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生命の循環
先日、近所の人から、お子さんが生まれた旨の知らせを聞き、「うるさくてご迷惑をおかけするかもしれませんが」という内容のメッセージとともに、結構なお品物を頂いた。子育てに一応の区切りがついている私たち家族にとっては赤ちゃんの泣き声など騒音でもなんでもないのに、これから初めての子育てをされるご夫婦に気を遣わせてしまいかえって恐縮だなぁという思いで、私もご出産祝いを用意して、後日お渡しする予定で準備を進めているのだが、その数日後、学生時代の友人の親御さんがお亡くなりになったという報せ・・・。
このご時世、告別式には参列せず、お香典をお送りする手配も始めながら、お子さんの誕生と訃報をほぼ同時期に受けたことに、「新しい生命の誕生の喜び」と、「友人のお身内の方がそのような状況になる」ということに、「私もそういう年齢になったのか」という一抹の複雑な思いが湧き上がってきた。
また、背反する生命の根源的な事象を同時に迎え入れたことで、ああ、私自身も人間としての営みの真っ只中にいるのだ、生命の循環の中にもいるのだ、いう現実が浮き彫りになって来た感もあった。皮肉なものである。人の生死を思い切り身近に感じることで、世界と自分のつながりをくっきりと手に取るように感じることができるなんて。
今までの私(特にここ数年)は、このご時世も手伝ってなのか、自分の知っている人は今もどこかしらに存在してお元気でいることは頭ではわかってはいるけど、(家族以外の)現実の誰とも繋がっていないような、どこかふわふわして地に足が着いていないような心もとない感覚を生きていたから、なおのこと。
これは自分の生き方を見つめ直しなさい、というメッセージかなと思いつつ、慌ただしい毎日をあらためて丁寧に生きようと思う。
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