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10年前「俺は嵐にはなれない」と思った。じゃあ、今は何になれるのかしら。


「ちっちゃい頃は、俺は何にでもなれるって思ってたよなー」
という感傷に浸ることが、たびたびある。



俺は何でもなれる!ってのは、100%マジのマジで思ってて、心の奥底からそう信じていた。



たとえ、それが俳優だろうが、お笑い芸人だろうが、警察官だろうが、ミュージシャンだろうが。
なろうと思えば間違いなくなれると、疑うことなく自分を信じていた。





ちなみにこれは、俺に才能があると思っていたのではなく、努力すれば絶対に夢は叶うと思っていた。そこを間違えないで欲しい。俺には何の才能もない。


それが幼稚園の話なら、よくある男の子のマインドかもしれないけれど、そう信じていた期間は実はなかなかに長い。




高校生の頃、サッカーをしながらも進路や将来にモヤモヤと悩んでいた時期があったが、たどり着いたのが


「別に今から頑張れば、たとえプロ野球選手にもなれる可能性はある。
けど、プロ野球選手になれなくても後悔しなそうだけど、サッカー選手はなれなかったら死ぬまで後悔しそう」

という結論だった。それで、やっぱりサッカーだ!と、改めて決意した。


だが、高校生といえば、言うまでもなくスポーツを始めるにはかなり遅い。現実的にはプロ野球選手になるセンはないだろう。

けれど、周りがそう言うのはわかってても、もし本当に自分が望むのであれば、本気と気合と根性で頑張ることで、サッカー以外の競技でも十分に可能性はあると思っていた。


これは自分のアホさの象徴みたいな話のひとつで、本当にイカれちゃってるなー感じる。それで良かったけど。







また、「お笑い芸人とか俳優とかミュージシャンとか警察官とかにもなってみたい。
でも、お笑い芸人は30歳からでも目指せるけど、サッカー選手は30歳からだと無理だ!」


と冷静()になり、サッカーから目指すことに決めた・・・という似たような話もセットであって(もう少しロジカルだなとは思う)、こちらも、M-1も連ドラも武道館も、俺ならやれちゃうって思ってるキツいイタさが、今となっては少し恥ずかしい。




そんな俺が、はじめて「うわっ、俺はコレにはなれないんだ」と思った衝撃の体験がある。それが調べると、どうやらちょうど10年前らしい。


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2010年8月12日。要はぴったり10年前の今日。
フジテレビでは"VS嵐"が放送されていて、嵐+泉ピン子チームとフジ女子アナチームが戦っていた。


実は"この収録を客席で観覧する"というバイトがあって、当時の俺は地元の友だちと2人で、湾岸スタジオに向かった。実際の収録は7月頃だったと思う。


当時の嵐は、多分人気が一番ヤバかった頃だったように思う。
なのにお金ももらえて、なんとなくそれ以外の有名人にも会えて、マジサイコーと思いながら電車に乗ったのを覚えている。




着くと、散々待たされたあとに、拍手の練習、笑う練習、リアクションの練習。

テレビの収録現場はかなりの緊張が立ち込めていて、素人がのっけからハイテンションで反応を取るのは難しい。

なので、スタッフの先導に合わせて、注意事項も伝えられつつ、大きな声で笑ったり拍手をしてみたりしながら、時間を待つ。



「もう、そこに嵐さんいらっしゃいますんで」
そう小声で教えてもらうと、客席にいる女の子たちのボルテージがキュキュッと上がった。



いやいや、まだ出てこないのにそんな盛り上がってもしゃーないやろ。

隅に座り、そんなことを小声でツッコんだりしていた俺たちだったが、おそらくバックヤードでピンマイクをつけていたのだろうか。


「ここでいい?アー、アー」

とマイクテストをするニノの声が聞こえた瞬間、まだ出てきていないのにも関わらず俺たちはかなり心が踊った。(これをブーメランという)



ほどなくして、嵐のメンバーがスタジオに登場。

拍手の練習なんかいらなかったぐらい、客席はめちゃめちゃに盛り上がった。




そして、本当にコンマ何秒という瞬間で

「やば、嵐かっこよ!!!!!!!!!!!!!」と完全に心を掴まれてしまった。






その後に女子アナ軍団と、泉ピン子さんが登場したのだが、同時にこれだけのスターを見ることができたなんて、この回は当たりだったのかもしれない。

(ちなもに俺の大好きな中野美奈子アナも生で見ることができた)

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そして感じた、はじめての敗北感

初めて知ったのだが、テレビの収録というのは、結構よく止まる。

カットごとに細かく指示が飛び、立ち位置や動きなんかも修正が入る。

また、VS嵐はセットも大掛かりなものが多いからか、コーナーとコーナーの間も設営の時間があったりして、そうすると結構時間が空く。


驚いたのは、そういうちょっとした時間に、ストレッチをしたり水分補給したりしながら、嵐のメンバーが積極的に客席へ話しかけることだった。

きっとお客さんのテンションを下げないとか、ファンサービスとか、自分の喉の調子とか、いろんなプロ意識から会話をしていたんだと思う。



「エアコン寒くない?」
「どっちが勝つと思う?」
「ピン子さんおもしろいね」



そんな当たり障りのない会話は、普段なら絶対に覚えていないが、相手が変われば印象は大きく変わる。


くだらない世間話でも、話しかけられた人は多分それを一生忘れないし、話しかけられなかったその他大勢の人ですら、「嵐が客席に話しかけていた」という事実を回りの人にシェアするだろう。

たったそれだけでみんなの心を掴む。まさにスターだった。






そんな中、特に俺の目は相葉くんに釘付けだった。
その日までは、嵐の中で誰が好き?なんて話になると、「ニノ!」と答えていたりしたが、ニノもかっこよかったけど、生で見る相葉くんは別格のカッコよさだった。

思ってたより背が高いこともそうだし、まさにスターというオーラが出ていた。



そうやって彼らの姿を見るうちに、俺は悟った。














「あ、俺はどうやっても、絶対に嵐に入れないんだ」





そんなことを思うのは人生で初めてだった。18歳だった。


凄いヤツ、負けた相手、偉い人、誰に会ったとしても、努力すれば絶対に越えられると感じていた。
越えられないのは俺が努力してないか、越えたくないからだ。そう思ってた。


なので、「絶対になれない」と感じるのは本当に初めての経験で、衝撃を受けた。



ちなみに「なれない」というのは、嵐は新メンバーを募集してないとか、なにかの奇跡でジャニーズに入っても別ユニットでデビューだとか、そういうシステム上の話ではない。顔の話でもない。


そんなのは時代が変われば嵐だって新メンバーを募集するかもしれないし、なんか期間限定のユニットとか、小さなチャンスは何かしらある。


でも、俺が何をどう足掻いても、絶対に絶対に絶対にこの人たちと同じレベルに達することはないと認識したのが、この日だった。
つまり、俺はどんな鍛錬を積んだとしても、相葉くんと同じように振る舞うことは無理だと悟ってしまった。




彼らが放つものは、子どもの頃からの血の滲む努力、その上で合わせてきた運命的なタイミング、そして才能。そういうものを全て最高級にブレンドした、頂点にいる人間のものだと感じた。



それを俺が巻き返すには、まあ顔がイケてないとか、ダンスが踊れるのかとか、歌声が地声のまんまだとか、そういうの以前に、足りないものを巻き返すだけの時間が、もうないと思った。それが負けた感覚の根幹だった。



ちなみに今、ネットフリックスで「ARASHI's Diary -Voyage-」という、嵐のメンバーに密着し続けている番組が配信されている。

とても良く出来たドキュメンタリーで、第一話から画面をかじりつくように観ているが(コレを観たからこそ、このnoteを書いている)、当時自分が感じたことはまったく間違いじゃなかったと改めて思った。


その一瞬で動物的に感じたように、やはり彼らは本当にめちゃくちゃ努力していて、めんどくさい人間関係にも妥協せず、常にどんな時も全力でプロフェッショナルな仕事をし続けている。

18歳の俺、なかなか良い眼をしてるやんけ。




そうして気づく、選択肢が狭まるということ

収録が終わった湾岸スタジオからの帰り道、かなり深夜だったと思う。

なんとか終電間際の電車を乗り継いで友人と別れたあと、ぼんやりと街頭を眺めながら、色々と考えてしまった。



多分、これから先の人生、こうやって「ああ俺には時間がない」と感じることが増えるだろう。


大前提として、人間には何でも可能だ。チャレンジすれば必ずそれを成し遂げられる。


けど、その根拠は、ブレイクスルーするまで努力できるかどうかで、最低限、それだけの時間がなければ成り立たない。
それに、何でも可能だけど、全てはできない。何かを選ぶなら何かの可能性を捨てないといけない。



しばらく考えて、プロサッカー選手になるため、より一層頑張ろうと決意した。
その年の11月、ベトナムにプロテストへ行くことになり、これはこれで大きな経験だったが、結局現地に飛んだかどうかは、この日の体験も大きく関わってるような気がする。

それだけじゃなく、この日感じたことはかなり深く心に刻まれている。10年経ってもその日のことを鮮明に思い出せるのがそれを証明している。





そして10年後の今、俺は何になれるの?

今こうしてnoteをカタカタと更新しているが、10年経ってみて、それはそれはいろんな可能性が狭まったなと思う。


まず、サッカー選手の選択肢は完全になくなった。(それについては機会があればこれもまた読んでほしい)https://note.com/maru_ryuya/n/n1d68faae4555


人生のほとんどをサッカーに捧げた故、それが無理なら、もうそれ以外の殆どのスポーツは無理だ。



俺には生まれ持ったポテンシャルは1ミリもない。
もう間もなく、努力して伸びる率よりも、衰えていく比率のほうが高くなっていくフェーズに入るだろう。





社長になって3年目となったが、社長にしたって幅が狭まってきていると感じる。
例えば、25歳の俺と、28歳の俺では期待値が全然違う。ぶっちゃけ、よくわかんないけど勢いでお金を集めるなら若いほうが集まる可能性は高いと思っている。

だから、資金調達してうんたらかんたら〜みたいなことも、よりロジカルに証明しないと難しくなってくる。そういう意味では、幅は狭まっている。
(オッサンになったからこそできることもあるとは思うけれど、それは深さの話で、幅はやはり狭い)






28歳は思ってたよりオッサンだ。もともと人生の折り返し地点は25歳ぐらいで、以降は老人と変わらんぐらいに思っていたけれど、そうやって低めに見積もってたよりもさらにオッサン。




オッサンでも、近いジャンルの違うスキルとか、やってきたことに似てるけど少し違うような新しいっぽいことはできる。

でも、もう正真正銘の新しいことをイチからやるなんて、人生であと1個か2個ぐらいしかやれない気がしている。そのぐらいもう時間がない。


だからこそ、もっと濃密に生きないといけない。仕事も遊びも飯も睡眠も全力で。俺の可能性は、もうそんなに残ってない。


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そう思うと、自分にかかってたモヤも少しずつ晴れていくような気がしてきた。

この半年、それなりに凹んでいて、なかなか自分を奮い立たせることができていない。


限られた時間、限られたリソース、わずかな経験値、ほんの少しのコネクション。もっともっとフル活用して頑張りたい。し、まだ頑張れる。

来年の今頃は、頑張りたいという気持ちすらわかなくなってるかもしれないのだから。鉄は熱いうちに打てというけど、少なくとも打つ気力のあるうちにね。



立派な社長さんになろう。10年前の嵐に感謝。

サポートしていただいたお金は、未来に残るエンタメを研究する個人的研究費に当てられます。新しいスタイルのマンガや、サッカーをイノベーションしていきたいです。どうぞよろしくお願いいたします