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ピカソより普通にラッセンが好きな僕たちはピカソの掌の上で踊っている

先日、大ピカソ展へ行ってきた。

ハウステンボスの最奥、パレスハウステンボスでひっそりと開催されていた。


徐々に通常営業に戻る最中だからか、空いている施設も二割ほど、花火やイルミネーションをはじめとした季節の一大イベントも、この時は「あじさい祭」という激弱ラインナップで、人影はまばら、石畳を行き交う自転車も少なく、ああオランダも今こんなかんじなのかなと思ったりもした。


私が足を運んだのはコロナの流行も一時的に落ち着き、長崎県居住者限定で開放されていた頃。当然のごとく車は長崎ナンバーばかりで、とりわけ暇を持て余したのだろう年配の方が多く見られ、ピカソやあじさいを見に来たというよりは久々の外界、久々の友人と積もる話を楽しんでいるだけのようにみえた。カフェのテラスでおしゃべりしていたマダム二人組は、私が帰る時も全く同じ姿勢で紅茶を啜っていた。


かくいう私もピカソに強く惹かれたわけではなく、なんとなくピカソの絵を見ぬまま死ぬのはもったいない気がしただけ、作品も「ゲルニカ」と「泣く女」くらいしか知らなかったし、有名な曲しか知らないバンドのライブに行く感覚に似ていた。みんながいいって言うからとりあえず。ピカソが20世紀に活躍し、つい50年前まで生きてたことを考えると、ミーハーなのかもしれない。

(上:「ゲルニカ」/ 下:「泣く女」 )


パレスハウステンボスは、ただっ広い敷地の奥にある宮殿を模した白い建物で、閑散としていたためかうっすらとした緊張感すらあった。脇にあるドアを開けると受付があり、そこで音声ガイド用のQRコードを読み込めた。聞き覚えはないが、低くて耳に馴染む、「座って目を閉じたら確実に寝る」渋い声の解説に、そりゃ大ピカソ展に抜擢されるはずだわい、と妙に納得した。


少し逸れるが最近「美術館女子」というワードがトレンドにあがった。AKBのメンバーが各地の美術館を訪れ、写真を通じてアートの力を発信していくという読売新聞の企画だったのだか、「ジェンダー公平性に著しく欠ける」「美術館や作品を『映え』の道具として扱っている」など様々な理由で反感を買った。鑑賞・研究・開放・安寧... それぞれの理由で美術館を訪れているのに、大きな括りでカテゴライズされ、画一的に見られることに抵抗があったのかもしれない。その記事を読みながらもどこか遠くの国の戦争のように感じた私は、美術館男子とは言えなさそうだ。

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看板に促され、ゆっくりと順路を進む。初めは年表、逸話、友人との写真(もっと昔の人と思っていたので驚いた)、愛用品、恋人への手紙など、ピカソのひととなりを伝えるものが並び、その先の短い階段を登るとようやく作品が展示されていた。

先にあげた二つの絵もそうだが、ピカソの有名な作品はほぼ「キュビズム」という、様々な面や角度から対象を描く画風で描かれている。いわゆる"何書いてるかわかんない"ように見えるやつで、その面や角度ごとの色の使い分け・線のタッチ・その当時の世間の情景を知ることで、作品に対するストーリーを想像することができる、らしい。いい声が言ってた。

(展示にて大きく取り上げられていた「接吻」
正面だけでなく、あらゆる角度からの視点が一枚の絵に表現されている)


キュビズムに限らず、それまでにない前衛的な表現は、その衝撃で伝統的な見方を挑発し、作品を通して社会や芸術のありようを再検討させる意図が含まれている。
だからピカソはわざと「美しい」と思えない絵を描いた。今までの価値観では「美しい」と思えない絵を。私(おそらくあなたも)がピカソの絵を見て「美しい」とは思わないのは当然であり、ピカソより色彩豊かでインパクトのあるラッセンが好きなのはある意味「当たり前」なのだ。世界的にピカソが評価されているのは、そういった絵が持つ強いメッセージ性ゆえでもある。私たちは、そこまで美しいとは思えないゲルニカが、泣く女が、なぜこんなにも有名で素晴らしいと言われているのか疑問に思う。彼の目論見通りに。


見たことある絵が続くと思いきや、時期によって作風が変わったり、意外にも精巧な彫刻や陶芸品を残しており、多種多様な100点以上その全てに環境の変化や揺さぶられた気持ちのエピソードがあった。

よくよく考えるとそれは逆で、何か出来事や心情の変化がある度にピカソは作品に昇華していたし、それに技術が伴っているかが表現者と芸術家の違いなのだろうかとも考えた。美術館来訪数回の私ですら思うところがあったのから、普段から足繁く通う女性が、流行を狙った企業の安易なラベリングを嫌うのも少し分かるような気がした。



大ピカソ展、なんともまあ不遇な時期を考えてか展示期間を延長し、数ヶ月開催されていた。また機会があれば2回でも3回でも見に行きたいのだが、一つだけ問題がある。その日以来、青シャツ赤ズボンで踊る男がたまに脳裏をよぎるようになってしまった。ピカソの思惑を知ってか知らずか、「自分はラッセンの方が好きである」と、観客に主張しながら。



2020.07.06
(追記 2021.12.07)


ルードヴィヒ・コレクション 大ピカソ展
https://www.huistenbosch.co.jp/event/picasso/


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