幼馴染みの天才の話


はじめてnoteを書いてみます。


僕は北海道の田舎に住む、ただの深夜ラジオリスナーで、ツイッターで番組の感想をつぶやくだけのハガキ職人でも何でもない男です。


なぜnoteを始めたかと言うと、昨日大好きだったラジオ番組のコーナーが終了して、

溢れる想いをツイッターに綴ろうと思いましたがとても140文字には収まらなかったのと、

非常勤パンダさんのnoteを読んでこのコーナーにまつわる事を沢山思い出したので、ちゃんと文章にして残しておこうと思ったからです。


その大好きなコーナーというのは、水曜JUNK
山里亮太の不毛な議論という番組の「なんでもランキング!初見でドン!!!」というコーナーです。

このコーナーが大好きになった理由があるのですが、その前に少し僕の学生時代の話をしたいと思います。


僕が深夜ラジオを聴くようになったのは2011年頃(中学2年生)からで、周りに深夜ラジオの話をできる友達なんて一人もおらず、

当時はツイッターもやっていなかったので本当に自分一人でこっそり楽しんでニヤニヤしていました。

今でこそ若いリスナーが増えたしツイッターも普及してるので簡単に繋がれる時代ですが、当時はもっと密室感があってリスナー同士の繋がりは少なかったと思います。

そんな僕はラジオを聴いては一人でニヤニヤする日々を送りながら高校へ進学しました。


高校に入っても、相変わらず僕は深夜ラジオを聴き続けていたし、ラジオ熱は年々強くなっていました。

そのラジオ熱は、その頃のLINEの一言の欄を

JUNK月〜金

にしていました。今考えるとめちゃくちゃ恥ずかしいです。

しかしこのめちゃくちゃダサいメッセージが功を奏します。

知らない人からすると暗号としか思えないこの一言を、なんと読み解いた猛者がいたのです。

それは同じ中学校に通い、同じ高校に進学した幼馴染みでした。

しかも彼も中学生から深夜ラジオを聴いていたと言うのです。

高校でお互い深夜ラジオを聴いてる事が判明し、

今やってるアルコ&ピースのオールナイトニッポンが一番熱いね

などオススメのラジオの話などをする仲になっていました。


生まれて初めてラジオの話ができる人と出会った。

それが嬉しくて嬉しくて今までよりもっとラジオを聴くようになっていきました。


時は流れ、お互い高校を卒業し、僕達は別々の大学へ進学しました。

自然と会うことが少なくなり、次に会うことになったのは成人式の後の飲み会でした。

成人式の飲み会行く?クラスのやつ。俺は全然行きたくないんだけど

こんなLINEが突然きてクラスの集まりには行かず、友達4人くらいで居酒屋に集まりました。

なんともクソメンらしいエピソード。

これをキッカケに再び連絡を取るようになりました。

居酒屋へ飲みに行ったり、時には2人でファミレスでお笑いの話をしたり、ネタに使えそうなメモを見せ合ったりしていました。

彼に会う度に、必ず話題に上がっていたのは、水曜JUNK山里亮太の不毛な議論の「なんでもランキング!初見でドン!!!」というコーナーの話でした。

このコーナーは、ありとあらゆるランキングをリスナーに考えてもらい、タイトル通り、山里さんはネタを事前に下読みせず全て初見で紹介するというコーナーで、

中でも僕はニューヨークにゃんちゅうスさんというハガキ職人のネタが大好きでした。

とんでもないインパクトと個性。

誰もが認める天才。

山ちゃんがメールを読めなくなるほど笑い転げる事が定番になっていました。

僕も死ぬほど笑っていたし、「なんでこんな事が思いつくんだろう」とネタが読まれる度に言葉にできない感情になっていました。


ある日、僕はいつものように不毛な議論を聴いていると、なんでもランキングのコーナーが始まり、山里さんがメールを読み始めました。

北海道 ラジオネーム ニューヨークにゃんちゅうス

その時、僕は自分の耳を疑いました。

あの時ファミレスで見せてもらったネタがラジオから流れている.....?

全く同じ文言が山里さんの口から、ラジオから流れている.....

いやまさか、そんな訳が......


......北海道だ。


ニューヨークにゃんちゅうス

衝撃だった。嘘だろと声に出た。

僕が死ぬほど笑わされていたハガキ職人の正体は幼馴染みで、唯一深夜ラジオの話ができる友達の彼だったのだ。


僕らみたいな普通の暮らしをしてる人間がハガキ職人になれるなんて知らなかった。

もっと大人で選ばれし人間だけが書けるものだと思ってた。

どんな人が書いてるんだろう、なんでこんな事が思いつくんだろう、そう思っていたハガキ職人の正体が昔から知っていたあの男だったなんて。

夢にも思わなかった。自分の中で一致しなかった。


後日、彼からカミングアウトされた。

その後、すぐに居酒屋に集まり、色んな話を聞いた。

そこには僕には計り知れないほどの産みの苦しみがあった。

そこから2年間僕もメールを送ったがダメだった。

やっぱり天才には勝てない。

そんな思い出のコーナー「なんでもランキング」が昨日終わった。

僕達はもう大学を卒業して社会人の年齢になっていた。

最終回もやっぱり彼は読まれていた。

笑い転げた。やっぱり天才だ。

いつか、なんでもランキングが復活した時、またニューヨークにゃんちゅうスのクレイジーなネタメールを聴いてラジオの前で笑い転げたい。

リンダリンダを聴きながらそう思った。

僕達の青春でした。なんでもランキングよ永遠に。






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