スーパーマリオRPG
2023年6月21日のNintendo Directで「スーパーマリオRPG」のSwitch版リメイク作品の発表があった。
サプライズ過ぎたサプライズ
「『ピクミン4を中心に』と公表されているなら逆にサプライズがあるのでは」とワクワクしていた中ではあったが、何度も何度も見て・聞いたゲーム冒頭の映像とメロディが流れた瞬間、脳が混乱を極め、口元を抑えながら一瞬一瞬の映像を目に焼き付けようとすることしかできなかった。人はキャパシティを超える喜びを得ると、ただ目を見開き、息をのみ、震えるだけなのだ。
振り絞った感情
「人生最高の一本」
「スーパーマリオRPG」は"人生最高の一本(ゲーム)"を選ぶとしたら真っ先に候補に挙げる作品である。スーパーファミコンで発売された、マリオシリーズ初のRPGであり、おなじみのクッパやピーチ姫がプレイアブルキャラクターとして活躍する先駆けとなった作品でもある(※ピーチ姫は「スーパーマリオUSA(ファミコンソフト)」時点で遊べるキャラだったが)。小学校低学年か入学前くらいだった僕は当時「クッパを味方として操作できるなんて」と心躍らせ、パーティにずっと入れていたものである(後述するがベストメンバーではなかったらしい)。
RPGということで初めてマリオシリーズでテキストが多用された作品だったこともあり、それまでの横スクロールアクションヒーローの像とはまた違った息づかいを感じられたのも印象を深くする要因の一つだったのだろう。スクウェア(現スクウェア・エニックス)との共同開発ならではなのかもしれないが、任天堂らしからぬパロディネタ、少々の下ネタ、憎みきれない愛嬌のある敵キャラたちがたくさんいて、マリオたちとの掛け合いにクスッとできるおちゃめな空気感がとても新鮮で心地良い作品だった。
"思い出"としての存在へ
前述したおなじみのキャラクターに加え、本作にはパーティーメンバーである「マロ」や「ジーノ」を始め、数々のオリジナルキャラクターが登場する。敵味方それぞれがすばらしい個性を持っており、マリオシリーズのキャラクターとして登場するにふさわしい、愛される器を持っていた。しかし、そうしたキャラクターの強さ・魅力とは裏腹に、その後のゲームで彼らが登場することはなかったのだ(※スマブラの名鑑やスキン等で登場したものを除く)。
下世話なウワサ話程度のことしか知らないが、本作発売後の諸々により新たな展開の可能性は消え、「スーパーマリオRPGは"オトナの事情"で復活しない」というのが通説となっていた。事実、発売から27年経ついまのいままで何もなく、もう二度と彼らが新たなグラフィックやフィールドで活躍することはないんだという現実を知らず知らずのうちに受け入れており、自分の中で新作への"期待"を持つ対象ではなく"思い出"として昇華していたのである。
が、しかし
こうなっちゃったのである。なっちゃったのだ。なっちゃったのならしかたがない。しかたがないってなんだ。「今さらなんなのよ!」なんて思いは一切なく、じんわりと子どもの頃の思い出がよみがえり、ただただ「ありがとう」の気持ちで胸がいっぱいになった。
「リメイク」の価値
本作に限らず往年の名作をリメイクする試みについては、多少意見が分かれる部分もあると思うが個人的にはうれしく感じる面が多い。現代の技術でブラッシュアップされたグラフィック、システム、サウンドを現行のプラットフォームで遊べるのはそれだけでありがたいものであり、新規プレイヤーを取り込んで作品が活性化するのは、古くからのファンにとってもうれしいことではないだろうか。それくらいの感覚で捉えていたリメイクだが、まさかここまで自分が心打たれるものだとは思いもしなかった。
身も蓋もないことを言えば、年齢を重ねたのであろう。家庭用ゲーム市場の成長期(もしや黎明期なのかもしれない)に生まれ、ターゲットど真ん中として過ごしてきた身としてはあまり自覚していなかったが、昔遊んでいたシリーズ作品が20周年をゆうに超えるようになっている。人ひとり成人する年月。おそろしい。自分の親世代が青春時代のコンテンツを懐かしみ、復活・復刻・リバイバルされるものに胸を躍らせている姿をぼんやりと眺めていたが、自分もそこに足湯どころではなく肩までしっかり浸かっていたわけなのだ。リメイクが持つパワーをクリティカルに受けた初めての経験である。
好きなものほど。
リメイクの美点を改めて感じたものの、「意見が分かれる部分もある」と述べたように手放しでよろこべない面もある。名作と呼ばれるゲームほど、作品の主軸はもちろんとして、ミニゲームやサブクエスト等、魅力を感じられる要素が多岐にわたっているのだと思う。その要素が部分的に削除されたり改変されていたりすることで、原作の持つ絶妙なバランスが崩れてしまい、いろいろと物言いがついてしまうのではないだろうか。あとは単純に思い出補正。グラフィックにしても、解像度が高まることで"コレジャナイ感"が出てしまうことだって珍しくないのだ。
古参アピ厄介ヲタクの寝言
一般的な懸念点も挙げてみたが、僕自身としては懐古の念にとりつかれた古参アピ厄介ヲタクには成り果てたくない。何事もポジティブな思考のステージに立ち、楽しみを見出していきたいものである。発表されたPVのデモ部分を観る限り本作の細かいネタ要素がわざわざ詰め込まれており、理解(ワカ)っているスタッフにより監修されている可能性が高まったことは非常に好感が持てた。
ここで「現時点で期待している」ことを下記にドバっと吐き出してみる。つい数行前に書いた古参アピ厄介ヲタクと何が違うのかわからないがそんなことはもうどうでもいいのだ。そもそもこんな文章を書いている時点で頭がおかしいことに違いないのである。
容量等の関係で実現しなかったことの追加
原作の内容はこれでもかというくらいテキストやモーションによる小ネタが詰め込まれているのだが、メインストーリーにおいて少々簡略化されているような印象の場面も見受けられる。原作のハード(SFC)で容量的な問題を抱えていたとしたら、ぜひともその省かれた案ないしは追加要素というものを拝んでみたい。リメイクされるだけでも最大級の幸せなのだが、自分の欲深さというものを改めて感じてしまう。やっぱり大好きなゲームは長く長く、そして新鮮な要素を味わいながら遊びたいのだ。
RPGとしてのバランス調整
小学生当時はネットの攻略情報なんてものはなく、ただ自己流に育て、好きなキャラでパーティを組み、一般プレイヤーが知りうる要素のみを考慮して攻略していたのだが、今になっていろいろと調べてみるとRPGのゲームバランスとしてはいくらか"大味"だったようである。いくつか例を挙げてみると、ピーチが強すぎる(全体回復・復活持ち+最強格物理アタッカーになれる"勇者"枠)、クッパの装備可能品が少ない上に貧弱すぎて戦力外(らしい)、レベル上限が低い(Lv.30)、パーティーメンバーが固定化してしまう、アクセサリー(装備品)の特殊効果の影響がかなり大きい、などなど……。
当時それでも楽しんでプレイできていたので正直あまり気にすることではないのかもしれない。RPGに不慣れな人も楽しめるハードルの低さを目指していた面もあるのだろう。ただ、その辺りにもうまいこと調整が入れば終盤まで仲間キャラをローテーションしながら戦力として扱うことができてうれしいだろうなとは思う。序盤にも述べたが、本作にしか出てこないオリジナルキャラにも関わらず、マロのこともジーノのこともずっと大好きなのである。
最高の音楽
本作を語る上で絶対に欠かせないのが"音楽"である。思い出補正がかかっている可能性も考慮しなければいけないが、本作で流れる音楽は過去に体験した作品の中でもトップレベルで心に残っている。小学生当時、ゲーム本編以外の要素に注目する考えがなかった頃、初めて"BGMの良さ"というものに気づいた作品かもしれない。大きくなった頃に改めて聴きたくなり、サントラを探したところ10万円以上のプレミア価格になっていたときの悲哀とともに、「やっぱり素晴らしい音楽だったんだ」といううれしさの複雑な気持ちを得たものである。
そして原作に引き続き下村先生が音楽を担当されるという最高の吉報が入り、期待が高まるばかりである。
どうにかアレンジ版さらには原曲版を加えた豪華版としてサントラを発売してくれないだろうか。財布だけはオトナになっているので今度こそは手元に迎えたいのである。
どうしよう
さて、発表を受けて溢れ出たエネルギーのままに書きなぐってみたけれど、この怪文書をどうしよう。僕は身近な人の書いた文章を読むことがかなり好きなのでそういう人がいて面白がってくれたらうれしいが、あまりに気持ち悪くないだろうか。僕が気持ち悪がられることは別に構わないけれど、読んだ人側の気分が悪くならないことだけを祈る。そして少しでもスーパーマリオRPGに興味が湧いた人がいて、あの楽しさを共有できたらこれ以上ない喜びだと思う。夏場の資格試験を乗り切って、11月17日まで心身ともに健康で過ごしていきたい。本当にこんなことを書いている場合ではない。
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