ゲームが全てダメなわけではない。

子供のSwitchへのハマり具合は凄いわけなのですが、自分自身が小学生時代にゲームにハマっていたことは棚に上げて、「ゲームばっかりしちゃダメ。」と注意することが多々あります。

やっぱり自分の子供に対してはゲームばかりやって欲しくないと親心として思ってしまう。

でも、「このゲームはいいんじゃないかな」と思うものが2つほどあります。

一つは「マインクラフト(通称マイクラ)」と「マリオメーカー」。

どちらも、自分自身でゲーム内に世界を作っていくというものなのですが、この創造するという行動は別に悪いものではなく、逆にいいもの何じゃないかなとも思います。
ツールがゲームであって、やっている行動は創造なので。

一般的なゲームというのは、開発者のシナリオに沿って進んでいくので、そのシナリオの枠からは大きくはみ出すことがない範囲で面白いとかつまんないとか言っているわけです。

水族館のように進む方向は1方向で、満足できるようにできている。

お客さんはそのストーリーに沿ってただひたすら進んで行くだけ。

でも、同じ水族館でも「ここにはこの魚を置いて」「この水槽はこの形にして」といった開発側に立っている人というのは、満足するという価値を提供できているわけなので、供給者として多大な価値があります。

そういった考えで言うと、子供がマリオメーカーで好きなコースを作って「これやってみて」と私にやらせて、罠に引っかかってケラケラ笑っているのは、供給者の疑似練習になっているのではないかと思ってしまうのです。

今日は、学習より創造である。創造こそ生の本質なのだ。という話。

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