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上に立つ人が持つべきもの。

人間生きていれば往々にして、人の上に立つ時が来る。

それが好きだという人もいれば、あまり好きではないという人もいるだろう。

昨今はリーダーシップが云々といった論や話も身の回りに溢れている。

昔は上に立つ人と言えばほんの一握りの、選ばれた存在だったのかもしれない。でも今は、誰もがその存在になり得る時代だ。


人の上に立つ人には、それなりの理由がある。

選ばれたにせよ、自ら選んだにせよ、役割が与えられる。

それはいったい何だろう。


ある時、「善徳女王」でトンマン王女がこんなことを言っていた。

私にできるのは、器になることだ。
毒だろうが、野望だろうが、希望だろうが、何を持つ者も全て受け入れる。
なぜなら、その彼らが私を作ってくれるから。

史上初の女王を目指す彼女の口から出た言葉にとても考えさせられる。

人を惹きつけてやまない強烈なカリスマ性でも、あらゆる問題を解決するための知性でもなく、必要なのは器の大きさ。

言われてみれば確かにそうかもしれない。

リーダーというのは、周りに人がいて初めて成り立つもの。

人を受け入れることができなくて、どうしてリーダーになれようか。

極端な話、人を受け入れる器さえあれば、例え自分が何もできなくとも、その器に入っている人が自分の代わりにやってくれる。

自分で良い解決策が思い浮かべることができなくても、一緒に考える人がいればアイデアを提供してくれるかもしれない。



かつて私はリーダーの役割をはき違えたことがある。

当時は答えを知らなかったけど、ただ大失敗をしたことだけは分かっていた。

「リーダーの仕事って、自分が一番頑張ることだと思ってたんだけど、そうじゃなかったんだね。」

一緒に活動していた、私よりもはるかに経験を積んできていた人が「そうだよ。」と静かにそう答えてくれた。今思い返してみれば、もしかしたらあの人はとっくにこの答えを知っていたのかもしれない。


他者の意見に耳を貸さず独裁的で、その強さと権力で人を支配しようとしたところで、結局は何も上手くいかない。

誰よりも一人一人の意見に耳を貸し、個人を尊重してこそリーダーであり、だからこそ周りの人たちが上へと押し上げてくれるのだろう。


上に立つ人が持つべきもの、それは誰よりも大きな器。

その器をもってして、広く人を受け入れる。

再びリーダーとして立つ日が来たときには、ただ広い器を持ち自信を持ってその座に臨めるような、そんな人間になっていたい。

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