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幸せな余韻と、忘れかけていた感受性と。

2021年の締めくくりは、桑田佳祐さんの年越しライブだった。

横浜アリーナでの年越しライブが年齢制限(18歳未満の子供は、親同伴でも夜10時以降出歩くのはダメ、という自治体の条例により)で今までNGだった娘が18歳に到達したため、頑張ってチケットを取ってくれたのだ。ありがたや・・・

娘はよっぽど引きが強かったのか、あるいは、桑田さんの年越しライブに対する思い入れが強かったのか(娘もファンなので、この年齢制限に関しては毎回悔しがっていたのだ)、奇跡的に当選!我が娘ながらすごいな、持ってるな、と思う。

今回のライブは、終演後数日経った今でもすごく余韻が残っている。桑田佳祐さんの歌や、サポートメンバーさんの演奏に乗ったエネルギーもとてつもなかったのだけど、それに加えて、桑田佳祐さんの人間的魅力というか、深みをしみじみと感じたひとときだった。また、これだけの大規模なツアーを成功させる皆さんの労力はどれほどのものだったろう・・・と思うと、すごくすごく胸が熱くなった。

30年以上前から、テレビや街中など、サザンや桑田さんの音楽を聴かない日はなくて、もはや生活音のようになっていたし、今さら「ファンです!」と言うのもなんだか気恥ずかしい。でも、気がついたら私のCDラックにはサザンや桑田さんの作品がたくさん集まっていた。カラオケでも私は、原キーでサザンや桑田さんの曲を歌うこともある。サザンや桑田さんは、もはや(いい意味で)空気のような存在だった。

しかし、果たして、「(サザンや桑田さんが)自分にとって空気のような存在」と言う表現は正しかったのだろうか?今回のライブで初めて心の奥に疑問が湧いた。

「空気どころじゃないじゃん!立派なファンじゃん!桑田さん大好きじゃん、私!!」

改めてそう思った。

サザンや桑田さんの往年のファンの方は、ライブのたびに追っかけをしたり、衣装を揃えてライブに参戦したり、グッズをたくさん購入していたり、アルバムの中の隠れた名曲も知り尽くしていたり、果てはコピーバンドを組む方々もいたりと、気合の入りようが違うので、そこまでしない(ひっそりと桑田さんの曲を聴いて、毎週土曜深夜のラジオ番組で桑田さんの話される、作品に関するさまざまなエピソードや、桑田さんの音楽作りのルーツに思いを馳せ、桑田さんがラジオで取り上げていらした曲の中で気になったものを後日ダウンロードして聴き・・・という地味なノリである)私はファンと名乗ってはいけないような、そんな感じがしていたのだが、これからは、堂々とファンでいようと思った。

いらない思い込みって、思った以上に私の中に巣食っていたのだなと思う。桑田さんと年越し出来るということも、このアリーナツアーに参加することすらも一生ないだろうな、参加できる人が羨ましいなと思っていたのだから。

2022年は、凝り固まった不要な思い込みを一つずつ手放して、もっと自由に生きようと思う。




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