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コロナの見方

うちのチビのストライダーを横取りして、マリオカートのように全力でこぎながらチビたちを平気で置き去りにするドンキーマーシです。

コロナによって生まれたもの

今回の新型コロナウイルスは、感染してしまった方々に対して声を大にして言うことはできませんが、失ったものしかないというのは違うと思っていて、それによって生まれたこともあるということを認識しないといけません。

家族との時間

まずは、緊急事態宣言により、学校や不要不急の外出を制限されることで、確実に家族との時間が増えている家庭がたくさんあるはずです。感染しても80%は軽症で済んでいるという実態を見るに、(20%の方々、すみません)むしろ今まで見ていなかった子どもや妻の側面が見れたり、なんとかして(アイデアを生んで)この局面を凌がないといけないという制限が発生しています。
すると、今までやろうかどうか悩んでいたことに積極的になれたり、実行に移せたりすることができた人も少なくないはずです。

親こそがアップデートをしなければならない局面

私自身も最近はチビたちの有り余るエネルギーをなんとか退屈させないように使い切ってやろうと奮起していることを“コロナ対策”とよんだりしています。
幼稚園に通わせていることで、いわゆる親としての“楽”を選択できなくなってきている状況で、親自身がアップデートしていかなければなりません。まさにこれは、親が試されているなぁと感じています。この局面で、親として子どもに何をしてあげられるかというのが、子どもにとって…というより、家族にとって財産になるような気がしてなりません。

“失ったこと”に殺されてはいけない

この状況は、未だ終わりが見えないわけで、いつまで続くのか、誰にも予想できていません。だからこそ、負担になりすぎないように、スタンダードな水準を親自身が上げていかなければならないというわけです。
もし、それが出来ているのであれば(コロナには絶対感染しちゃダメだよ。)、決して失ったものだけではないと、私は思います。

恨み節からは何も生まれない

確かに経済の影響で、収入が減ってしまった方もたくさんいるとは思いますが、その凹んだ分、どこかが出っぱっているはずです。
無駄な贅沢を今は少しだけ我慢して、その出っぱった部分に対して、何かの気づきを得ることができれば、この時代に生きた意味があるような気がします。

コロナに負けず、早期の収束を願って、今はみんなで強かに耐え忍んでいこう。
そうすればきっと、明るい未来が待っているはず。

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