レトリックにはレトリックを
レトリックのパワーはとてつもないものがあって、先日のエンリーで記載したように、どのカテゴリでもリテラシーが低い人が大半を占めていて、そのような人は知覚のネットワークによって理にかなってるとイメージするものを正しいと判断します。
時には間違ったことを正とすることも。
その代表例であり、日本国民を苦しめる方に誘導しているレトリックは、国の借金でしょう。
この借金というレトリックは悪い意味でよくできていて、大衆には借金は返済しないといけないし、お財布に入るお金は有限であるという知覚がそもそもあり、政府の負債を悪いもの、後世に残してはいけないものとして判断しています。
この政府の負債というものを悪として考えることは思いっきり間違っていて、色々なリテラシーの高い人はそれを正す論を展開されてますが、このコロナ禍の保証に対する情報を見ていてもいまいち正しい情報が広がっていかないなと感じてしまいます。
おそらく理路整然と話されているアプローチが間違っていて、リテラシーの低い人に難しい情報は入っていきません。
正しいレトリックを広めるアプローチが重要なのではと個人的に思うところがあります。
では、どんなレトリックが良いのでしょうか?
考えてみたのは、
政府の負債って国の借金ではない。
借金というと返さないいけないとか、お金は限りがあるとか思ってしまうでしょ?
そのイメージ自体が間違っていて、
需要と供給という天秤の需要の方を重くするのが政府の負債で、軽くするのが増税。
で、天秤だからバランスが取れればいいんだよ。
そして重くするにはホースを使って水を入れること。
ホースのみずって量はきにしないよね。
ということなのではと思います。
今日は、お財布じゃないよ天秤だよ。という話
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