクライナ、ロシア、セネガル、ガーナ、そして監督がイタリア人。基本的には英語でコミュニケーションしていたんですが、ある試合で僕は監督から「ドリブルをしすぎる」と注意されたんです。
その時に「お前は『キャプテン翼』か?」と言われたんですね。それを聞いていたチームメイトも、クスクス笑っていたんですよ。
-宇都宮徹壱ウェブマガジン-
https://www.targma.jp/tetsumaga/2018/09/27/post10573/
いろいろな国に行って、日本のマンガの人気を実感していました。特に『キャプテン翼』はブラジルでもヨーロッパでも人気で、『キャプテン翼』に影響されてサッカーを始めた人もいるくらいです。
「サッカーの次に、自分が熱中できる仕事は何か」を考えた時、自然と浮かんだのがマンガでした。
-アントレSTYLE MAGAZINE-
https://entrenet.jp/magazine/19546/
同じような話を、何度も何度もこすっている。とはいえ本当のことなので仕方がない。
ただ、この話を、実際にキャプテン翼の高橋陽一先生にお伝え出来た際には結構感動した。
ある意味、ナカタでもカガワでもなく、ツバサは日本のサッカー選手としては世界で一番有名。
それは世界中アチコチ行ってみて本当に感じたことだし、故にその翼くんを描いた先生に会えたことは、サッカー人として、出版社代表として、様々な角度から嬉しく思った。
逆に、最近は先生に会ってしまったので、キャプテン翼を出汁にベラベラと話しまくっていることが、なんだか申し訳なく感じている。
が、「キャプテン翼か!」と監督に怒られた話(本当はイタリアではオイリー&ベンジー??かなんかなんだけど)はわかりやすく人に伝わりやすいので、今日も初めてのお客さんにはこのネタでアイスブレイクしてる。
なんだけど、実は俺にはもう一個「マンガには可能性がある」というか「日本のカルチャーってすげえ」って思っている話がある。
のだが、こっちの方はいまいちパンチが弱くて、同年代以上の男性にはそこそこ伝わる話だと思うが、伝わらない人も多いので、あんまりすることはない。
だけど、その経験は自分の中ではインパクトはデカくて、作ったコンテンツはそんな風にエライことになっていく可能性がある……というイメージが強く印象付けられている。
それを今日はお伝えしようと思う。
前回のnoteでは結構切実な話をしてしまったから、ここからは前向きに自分のやりたいことにつながる話をたくさんしていくつもり。
冬のベオグラード
2015年の1月から2月。俺はセルビアの首都ベオグラードに居た。
パリで様々な人にプレーを見てもらい、セルビア2部のクラブで、本当に最低限の条件だがプレーできることになった。
そうして契約のサインをしたあとに飛行機でベオグラードに向かったが、なんとその話は機上で破断。
入国した直後に迎えに来るはずの人が迎えに来ず、ベオグラードにひとり、放ったらかされることになってしまった。
ちなみにセルビアはセルボクロアチア語という言語を使う。
英語も満足にしゃべれない上に、さらに意味不明な言語圏に突入し、しかもセルビアなどの旧ユーゴ地域は紛争が絶えないイメージも強く、結構不安いっぱい。かなり怖かったことを覚えている。
当時の代理人には「1回パリに戻っておいで」と言われたが、冬の移籍マーケットはもう締まりかけていて、時間はない。
それに、昔ゼムノビッチさん(清水などで監督を歴任)の本を読んで、「旧ユーゴ圏でサッカーをやってみたら、他の日本人とは違う選手になれるかも」という成長イメージも持っていたし、
ストイコビッチ、オシム、ペトロビッチ……などなど、セルビア(というかユーゴスラビア)のサッカーと日本をかけ合わせたイメージも悪くなく、是が非でもプレーしたいなと思っていた。
「ちょっとだけベオグラードで、自分で動いてみてもいいですか?」
そう代理人に伝え、ひとりぼっちでセルビアのクラブに突入していくことを決めた。ピンチでも粘る。
ちなみにこの後に、テレビでも話題にしてもらった詐欺事件に突入していくんだけど、またそれは別の話。
とにかく疲労困憊だったので、安い宿に連れてってくれとタクシーの運ちゃんにリクエストした。(ちなみにこいつメッチャ良いやつで、未だにFBでたまに連絡する)
が、着いたのは雰囲気の良い感じのゲストハウス。こっちはお金がないので、ボロボロでゴキブリと寝るみたいなところを希望してたつもりだったのに。
なんというか、マンスリーマンションみたいなやつで、結局すぐにゲロ安のドミトリーに引っ越すのだけれど、タクシーの運ちゃんなりに最低限の生活ができるところをおすすめしてくれたのかもしれない。
確かに、設備から比例する相場観から言えば安いと思う。
探したら写真があったが、こんな感じの世界地図が壁にあるオシャレな部屋だった。
部屋は気に入ったが、俺はサッカーをしに来ている。くつろいでる場合ではない。
部屋に居てもしょうがないから、とにかく情報収集だと、街に出た。
「あー戦争してたんだな」とわかる寂しげな空気、あまり嗅いだことのない匂い、お姉さんたちはパリの5倍ぐらい綺麗で、パリの30倍ぐらい危ない雰囲気を動物的に感じ取りながら、街を探索した。
ただ、セルビアはめちゃくちゃ冬で、めちゃくちゃ寒かった。
とりあえず外に出たがすぐにギブアップ。時間も結構遅くだったように思う。
すぐにゲストハウスに戻ると、受付のコワモテのお兄ちゃんが話しかけてきた。
「日本人か?」
タトゥーだらけのクマみたいな奴に話しかけられ、こりゃケンカしたら40000%無理だわ、と速攻で認識。
ここはセルビアだし、合鍵を持ってるだろうしから金を持ってると思われたら嫌だなと思って「いやーなんかトラブルにあって金もなくてココにきて・・・」みたなことをつたない英語で説明したことを覚えてる。
襲っても金持ってないから来んなよアピールだ。
そうすると意外な所で話は弾む。
「俺はK-1が好きなんだ。ムサシ、マサト、キッド・ヤマモト、コビルマキ・・・」
ブラジルでもベトナムでもタイでもスリランカでもインドでもフランスでも、大体サッカー選手かアニメキャラクターでコミュニケーションを取ってきた。
が、K-1選手を並べられるのは初めて。故に変にナカムラとかカガワとか言われるより、キッドとか魔裟斗が出てくることに親近感が湧いて、そこそこ話は弾んだと思う。
俺はストイコビッチとかミハイロビッチとかサッカー選手しか言えなくてごめん。
ただ、カタコトの英語同士、しかもK-1言うほど詳しくない勢の俺では5分ぐらいしか会話は持たず、話は自然に他の競技に移る。
どうしてもその競技名が聞き取れなかったが、とにかく彼は「マコト、マコト」と言っていた。聞くと長谷部誠のことではないらしく、全くの謎だった。
そうして俺はマコトと呼ばれた。
ほどなく、現地で無理矢理動いた甲斐があって、セルビアのクラブで練習参加ができるようになった。
2部のクラブで、グチャグチャの足首まで埋まるような柔らかいグラウンドでも本質的な巧さのあるプレーをして、バチバチのフィジカルコンタクトでやり合うサッカーはめちゃめちゃ楽しかった。
最初は完全によそ者。名前も呼んでくれなくて、寒いのに長ズボン貸してくれなくて、練習も余所者扱い。
だけど一生懸命頑張ってたら次第にみんな打ち解けていき、マルと呼んで・・・・・・・・・くれたら良かったのだが、何故か俺の名前はマコトだった。
またマコト。
んで、またまた長谷部誠ではないらしい。
マコトマコトマコトマコトマコトマコトマコトマコトマコトマコト
マコトって何?って聞いても、やっぱり何のマコトだか聞き取れず、マコトの謎は益々深まるばかり。
知らない間に監督やコーチも「マコト!マコト!」と呼んでくる。そしてニヤニヤ笑っている。
もうめんどくさいから「あー、マコトね!ハイハイ!」って知ったかぶりをかまして3日ぐらい経った頃、とある選手が「マコト〜」って言いながらスマホで動画を見せてきた。
見れば一発。
長野誠かよ!!!!!!!!
サスケ = ニンジャウォリアー
聞き取れなかった競技の名前は「ニンジャウォリアー」。要はSASUKEだ。
そういえば、SASUKEが海外でも流行ってて、そんな感じの名前で呼ばれてるとかなんとかは、知ってるような知らないようなそんな感じだったが、とにかくセルビアでは当時、SASUKEがクソほど人気だった。
長野誠といえば、漁師であり、完全制覇達成者であり、レジェンド山田勝己なきSASUKEではゼッケン100番を背負う男・・・
昔々、俺が小学生の頃はSASUKEはマジでキラーコンテンツ。放送すれば食い入るように見てたから、動画さえ見れば「マコト=長野誠」はすぐに理解できた。
俺の顔が長野誠に似てるっちゃ似てる気もするが、要はブラジル人にロナウジーニョって言って、イタリア人にトッティっていうのと同じ感じで、あいつらにとって日本人はマコト・ナガノだったんだと思う。
コレは色々衝撃だった。
アニメやサッカー以外でも、外国人とわかりあえるモノがあるんだという衝撃。
それを「マニアは知ってる」とかではなく、そこそこみんなが理解できる共通項になっているという衝撃。
しかも親日国とかではなく、ヨーロッパの火薬庫でこれを知るという衝撃。
ここから3年後、俺はスポーツとマンガで世界に出るというのをネタに起業することになり、それなりにリスクも背負うことを決意する。
当然迷ったし、よく色んな人に相談した。
色んな後押しと、納得材料で覚悟を決めたわけだが、その後押しのうち、結構デカめのパーセンテージを締めるのがこの「マコト事件」である。
なんでこれがマンガの後押しになったかは、結構説明するのがムズい。
わかってくれる人も割と少ない気がする。
多分、「ドラゴンボールじゃワンピースじゃなくてもめちゃ有名になる」ってこととか、
「アニメじゃなくても需要がある(この頃、アニメとマンガは似て非なるみたいなことを良く言われていた)」とか
「セルビアでSASUKE流行ってても、他の国じゃそんなに流行ってなさそう➡ってことは世界200カ国中どっかでバズればいけんじゃね」とか
「セルビア人、ガチガチのフィジカル系好きそうだからONE構想(そのうち書く)ではフィジカル寄りにしたら流行りそう」とか
そんなことを総合的に判断して、マンガいけんじゃね?って思ったんだと思う。
後、時間制限があるとか、水に落ちたらおもしろいとか、ステージ制とか、そういう人間として普遍的なコンテンツ満足度の基準みたいなのも、より輪郭がくっきりしたように思う。
俺が面白いなら、違う国のヤツも面白いだろ、っていう根拠なき理屈に、少し根拠がついたような感じ。
だから、ベオグラードでマコトになったことは誠に意味があったので誠にありがとうございますって感じ。
やりたいことは、仕事でセルビアに行きたい。
ベオグラードは悲しい思い出もあるけど、街は結構好きだった。人間性も俺の結構得意な感じだったし、また行きたいなと思ってる。
飯はそんな美味しくないし、全体的に暗い。
でも、戦争の悲しみをアートで紛らわしたのかなとか、そんなことを街の色んな所で思うし、そういう闇の中の光みたいなのが、妙に自分の心情とマッチしたようなことを鮮明に覚えている。
宇都宮徹壱さんに以前こう言われた
「丸ちゃんがいつか仕事や人生でまた行き詰まった時、きっとセルビアに行くと良いと思うよ。そこにはなにかきっとあるはずだから」と。
宇都宮さんが写真家として名を馳せていくルーツは、これもまたセルビアにあるという。
そんな”同士”の言うことなので、なんとなくだが、本当にそのとおりだと思っている。わかんないけど。
でも次行くときは、セルビアでマンガ出すときかな。そうやって戻りたい。
仕事で、商談で、営業で、そうやって今までお世話になった国を回っていける人になりたいな。
それにまだ行き詰まってない!
仕事として戻れるようにがんばろーぜい。
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