最近、自分の中にある思考を、一切の曖昧さなく明確に言語化することの難しさを改めて感じている。この1年でイタリア語でのインタビューを受ける機会が何度かあった。その…
数日前に投稿した、No. 4の続きのエピソードだ。 2018年秋に渡伊して以降、3年半待ち望んだ良い練習環境が、ようやく整った。運良く、街のとあるお店に未使用のスペースが…
明日の夜は遠い未来、と捉えるのがイタリアだ。 その根底には、Andrà tutto bene!!(きっとうまくいく)というポジティブな精神性がある気がする。 そう思うと、ああ、今と…
私の本業は、音楽家、ピアニストだ。 音楽の世界には、共に演奏したり、刺激を与えあったり、切磋琢磨する仲間がいる。 だけれど、私には音楽の外の世界に大切な仲間がたく…
イタリアに渡って3年半が経った。 私の通う国立音楽院は部屋数が多くなく、上質なグランドピアノが置かれた部屋はとても少ない。加えて、平日は実技のレッスンや学科の授…
私には、大切な友人がたくさんいる。 そのうちの1人について、書いてみる。 先日、もう10年近く完全に音信不通だった友人と、あれよあれよとタイミングが重なり感動の再会…
音楽は、奥深い。 自分は作曲をするわけでもない。 現時点では、一部の作曲家の一部の曲たちを勉強し、演奏しているに過ぎない。 そういう意味で、音楽というものを前にし…
日常を生きる中で、たまに思い出すこの名言。 これは、私の高校入試時の小論文の課題だ。 私の中学生時代はもう15年程前のことだが、当時は哲学の授業が必修で、純粋な興味…
Marlene
2022年6月9日 04:46
最近、自分の中にある思考を、一切の曖昧さなく明確に言語化することの難しさを改めて感じている。この1年でイタリア語でのインタビューを受ける機会が何度かあった。その度に、日頃日本語で考えていることをイタリア語に置き換える際に、さまざまな障壁が生じることに気がついた。一つは、もちろん自身のイタリア語能力の未熟さにある。が、それ以外にも大きな要因がありそうだ。日本語は、ある程度曖昧な抽象的な表現が通用
2022年6月7日 21:19
数日前に投稿した、No. 4の続きのエピソードだ。2018年秋に渡伊して以降、3年半待ち望んだ良い練習環境が、ようやく整った。運良く、街のとあるお店に未使用のスペースがあり、そこにピアノを置いて練習をさせてもらえることになったのだ。新たな環境でスタートをきってから10日経った頃、1人の男性が帰り支度をしているところに入ってきた。上の階に住んでいる、小さな赤ちゃんのいるご家族の主だった。"は
2022年6月5日 15:19
明日の夜は遠い未来、と捉えるのがイタリアだ。その根底には、Andrà tutto bene!!(きっとうまくいく)というポジティブな精神性がある気がする。そう思うと、ああ、今という時間がたくさん積み重なった先に明日があるんだなあ、と、今という瞬間を大切にしよう、と思える。例えば、締め切りが近づいてそわそわいてもたってもいられないことがあるとしても、私の周りにいる多くのイタリア人はどんと構え
2022年6月5日 01:43
私の本業は、音楽家、ピアニストだ。音楽の世界には、共に演奏したり、刺激を与えあったり、切磋琢磨する仲間がいる。だけれど、私には音楽の外の世界に大切な仲間がたくさんいる。18歳で、本格的にプロフェッショナルの音楽の道に方向転換するまでの自分と、強く深く関わりを持った、高校や中学の友人たちだ。彼らとは、自分という木があるとして、土に生やされた根が多方向にぐんぐん成長する年齢の時に出会い、切磋琢磨し
2022年6月3日 03:45
イタリアに渡って3年半が経った。私の通う国立音楽院は部屋数が多くなく、上質なグランドピアノが置かれた部屋はとても少ない。加えて、平日は実技のレッスンや学科の授業で朝早くから部屋が使用されるため、練習できる場所はかなり限られている。コロナ渦、予約制で練習をしていた半年前までは良かったが、規制が緩和され練習室の予約制度が再び撤廃されたことで、確実に練習できる可能性が失われた。まさに、練習難民だ。
2022年5月29日 16:15
私には、大切な友人がたくさんいる。そのうちの1人について、書いてみる。先日、もう10年近く完全に音信不通だった友人と、あれよあれよとタイミングが重なり感動の再会を果たした。最後に話をしたのがまるで昨日のことのように感じられるほど、確かに成長したお互いが、一瞬にして昔にタイムスリップしたような感覚があった。友人は、波瀾万丈な人生を送っていた。あらゆる人生経験を積み、あらゆる苦難や葛藤を経て
2022年5月29日 06:00
音楽は、奥深い。自分は作曲をするわけでもない。現時点では、一部の作曲家の一部の曲たちを勉強し、演奏しているに過ぎない。そういう意味で、音楽というものを前にして自分は無力である。偉人たちの残していった曲を、楽譜というたった一つの手がかり、暗号のような音の連なりをもとに多角的に研究し、その上で自分なりの解釈を一音一音に注ぎ込み、平面だった音符たちを立体に起こし息を吹き込み、目に見えない時間芸
2022年5月24日 04:15
日常を生きる中で、たまに思い出すこの名言。これは、私の高校入試時の小論文の課題だ。私の中学生時代はもう15年程前のことだが、当時は哲学の授業が必修で、純粋な興味を持って学んでいたことを覚えている。その中でも、哲学の教科書に掲載されていた日野原重明さんの”壺を満たす”というようなテーマに沿った文章が、いまだに忘れられずに強く心に残っている。(残念ながら、正確なタイトルを覚えていない。)15歳