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大切なもの

このところ、ミュージシャンの訃報が相次いでいる。
それは、有名ミュージシャンの訃報だったり、
直接一緒に活動したことはないけれど、音楽仲間が挙げる
SNSの中でよく目にする方だったり。

そのようなニュースや投稿を目にするたび、
ああ、自分もそういう年齢になったのだな、という思いと
ともに、「私は本当にこのままで、音楽活動をお休みしたままで
いいのかな」という思いが去来するようになった。
「死について考えること=生き方を考えること」
と、誰かが言っていたような気がするが、自分もまさに例外ではなかった。

かつて音楽活動をしていたころ、何かに突き動かされるように、
曲作りも、楽器の練習も、ボイストレーニングも、ライブ活動もやっていたのだけれど、常に葛藤の連続だった。
自分は、音楽が「本当に好きで」やっているわけではない、ということに
気づきながら、たくさんの人に認められたい、有名になりたい、
今まで私のことを否定していた人たちを見返してやりたい、
「逃した魚は大きかった」と思わせてやりたい、という、支離滅裂な
気持ちの中で音楽をやっている自分が許せなかった。

どうせ音楽をやるなら、「音楽が好きで」とか、
「これこれこういうことをやったら楽しいだろうな」とか、
「こういうミュージシャンみたいなサウンドを出してみたい」とか、
そんなポジティブな動機で、音楽をやりたかった。

正直、子供の頃から何かあると音楽に逃げている自分が嫌だった。
そんなものに頼らなくても、自分の機嫌は自分と向き合うことで
取れるようになりたかったし、強くなりたかった。
音楽をやって人に認められることで自分を満たしている自分を、
どうしても認めることはできなかった。

だから、約10年間活動していた音楽を、
一旦休む(辞める)決意をしたのだった。
しばらくは、「なんだ、音楽(活動)がなくても、自分は
大丈夫じゃん」なんて思っていて、本当に家と職場の往復、時々桑田佳祐さんやサザンのライブとか、
音楽イベント以外のイベントに参加するだけで
人生が成り立っていたようなものだった。
それでいい、と思っていた。「夢は終わり」って。
音楽そのものや、音楽仲間との繋がりが時と共に薄れて、それで孤独になっても仕方ないかなあと。

しかし、そこから数年後、ユニットのお話やバンドのお話もいただくようになって、メンバーとスタジオに入ったり、新たな音楽イベントが立ち上がるようになって、自分も呼んでいただけることがあったり、ありがたいことに音楽仲間との繋がりは、切れることはなかった。
今でもそのイベントで時々歌わせていただいたり、
徐々に音楽活動再開に向けて動き始めている。

そこで、自分の(音楽)人生を改めて振り返ってみると、動機は不純だったとはいえ、音楽活動を始めるに当たってSNSを新たに始め、メッセージをくれた方のライブに参戦し、ライブ出演のオファーをブログ経由でいただいたり、そこからどんどん活動の幅を広げ、仲間もたくさんできて、いろんな音楽に触れることもできて、かなり豊かな人生を送っていたなと感じた。

そして、最近では、仕事やら何やらでいろいろあっても、帰りの電車の中で携帯を見ると、音楽仲間とのやりとりの中で「フッ」と笑えることがあって、「あー、自分はこの人達を大事にしなきゃな」と涙したり。

今後は自分の中だけで完結する音楽ではなく、
仲間とああでもないこうでもないとやりながら
創っていく音楽に照準を合わせていこうと思う。
こういう風に思える仲間と出会えたことに感謝して。
改めて、やっぱり自分の人生は音楽でできているなと、
今は純粋に思えているし、より皆様に楽しんでいただける活動ができるのではないかと思っている。








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