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神様のお話し

わたしと友人は、京都や奈良のあらゆるお寺で、仏像を見てまわるのが大好きだ。東寺のイケメン過ぎる帝釈天、眩しい程ゴージャスなちょび髭の弥勒菩薩。もう何体の仏像を見たことか…。

神様って居ると思う?友人に聞いてみた。騒がし過ぎる世界に疑問がいっぱいな私に、友達は即答した。「神様が居るから人間がこの世に存在するんでしょう」

「あ!そうか!」あっさり認めた私。でも不思議なのだ。神様が作った人間を苦しめるモノが居る。神様が作った世界を壊すモノが居る。果たしてそれを神様は許すのか?そんな話をよくするのだが答えが出る訳もなく。

ただ、闇と光は交互にやって来て、必ず光に戻るという結果に至った(←恐らく)。神様ではないのだけれどこんな経験がある。

25歳だった頃。私は母と手を繋ぎ、港と山に挟まれた細い地形を走って逃げ惑う夢を見た。翌朝「神戸みたいな港町で、手を繋いで走って逃げてる夢見てん。人が倒れて街が壊れてた」と母に話した事がある。

その翌日の夜中12時を回った頃、生まれて初めて不思議な体験をしたのだ。微かにお経が聴こえてきた。最初は少しで夜明けになるに連れ、お経を読む声が大勢になっていった。真言宗なのに″南無妙法蓮華経”なのだ。

普通怖いでしょ。でも全く怖くなくて涙が出たというか感動したのだ。お化けとかじゃなく自分の先祖かな?と思った。なんとなくご先祖さまが守ってくれてる様で涙が一晩中出たのだ。

そしたらゴーーーっと地面が割れる音。何処かの国が爆弾のボタンでも押したのか?とビックリした。大きな和ダンスが吹っ飛んで壁をぶち破った。頭の上をTVが飛んだ。父親が20年も同じ場所で寝てたのに、その日に限って仏壇の前に布団を敷いて寝たのだ。

そしたらなんといつも寝てた場所にガラス張りのタンスが畳を抉る様に突き刺さった。たった布団一枚分ずらした父は助かったのだ。神も仏もない程、荒れ狂った性格の父が仏壇の前で泣いていた。

家が壊れるかと思った、外にも出られない。一昨日のリアルな夢と夜中からのお経でそういうことだったのかと思った。友人と母にしか話してないのだけれど。地が割れる程の出来事があった時、確かに神様(らしき)は存在するんだと思った。

神様は善も悪も作るのだけれど。悪があるから善を知るんじゃないか、と友人が面白い事を言う。そりゃあそうだけど、私は悪は大嫌いだ。

出来れば世界が優しさで包まれてくれないか。ん?なんか歌みたい…。初詣は控えろというが、やはりこれを願わずにはいられない。

「神様がいるから人間がこの世に居るんでしょ」友人のこの言葉に妙に納得するわたしである。