ある日の同窓会で。

もうかれこれ、6〜7年前のこと。中学の同窓会が開催された。久しぶりにみんなに会えて、いろいろ近況報告やら、再会の喜びをお互いに味わっていた時。担任の先生が私たちのテーブルにやってきた。

先生は、私の隣にいた独身の友人を見るなり、こう言った。

「お前、まだ結婚しないのか。お父さんお母さんに、早く孫の顔を見せてやれ。それが親孝行なんだから」と。

私は自分の耳を疑った。中学生当時、好きで尊敬していた先生からそんな言葉が出るとは・・・。それと同時に、この田舎では(特に年配層に)、「結婚して子供を持つ事」が至上最高のような価値観が、厳然と存在することに愕然とした。

その友人がどのような理由で独身かもわからない、事情も知らないのに、そのような言葉を言い放つのは、ある意味で「前ぶれのない暴力」に近いものがある、と思った。

もしかしたら、彼女は本当にいい相手がいないかもしれないし、過去の恋愛でトラウマを抱えているかもしれない。婚外恋愛で悩んでいるかもしれない。あるいはすでに付き合っている相手がいるけど、二人の意思で入籍はせずに事実婚という形をとると決めているとか、仕事との兼ね合いで結婚は先延ばしにしているとか、お互いの宗教上などの価値観が合わず折り合いがつかないとか、お互いまたはどちらかの親が結婚を反対していて、結婚を許してもらえるまで説得しているとか、もしかしたら同性のパートナーがいるとか、考えられる事情はいろいろあるはずだ。

それらを鑑みることなく、自分の中に染み付いた価値観を押しつけるような言い方をするのは、いささか配慮が足りないのではないか。相手はもう中学生ではない。さまざまな事情を抱えた「一人の大人」である(もちろん、中学生であっても一人の人間であるし、緊急事態を除き、本人から求められない限りはズカズカ介入しないことも大切だと思う)。

そのようなことを考えてしまい、その後はモヤモヤした気分のまま、時間を過ごすことになってしまった。帰りの電車の中でも、そのことが頭を離れなかった。

同窓会が終わってしばらく経った後、その担任の先生から「クラスでの同窓会を企画して欲しい」旨の連絡があったけれど、断っている。私は地元を離れて20年以上経っていたし、いいお店も知らない。それよりも何よりも、同窓会の友人のように、私も、田舎の凝り固まった価値観で、自分の生き方についていろいろ言われるのではないか(破天荒なやり方で地元を離れているので)と思ったからだ。多様な価値観が存在し、多様な人々が暮らす東京という場所に生活の基盤を移して以来、もう、そういう言動には耐えられない身体になっているからだ。

「そのように思うのは、自分の生き方に自信がないからだ。本当に自信があれば、何を言われようと堂々としていられるし、気にならないだろう」というお声もあるかもしれない。でも、自分の生き方に自身を持っていてもいなくても、私は先生の言動に腹が立っていたと思う。やっぱり「ムカつくものはムカつく。不快なものは不快」なのである。

相手に言葉をかける時は、その言葉を放つ前に、相手の事情に配慮することが大切だと、この出来事をきっかけに思うようになった。自戒を込めて、この文章を書き残し、これからも気をつけていこうと思う。



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