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『一粒の麦 地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、もし死なば多くの実を結ぶべし』

*註 礼拝メッセージの中で #北斗の拳 の話はしていません。

『一粒の麦 地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、もし死なば多くの実を結ぶべし』

 世界中の多くの文学作品や伝記などにも引用されているイエス・キリストのことばだが、私はなぜだか、北斗の拳のこの人物のことも思い出した。

 確か、村の食力不足を解消するため、「今日より明日なんじゃ」と未来の収穫を夢見て種もみを守ろうとした人物だったと思う。ある人のブログにはこうあった。

【己の命を顧みず、未来だけを見つめて生きる老人、ミスミ。彼を見てケンシロウが口にした「久しぶりに人間にあった気がする」というこの台詞が、北斗の拳という作品が今後描いていくべきテーマとして決まったのだという。人の心が失われつつある荒廃した世界の中で、出会うべき「人間」を探して旅を続ける。そんなケンシロウの生き様を決定図付けたのが、このミスミというキャラクターなのだ。】

 アニメ版ではスミスと名前が変更されていますが、彼が死んでしまった後、ケンシロウが彼の墓標に種もみを蒔き、「実るさ…下に老人が眠っている」と呟くのだった。

 しかし主イエスが言われたこのことばの本当の意味は、そのような人間の生き様を指し示す格言レベルの話では無い。そのことを今日の日曜の礼拝メッセージでは語っている。

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