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詐欺に遭うのは仕方がない

最近は大学の課題等で忙しく、noteに書く時間と気力がなかった(主に気力)。

それはさておき、タイトルの通り、「詐欺に遭うことは仕方ない」と考えることについて少し述べたい。

これは詐欺撲滅うたうものでも、詐欺対策をいうものではないので注意していただきたい。それについては、各々で調べてもらいたい。

ここでいう詐欺とは、金銭トラブルやビジネス的なものを指す。

明らかに法律違反なもの(振り込め詐欺、闇金、ネズミ講など)から、法律違反ではないが、サービスやモノの対価が、売る側に強く有利であるもの(宗教勧誘、釣り広告、リボ払いの推奨、ネットワークビジネスなど)まである。

これらは、基本的に「売る側と買う側の情報格差」を利用している。

そもそもシステムを知らない、あるいは内情をよく知らない人が、それが素晴らしい、価値のあるものだと錯覚してしまい、詐欺にハマってしまう。

ヨーロッパにいる「ミサンガ売り」なども、観光客の無知を狙ったものである。

どこかで述べたかもしれないが、人間は「見かけの価値」でものの価値を判断する。

そこで、情報格差を利用し、買う側にあたかも価値が高いかのように見せかけて、売る側の利益を最大化させようとするのだ。

そもそも、情報格差を利用したビジネスはたくさん存在する。ただし、それは正当な対価をもっているからこそビジネスと呼ぶことができる。売る側の利益のみを考えるようなものとは異なることに注意していただきたい。

ここで、情報格差というものは日常に存在して当たり前だ。全知全能の神ではないのだから、全てを知る由もない。記憶容量には制限あるし、そもそも普通の方法では知ることのできない情報はたくさんある。

特に現代は、古代人と比べればはるかに分業が進んでいて、それぞれの専門分野ははるかに複雑で高度に進歩している。全世界の情報の中で、自分の経験で得られる情報はずっと少なく、残りは誰かを頼るしかない。

詐欺が情報格差を利用している以上、現代人は古代人と比べてずっと詐欺に遭いやすいのだ。

ただし、古代と比べて現代は情報の拡散速度はずっと速いから、対策は取りやすいという反論もあるかもしれない。もちろんそれはあるが、拡散にもムラがあり、全員に瞬時に正しく伝わるとは限らない。
自分の知らない、未知の世界からぽっと出たところに詐欺がある、そんなイメージだ。

また、最近はインターネットというものがあるから、有名な詐欺は表立ってはいないかもしれない。それでも、様々な詐欺は残っているし、インターネットはとても有効な詐欺対策とはならないのかもしれない。

単なるモノの情報だけでなく、「いかに騙すか」という知識は逆に進歩している可能性がある。振り込み詐欺の手口も高度化しているように、この部分においてはしばらくはいたちごっこになるだろう。

ここまで色々書いてきたが、仮に騙されているとしても、当の本人が満足していたらそれでいいのかもしれない。息子(と思う人)に数百万円渡して、それで息子が助かる(と考えて満足している)のならば、幸せな人生を考えれば悪くないのかもしれない。
陰鬱な毎日で、生きる気力がなくなるよりは、自分を導いてくれる教祖に、全財産を渡してでも、人生に希望を見いだすほうがいいのかもしれない。

ただ、得られる価値に対しての代償が大きすぎるのはいかがかと思うが。

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