今日の常識は、昨日の非常識。
今時、大義名分なんて言ってみたところで「何だそれ」で終わる。
だけど昔は、それが常識だった。そんな時代は確かにあった。
当時を生きる、ある男はこんなことを言っていた。
璽主は常に大義と共にあられました。
でも、今となってはどうでもいいことです。
卑しい私を取り立ててくださったから。
名誉を得て、家族も豊かに暮らせました。
国ではなく璽主が、そうしてくださいました。
でも今になって分かりました。
私は、その程度の器なのです。
ちなみに大義とは辞書曰く、人として守るべき道義、国家・君主への忠義、親への孝行だそうだ。
現代に生きる私は、大義を重んじることを強要されたことはほとんどない。
ありがたいことに、大義よりも自分の感情を優先して生きられる、そんな幸せな時代に生まれた。
だから私は、彼は何も間違っていないと思う。
でも、彼の生きた時代は違う。
彼の考え、行いは全て間違いとされる。
だからこそ彼自身もそれを理解し、自分のことを皮肉っているのだとも思う。
個人の感情が尊重され、それぞれが思う正解を見つけることが認められる、ぶっちゃけて言えば何でもアリみたいなこの現代とは違う。
現代に生きる私はまず「大義よりも自分を取り立ててくれた恩人を優先することの何が間違いなのか」と思ったけれど、もし当時にタイムスリップでもしてこんな発言をすれば即処刑ものだろう。逆賊と呼ばれて死ぬ。
彼の時代では非常識、かつ、あってはならない私の考えは、今の世の中に当てはめてみればきっと常識に近しいものになっていると思う。
でもきっと時が経てばまた新たな常識が生まれ、今の私の考えが古く非常識になる時代がやって来るのだろう。
現代の移り変わりは異常なまでに早いから、おそらくそう遠くない未来。
そうなったら私は、いったいどうするだろう?
別にこれはドラマだけの話じゃない。
仕事だって、勉強だって、人間関係だって、何だってそうだ。
昨日までは非常識とされていたものが一夜にして常識へと変わる。そうして今日常識とされたものは、また明日には新しいものが登場して今度は非常識へと変わる。
それが良いかどうかなんて私には分からない。
ただ、そうした変化のおかげで今普通に生きていられることは確かだ。
じゃあそれが普通じゃなくなった時、新たな常識が自分にとって苦しいものだった時、私はどうする?
昨日、ドラマの中で彼は死んだ。
大義に背いた逆賊とされ、かつての仲間に追い詰められ最後に選んだのは自害の道。
その後彼は主の全ての罪を被り、さらし首にされた。
彼の死は最終的に主の尊厳を守った。
意図していたのかどうかは分からないけれど、もし彼が聞いたらそれこそ「最高の名誉だ」とでも言いそうだ。
自分の結末を知っていながら信念を最後まで貫き通した、最期まで己の主を裏切らなかった彼は、誰よりもかっこよかった。
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