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相対的と絶対的

数値とか絶対的な指標で物事を見ることがある。

人間やほかの生物は相対的に考えることが多い。

しかし、絶対的なものに慣れると、人間は相対的であることを忘れがち。

1をやらせたあとに2をやらせると渋る。でも4をやらせたあとに2をやらせると快諾することがある。同じ2なのに。これが、相対的に捉える、というものである。

そう、人間は相対的に見るので、しばしば不利益を被ることも少なくない。少し客観的になれば、明らかに過大評価だったり、過小評価だったりすることに気づけるはずだ。

もちろん、世の中そう単純な話ではないが、数字で見るということの重要性がわかると思う。

少し話を変えると、しばしば言われる「絶対的なもの」というものは、往々にして絶対的でもないことがある。絶対的な善とか絶対的な価値などのように。

善悪に絶対はないのはイメージする人もいるかもしれない。立場が変われば善悪は変わる。営業成績が良ければ善、という世界もあるが、その世界だけの話。マクロとしての普遍性はないし、顧客満足度という指標はそこに含まれていない。絶対的ではない。

価値に対しても同じだ。モノの価値、人の価値は所詮は「見かけ」だ。「お前に価値なんかねえよ!」なんて言う人はこれを分かっていない。70億人の中のただ一人から見た価値に過ぎない。そんな戯言は無視しよう。もっとも、言われた側はひどく傷つくと思うが。

お金も人々の見た目の価値を表したものであり、絶対的ではない。数字では表されているが、その数字は四則演算ができるという意味であり、価値という意味では絶対的ではない。お金も全知全能の神が定義したものではなく、人間が作ったものだ。

相対的なものなのか、絶対的なものなのか、見極めることは大切だ。これに関する記事は今後も書き続けると思う。

※5/27 修正

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