2023.ある日の手記

いつもいろんなことを書き付けているルーズリーフがあって、ある程度ルーズリーフがたまると紐で適当に結わえています。今、ビニールひもで結わってたまとまりを、麻紐に結わえ直していました。
ちょっと、いいこいいこしてあげようと思った掘り出し物があったので、その記録です。

妹とのくらし

今年、地味にがんばっていたのは妹と東京で生活するというミッション。
はじめは負担がおおきかった。いろいろ、カーテンやら百均での買い出しやら、調味料の買い出しやら、妹と一緒にいったり1人でいったりと結構大変な時期に、自分の主催するイベントが2つも重なってしまい、ヘロヘロになっていた。
(その時期は、宇宙の意志や虚無みたいな事について、考えずにはいられない毎日だったこともあり、何もしなくても脳みそがパンパンやった)
ましてや夜にミーティングをなんとかやるぞ、となったときも頭とロレツがまわらなくて、リーダーなのに使い物にならない状態でしんどかった。
あーzoom自体どうしても苦手やな、、、音質なんて最悪やし、
妹にご飯食べてもらいたくて、(結局妹は自分でどこかですませてしまったりすることも多かったんだけど)
家に夕方帰って、ごはんつくってたな。妹にすこしでも余裕もってほしいと思って、自然とキッチンに立つ優先順位は高くなった。もちろん2人生活するなかでやりきれないことも多々あったし、妹のゴキゲンを損ねてヘコむことも多々あったけれどもね。いもうとにごはんつくりたいモチベはあった。
忘れたくない思い出。2人で鶏白湯つくったのは最も幸せな瞬間だったよ。

 海外へ憧れだした妹が、かなりスムーズにメルボルンにワーホリに行くことになった。案外妹は私の行動を見ていろんなことを決めて、私の先を行ってくれるような気がするのが嬉しい。
妹は、「お金ない」「英語全然できない」とさんざん悩んでいたし、家族に「こんな金のない家やだ」とずーっとぶちまけ続けていたけど、結局いつも歯を食いしばって自分でなんとかしている。えらい。非常にえらい。
「海外行きたいんだったら、留学とか旅行じゃなくて現地で英語勉強すればいい、ワーホリ行けばいい」と私はでかい顔で言い続けていたが、妹がそれをついに選択肢として選んだ。
私は結局休学はしなかったけど、私は休学するとか一般企業に入らねえということについては親とさんざんバトってきた。私はバトって終わりのしょうもなさはあったけれど、妹のワーホリスイッチに一役買った面はあったかもしれない。
今まで妹は、一人暮らしとバイトと大学と切り詰めてやってきて、去年の秋一度疲れて神奈川のアパートを引き払い、実家に帰ってきた。妹は必死で働き生活をエンジョイしていた。それでもちろん、いいんだけどね。自らの道に向き合うことのできる妹の姿を私はずっと見たかった。

妹と一緒に暮らすのは、家族の目線を変えるため。私はそういうふうにも意気込んでいたし、家族に変わってほしいと願っていた。
とくに、母親。母親は、家族への依存によって精神的な苦しみを受けているように見えていた。
私にとっては見違えるほど、家族は変わった。この一年で。いいんじゃない。私の思惑どうりになったと思って。
母親はだいぶ挑戦的になったし、笑顔で過ごす時間が増えた。パン焼き器を買ってパン焼いてみたり。お金の勉強しようと思ってー、とニーサをはじめようとしてたり。父親はどうにもサイコパスめいてるので「サイコパス」をよく続けている。まあとくに何とも思ってなかったが、最近家族に良くしてくれる余裕を感じられるようになった気がする。
なんとなく、家族の目線が上向いた。

妹が海外に行く、というのは私にとっても一大プロジェクトだった。妹の決断には、大きな感謝。妹には、妹の尺度でデカデカと歩をすすめてほしい。行き詰まったときには、私が切れ込みをいれているよう努力しよう。

八月の終わりから、私はいろんなところに周遊してちょうど一ヶ月。9月末に地元に帰ってきた。妹はちょうどメルボルンに出発するときで、電車のホームで2人、大きさの違うスーツケースを引いて運良くはち合せた。2人顔緩んでいたよなあ。嬉しかった。妹の目の奥が、まだ見ぬ新しい世界に光っていたのを忘れはしない。


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