ようやく

人の多い街が嫌いだ。


と思いながら、今日もバスに揺られる。
手にはスマートフォンと、両耳にイヤホン。
今、彼らの世界は5cm×10cmのディスプレイと、聞こえてくる音声のみなのだろう。

いつもと同じように流れていく景色を眺める。

きょうだいらしい会話が聞こえてくる。
彼らの指さす先に目を向けると、昨日までは気づかなかった道路沿いの民家に植えてあるりんごの樹が目に入る。

今この車内で、ここにある世界を生きていたのは私だけだと思っていた。
彼らも確かにこの世界を共有しているらしかった。

バスが交差点の横断歩道にさしかかる。歩きスマホをしながら若者が、バスを待たせていることなどつゆほども気にしていない様子でのろのろと渡っている。
彼らは、私は、今、どこに生きているのだろうか。身体はここにあって、一方で見ている世界と聞いている世界はここにはない。

今朝テレビが「若者の飲み会離れ」を上の世代が嘆いていると言っていた。
それも当然と言えば当然のことで、スマホを開けば気の合う仲間といつでも連絡が取りあえて、コンテンツにあふれた娯楽の多い環境において、話の合わない上司との飲み会に時間を割く意味は、たとえお金を払わなくていいとしてもほとんどない。読書や散歩など、かつての趣味ももはやスマホの中にあふれる娯楽に打ち勝って行わなければならないものになってしまった。

本当に歩いている人全員が、時間という軸でもって相応のバックグラウンドを抱えながら生きているのか。そのことを考えるとおそろしくなる。
スマホにしてもそうだ。それぞれが持っているあの四角い薄い板、その中にはその人のいろいろが詰まっている、そしてそれを私は一生知り得ることはない。


私はすべてを知りたかった。

小学生になる前、開いたお気に入りの傘を片手に河原の堤防から飛び降りてそこそこ大きなけがをしたことがある。私よりずっと重いはずの飛行機は飛ぶのに、同じような形をしたたんぽぽの綿毛も飛んでいくのに、どうして私だけが飛べないのか、知りたかった。

何度も何度も飛んで、何度も何度もけがをして、止められても、飛べない理由を知りたかった。
まだ、なぜ飛べないのか飛べなかったのか、分からない。そしてそのまま生きてきてしまった。
今はもう飛ぶことはできない。

すべてを知りたい衝動はというと、いまだに消えていない。こんな、知らない、分からないことばかりの世界に生きていていったいどうなるのだろうか。死ぬまでに何を知ることができるのだろうか。

私は不幸せな人間だ。

別に「不幸せ」な生活を送っているわけではない。安心して酔いつぶれることのできる友人がいないわけでもない、のに。
この満たされなさはなんだ。

そのことに押しつぶされそうになってしまう。
相手を裏切り続けているような、相手の信頼を真に受け止め切れていないような感情が、常に私のどこかにあり続ける。

私は、孤独が必ずしも、ひとりのときに襲ってくるものではないことを知っている。私の生活が、常に孤独とともにあったことを知っている。ただ私は、私以外の誰かと一緒にいるときに感じる孤独の受け止め方をまだ知らない。

私のなかに、私の身体を動かす「心」というものがあったとして、身体はひとりでなくとも、心が孤独を声高に叫んでくることがある。そんなとき私はどうしようにもいられず、ただひたすらに本を読んだり、散歩に出かけたりする。しかし満たされることはない。人と話したり、コンビニで食べたいものを買えるだけ買って帰っても、満たされることは一度もなかった。

孤独とは、おそろしい感情だと思う。

孤独から逃れようとする感情が、いつだって私の行動の動機となってきた。
私はいつか「幸せ」になることができるのだろうか。幸せになれない人生ならばいっそ、やめてしまおうか、なんて思ったりもする。

小学生のころ、「人間は社会的存在であり、一人では生きていけません。」と嫌いだった先生が言っていた。悔しかった。私は、一人で生きていけるようになりたかった。

きっとその言葉の真意は別のところにあるのだろうと思いはするが、孤独から逃げ出したい気持ちに私は支配されていることを考えると、なるほど確かに「一人では生きていけない。」と実感するのである。


時間は止まることはない。時間がなによりも強引に私を引っ張っていく。


いまではぬけがらの中に、新しい私が満たされて、変わらないことも多いけど、変わったことも多い。

言葉は、実体がなく、驚くほど不確実で不安定なものだ。しかし、私たちが分かりあおうとするとき、必ず言葉を介さなければならない。

言葉は、実体がないからこそ永遠たり得るのである。形あるものはいつか壊れてしまうが、言葉はそうではない。
言葉が与えてくれる輝きは永遠で、言葉がある限りあり続ける。

強引すぎる時間の流れに苦しみながらも心地よく、未来に向かって進み続ける。私はここにとどまっているだけで、時間が未来に連れて行ってくれる。

幸せが常に誰かと共にあるわけではないことを知った。私は1人で幸せになることができる。

これまでの一瞬の輝きを支えに、そしてこれからの生活にある一瞬の輝きを目指して生きていく。


のかもしれない。

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