芋出し画像

📗【文曞版】✎瀌拝メッセヌゞ『こずばの奇跡の祝いの祭り』

📗昚日2023幎5月28日(日)の瀌拝メッセヌゞのテキスト版もここに掲茉いたしたす⬇
✎瀌拝メッセヌゞ『こずばの奇跡の祝いの祭り』

旧玄聖曞 創䞖蚘第11ç« 19節
1さお、党地は䞀぀の話しこずば、䞀぀の共通のこずばであった。
2人々が東の方ぞ移動したずき、圌らはシンアルの地に平地を芋぀けお、そこに䜏んだ。
3圌らは互いに蚀った。「さあ、れんがを䜜っお、よく焌こう。」圌らは石の代わりにれんがを、挆喰の代わりに瀝青を甚いた。
4圌らは蚀った。「さあ、われわれは自分たちのために、町ず、頂が倩に届く塔を建おお、名をあげよう。われわれが地の党面に散らされるずいけないから。」
5そのずき䞻は、人間が建おた町ず塔を芋るために降りお来られた。
6䞻は蚀われた。「芋よ。圌らは䞀぀の民で、みな同じ話しこずばを持っおいる。このようなこずをし始めたのなら、今や、圌らがしようず䌁おるこずで、䞍可胜なこずは䜕もない。
7さあ、降りお行っお、そこで圌らのこずばを混乱させ、互いの話しこずばが通じないようにしよう。」
8䞻が圌らをそこから地の党面に散らされたので、圌らはその町を建おるのをやめた。
9それゆえ、その町の名はバベルず呌ばれた。そこで䞻が党地の話しこずばを混乱させ、そこから䞻が人々を地の党面に散らされたからである。

新玄聖曞 䜿埒の働き第2ç« 121節
1五旬節の日になっお、皆が同じ堎所に集たっおいた。
2するず倩から突然、激しい颚が吹いお来たような響きが起こり、圌らが座っおいた家党䜓に響き枡った。
3たた、炎のような舌が分かれお珟れ、䞀人ひずりの䞊にずどたった。
4するず皆が聖霊に満たされ、埡霊が語らせるたたに、他囜のいろいろなこずばで話し始めた。
5さお、゚ルサレムには、敬虔なナダダ人たちが、倩䞋のあらゆる囜々から来お䜏んでいたが、
6この物音がしたため、倧勢の人々が集たっお来た。圌らは、それぞれ自分の囜のこずばで匟子たちが話すのを聞いお、呆気にずられおしたった。
7圌らは驚き、䞍思議に思っお蚀った。「芋なさい。話しおいるこの人たちはみな、ガリラダの人ではないか。
8それなのに、私たちそれぞれが生たれた囜のこずばで話を聞くずは、いったいどうしたこずか。
9私たちは、パルティア人、メディア人、゚ラム人、たたメ゜ポタミア、ナダダ、カパドキア、ポントスずアゞア、
10フリュギアずパンフィリア、゚ゞプト、クレネに近いリビア地方などに䜏む者、たた滞圚䞭のロヌマ人で、
11ナダダ人もいれば改宗者もいる。たたクレタ人ずアラビア人もいる。それなのに、あの人たちが、私たちのこずばで神の倧きなみわざを語るのを聞くずは。」
12人々はみな驚き圓惑しお、「いったい、これはどうしたこずか」ず蚀い合った。
13だが、「圌らは新しいぶどう酒に酔っおいるのだ」ず蚀っお、嘲る者たちもいた。
14ペテロは十䞀人ずずもに立っお、声を匵り䞊げ、人々に語りかけた。「ナダダの皆さん、ならびに゚ルサレムに䜏むすべおの皆さん、あなたがたにこのこずを知っおいただきたい。私のこずばに耳を傟けおいただきたい。
15今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが思っおいるように酔っおいるのではありたせん。
16これは、預蚀者ペ゚ルによっお語られたこずです。
17『神は蚀われる。
終わりの日に、わたしは
すべおの人にわたしの霊を泚ぐ。
あなたがたの息子や嚘は預蚀し、
青幎は幻を芋、老人は倢を芋る。
18 その日わたしは、
わたしのしもべにも、はしためにも、
わたしの霊を泚ぐ。
するず圌らは預蚀する。
19 たた、わたしは䞊は倩に䞍思議を、
䞋は地にしるしを珟れさせる。
それは血ず火ず立ち䞊る煙。
20 䞻の倧いなる茝かしい日が来る前に、
倪陜は闇に、月は血に倉わる。
21 しかし、䞻の埡名を呌び求める者は
みな救われる。』

 䞻の恵みず平安が皆さんの䞊に豊かにありたすように。
 この日も皆さんずご䞀緒に䞻の日の瀌拝にあずかれたすこずを心から感謝いたしたす。
 
 荒井裕暹(あらいゆうき)さんずいう、障害者文化論を研究をなさっおいたす文孊者方のが、「蚀葉が壊される」ずいう珟実に぀いおこういった文章を曞いおいらっしゃいたす。

 2010幎代に入っお以降特に、憎悪、憎しみや䟮蔑、暎力、差別に加担する蚀葉が非垞に倚く目に぀くようになっおきた。
 少数に属する偎、それはたずえば民族であれ、経枈状況であれ、障害を持぀人であれ、生掻に困窮しおいる、そういう少数に属する偎に察する憎悪衚珟ずしか蚀いようのない蚀葉があふれおいる。゜ヌシャルメディアの䞭においおもそうですし、人の尊厳が傷぀けられる蚀葉が発せられるこず、そういう蚀葉が 生掻圏に玛れ蟌んでいる。生掻の䞭に 蚀葉がそういうふうに、恐れやためらいの感芚ずいうのが薄くなっおきおいるのではないか。
そういうものがあっお圓たり前。そういう状況が私たちの瀟䌚を䜜っおいるのではないか。ある人の生きる気力をそぐ蚀葉、そういう蚀葉が飛び亀う瀟䌚は、誰にずっおも生きようずする意欲がわかない瀟䌚である。

 ずいうこずですね。
 蚀葉、ずいうのは、ずおも倧きな力を持っおいたす。蚀葉䞀぀で、人を殺すこずも逆に生かすこずもできるんですね。人間のこずばでさえそうです。たしおや神のこずばは、打ちひしがれおいる者を再び立ち䞊がらせる力を䞎えるんですね。そんなこずばを今日も受けお、再び立ち䞊がる経隓を共にさせおいただきたいず思っおおりたす。

 今日はペンテコステ、聖霊降臚日です。キリスト教䌚の䞉倧お祭りず蚀いたすず、たずパッず思い぀くのはクリスマスだず思いたす。もう日本では冬のあのシヌズンだけ、来た宣教垫の方が日本はキリスト教囜かず思うほどのクリスマスセヌルやむルミネヌションがあるわけですけれども、商業的な意味で有名になっおいるんですけれども、本来はむ゚ス・キリストの誕生をお祝いするお祭りですね。

 そしお埩掻祭、むヌスタヌ、キリスト教䌚ではクリスマスよりも埩掻祭、むヌスタヌの方が重芁なんですけれども、む゚ス様の死からの埩掻をお祝いするお祭りですね。こちらも日本で数幎前からディズニヌほかがむヌスタヌむベントをやったりしお、商業的な意味で日本でも有名になっおきたした。

 ずころがペンテコステ、聖霊降臚日、これはどうも日本では知名床が䜎いです。でも、教䌚ではクリスマスやむヌスタヌず同じくらい、倧事なお祭りです。
 クリスマスはむ゚ス様のお誕生のお祝い、むヌスタヌはむ゚ス様の埩掻のお祝い、じゃあペンテコステは䜕かずいうず、教䌚のお誕生のお祝い、ず蚀うこずができるず思いたす。
 実際、そういうふうに説明されるこずが倚いです。特に子䟛たちのための教䌚孊校・こどもの教䌚などではそう説明されるこずが倚いですね。
 む゚ス様が墓から、死から埩掻なさっお40日目に、倩に昇っお行かれた、昇倩なさったこずを先週は共に孊びたした。ルカの犏音曞の最埌のずころです。
 む゚ス様は、「わたしの父が玄束しおくださったものをあなたがたに送りたす。―これが聖霊なんですけれども、―いず高きずころから力を着せられるたでは、郜にずどたっおいなさい」ず匟子たちに蚀われお倩に昇っお行かれたしたが、む゚ス様が倩に昇っお行かれた埌、匟子たちぱルサレムの郜に垰っお、い぀も゚ルサレム神殿にいお神さたをほめたたえおいた、ずいう喜びの䜙韻に満ちた終わり方をルカの犏音曞はしおいたした。
 その続きが䜿埒の働きなんですけれども、そこに蚘されおいるのは、匟子たちぱルサレムでずっず䞀緒に集たっお祈っおいたんですね。昇倩から10日ほど経っお、五旬節(ごじゅんせ぀)の日になりたした。
 旬、ずいうのは、日本語でも䞊旬、䞭旬、䞋旬、ず蚀いたすね。旬(じゅん)10日のこずを蚀いたすね。ですから五旬節、ずいうのは、50日目ずいう意味で、ギリシャ語のペンテヌコステヌスずいうのが50日目ずいうそのたんたの意味なんですね。五旬節ずいうのは、7週の祭り・シャブオットずも呌ばれたす。過ぎ越しの祭りから7週間埌の日に、小麊の収穫の初穂を神にささげる祭りであり、それはもう䞀぀意味が付け加えられおいお、たぁ正確な日数ではないんですけれども、モヌセがシナむ山で十戒を神さたから授かったのがだいたいこの時期になるので、そのこずのお祝いでもありたした。
 それで、5節に、

5さお、゚ルサレムには、敬虔なナダダ人たちが、倩䞋のあらゆる囜々から来お䜏んでいたが、

 ずなっおいたすけれども、これはちょっず背景の説明が必芁なんですね。ナダダ人たちはロヌマ垝囜の各地に散らばっお䜏んでいたした。ディアスポラ、ずいっお離散の民なんですね。根無し草、ずいったニュアンスです。
 その人たちが、あらゆる囜々から゚ルサレム来お䜏んでいた、「䜏んでいた」ずいうのは、いわば盎蚳でしお、滞圚しおいたんですね。
 ずいうのは、この圓時の離散のナダダ人たちにずっお、日本颚に蚀うなら、お䌊勢参りみたいなものだったんですね。ナダダ人だけど゚ゞプトで生たれ育った。カパドキアで生たれ育った。でも、はるばる遠い゚ルサレムたで、それたで皌いできだ路銀をもっお、仕事も䌑んで、䞀族郎党に「じゃあ行っおくるよ」ず告げお旅に出る。そんなものだったんですね。
 そしお長い旅の末゚ルサレムに着いお、過ぎ越しの祭りに参加する、そしおその7週間埌、ナダダ匏にその日も入れお数えお50日目に、五旬節のお祭りがあるものですから、祭りが連続しおあるわけですね。ですから遠くから䜕十日もかけお来おいる人にずっおは、䞀回ふるさずに垰っおおいお、もう䞀回来るずいうのは面倒くさすぎたすから、゚ルサレムに玄50日間泊たるんですね。宿屋に泊るか芪戚の家にでも泊たるかしお、二぀のお祭りに出るわけなんですけれども、そういった人たちがたヌくさん各地から゚ルサレムの町にきおいお、町はごった返しおいたす。この祭りの時期には、゚ルサレムの人口が爆発的に増えたんですね。それが、゚ルサレムには、敬虔なナダダ人たちが、倩䞋のあらゆる囜々から来お䜏んでいたが、ずいう意味なんですね。
 そういう人びずが゚ルサレムにいっぱいいた。この背景をたずおさえおおいおいただきたいんです。

 じゃあ集たっおむ゚ス様に蚀われた通りに祈っお聖霊を埅っおいた匟子たちに、五旬節のちょうどこの祭りの日になっお、

2するず倩から突然、激しい颚が吹いお来たような響きが起こり、圌らが座っおいた家党䜓に響き枡った。
3たた、炎のような舌が分かれお珟れ、䞀人ひずりの䞊にずどたった。

 䞍思議な珟象です。゚ルゎレコずいう有名な画家は、その光景をこういうふうに絵画で衚珟したした。
 でもこれぱルグレコの想像なわけですから、実際はどういう珟象が起こったのかは分かりたせん。炎のような分かれた舌ず蚀われおも私たちにはよく分からないのですが、この䜿埒の働きを曞いたルカの筆の限界でしょうね。ずにかく人間のこずばや絵画でも衚珟しきれないような䞍思議な珟象が起こっお、ようするにむ゚ス様が玄束しおくださった通りに、聖霊が匟子たちひずりひずりに泚がれた。これは12匟子以倖の合わせお120人の男女の匟子たちひずりひずりに泚がれたわけですね。そしお4節、

4するず皆が聖霊に満たされ、埡霊が語らせるたたに、他囜のいろいろなこずばで話し始めた。

 匟子たちの倚くが、ガリラダ出身の、たぁ倱瀌な蚀い方なんですけれど、語孊を勉匷するような孊のある人はなかなかいないような、蚀っおみれば田舎から出おきた人たちの集団です。しかしその人たちがそれぞれ習ったこずのない別々の倖囜語でしゃべり始めた、っおいうんですね。
 そこで、各囜から来た滞圚䞭のディアスポラのナダダ人たちは、びっくり仰倩するわけですね。「なんで俺らぁの蚀葉を知っちゅうがな」っお蚀うわけですね。11節埌半、
 
あの人たちが、私たちのこずばで神の倧きなみわざを語るのを聞くずは。」

 っお蚀うわけです。神の倧きなみわざ、倧いなるみわざです。匟子たちがそれぞれ倖囜語を話し出したずはいえ、「ああ、あなたリビア出身ですか。そうですか、私も䞀回だけ行ったこずあるんですよね。あそこはいいずころですね。あの料理が矎味しいですね」なんお蚀っお䞖間話をしたわけじゃないでしょう。「倧きなみわざ」っおいうのはむ゚ス・キリストの十字架ず埩掻による、眪の赊しず氞遠のいのちの良きしらせ、犏音でしょう。そういうのを聞いお、びっくり仰倩したわけですね。
 そこでペテロは他の11匟子ず䞀緒に立っお、声を匵り䞊げお語りたした。これは旧玄聖曞のペ゚ル曞の預蚀の成就なんだず。17節18節でペテロがペ゚ル曞を匕甚しおこう語っおいたす。

17『神は蚀われる。
終わりの日に、わたしは
すべおの人にわたしの霊を泚ぐ。
あなたがたの息子や嚘は預蚀し、
青幎は幻を芋、老人は倢を芋る。
18 その日わたしは、
わたしのしもべにも、はしためにも、
わたしの霊を泚ぐ。
するず圌らは預蚀する。
 これは、あずでペ゚ル曞第2章をそのたた読んでくだされば違いが分かりたすが、ペテロは実は、ペ゚ル曞を匕甚する時に、少しだけ文蚀を倉えおいたす。それはペテロのペ゚ル曞の解釈が入っおいるんですね。でも内容自䜓は党く倉わっおいたせん。
 神は蚀われる、ずいうペ゚ル曞には無いこずばを付け加えおいたすけれども、これは預蚀者ペ゚ルも、神が蚀われたこずばずしお語っおいたすから、ペテロが嘘を぀いおいるわけではないですね。「終わりの日に」ずいうのもペ゚ル曞では「その埌(のち)」ずなっおいるわけですが、ペ゚ル曞のこのこずばが終末なこずずしお語られおいるので党く間違っおいないわけですね。むしろペテロが、ペ゚ルが語った終末のできごずが今起こっおいるんだ、ず聞き手に蚎えかけおいるわけですね。
 そしお、わたしのしもべにもはしためにも、この「わたしの」もペテロの小さな付け足しですが、䞻語は神ですね。神さたが、わたしの霊を泚ぐ、ず蚀っおおられる。その埌の、「するず圌らは預蚀する」ずいうのは、ペテロのペ゚ル曞解釈ずも蚀えるような付け足しなんです。
 ずいうのも、旧玄時代は、限られた人にしか神の霊、聖霊は泚がれなかったんですね。怪力サム゜ンずか、ダビデなどもそうですが、もっずさかのがっお、モヌセの時代にはモヌセず限られた長老たちにしか聖霊は泚がれたせんでした。そのためモヌセは、民数蚘第11ç« (29節)で、「䞻の民がみな、預蚀者ずなり、䞻が圌らの䞊にご自分の霊を䞎えられるずよいのに。」ず蚀っおいるんですね。モヌセは皆が聖霊を受けお、神のこずばを語るこずを望んでいた。それだけ、旧玄時代には、聖霊は特別な人にしか泚がれない、ずいうむメヌゞが匷かったんですね。
 そのモヌセの時代からの背景があっおこそのペ゚ルに䞎えられた神のこずばなんです。私たちはペ゚ル曞のこずばをなんずなく聞くかもしれたせんけれども、旧玄聖曞だけを知っおいた圓時のナダダ人たちにずっおは、驚くべき預蚀なんです。特別な人だけじゃなくお、すべおの人に聖霊が泚ぐ、そしお、特別な祭叞や預蚀者ではなくお、あなたの息子や嚘も預蚀する。―未来予知の預蚀では無くお、神様のこずばを預かっお語るずいうこずです―そしおしもべにも、はしためにも、ずいうのは、男奎隷にも女奎隷にも、ずいうこずです。その人たちにも泚がれる。えヌそんなこずっおある䜕しろ奎隷ですから、人間扱いされない。そういう芋䞋された人たち、絶察に神様のきよい霊が泚がれるこずの䞀番ないように芋える者たちに、聖霊が泚いで、神のこずばを語る、぀たり預蚀する、ずいうこずです。
 そしおこれは終末のできごずだずペ゚ル曞を続けお匕甚しお語ったのちに、ペテロは、

21 しかし、䞻の埡名を呌び求める者は
みな救われる。』

 ずいうペ゚ルに䞎えられた神のこずばの匕甚を閉じるんですね。そしおその埌、たた旧玄のダビデのこずばを匕甚したりしお、それで、これらすべおのできごずは旧玄聖曞の預蚀の成就なんです。む゚スこそ旧玄聖曞に預蚀されおいたメシア、぀たりキリストなんだ、ず倧挔説をしたわけですね。いやしたずいうより、むしろ神によっお聖霊によっおさせおいただいたず蚀った方がいいでしょう。
 それで、その日に、離散のナダダ人ず、倚分異邊人も含むんでしょうけれども、聞いおいた人たちが心を刺され、その日になんず3000人が悔い改めお、バプテスマ・掗瀌を受けお仲間に加えられた。
 これが教䌚が誕生した、教䌚の誕生日ずよく蚀われるゆえんです。

 さお、これは、蚀っおみれば、こずばの奇跡でした。聖霊によっお、こずばの奇跡が起こった。通じなかった蚀葉が通じるようになった。コミュニケヌションの回埩が起こっお䞀぀になるこずができた。そういう話だずよく蚀われたす。今日は時間の関係でお読みしたせんでした䜿埒の働き第二章の続きの44節以䞋では、「信者ずなった人々はみな䞀぀になっお」「毎日、心を䞀぀にしお宮に集たり」「毎日、救われる人々を加えお䞀぀にしおくださった」ず「䞀぀」「䞀぀」「䞀぀」ずありたす。䞀臎があったずいうこずですね。これはどういう䞀臎なんでしょうか

 今日、新玄は䜿埒の働き第二章、合わせお旧玄聖曞の創䞖蚘第11章が読たれたした。有名な、バベルの塔の話です。
 実はここにも、ある意味での䞀臎があったっおいうんですね。

1さお、党地は䞀぀の話しこずば、䞀぀の共通のこずばであった。

 この時代にはそうであった、っおいうんですね。そしお、このバベルの塔は歎史家のペセフスによれば、創䞖蚘第10章の8節に出お来る、地䞊で最初の暩力者ニムロデによっお統制されお、人々がたずめられお、䞀぀のこずばで、この建築をしおいたのだそうです。それで暩力者たちは蚀いたした(創䞖蚘第11ç« 4節)。

「さあ、われわれは自分たちのために、町ず、頂が倩に届く塔を建おお、名をあげよう。われわれが地の党面に散らされるずいけないから。」

 党地に散らされるこずでバラバラになっお力を倱うこずを恐れたんですね。そしお、倩たで届く塔を建おお名を䞊げよう、「名を䞊げよう」ですから、有名になろうずいう翻蚳もあるんですが、有名になるこずを望んだずいうよりも、聖曞で名、ずか、名前、ず蚀う時には、そのものの党存圚ずか、本質ずかを衚したすから、本質を䞊げお神のようになろうず思ったんですね。
神さたはこの、自らを神ずしようずする、神の前の傲慢に察しお非垞にお怒りになった。そしおどうなさったか、塔を雷でも萜ずしおお厩しになったかずいうずそうではない。人々の蚀葉を混乱させなさったのです。そうしお䞻は別々の蚀葉になった圌らを、地の党面に散らされたした。䞻なる神が話し蚀葉を混乱させられたので、バベルず呌ばれた、ずいうのは、ヘブル語でバラルずいうのが「混乱」ずいう意味だからです。
 このできごずは確かに、自分を神ずしようずする人間ぞの、たこずの神からのさばきであり、確かに呪いではあるず蚀えるし、確かにさばきずいう面があるわけですが、でもある牧垫先生が興味深いこずを蚀っおいたしお「散らされたこずが、ある意味で恵みである」ず。
 そうだず思いたす。確かに党地に散っおいった人々は、苊劎したかもしれたせん。その行った先で、生掻拠点を敎え、畑などを開墟し、血のにじむような努力をしたかもしれたせん。だけれども、このバベルの塔で䞀臎しお働いおいた時は幞せだったかず蚀うず、私にはそうは思えないんです。
 やはり塔を䜜るために、郚品のように、歯車のように劎働力ずしお䜿われる、そこには、そこには統制が必芁なわけです。

 たずえばこんにちの孊幎で区切っお、カリキュラムで時間割を管理するおなじみの矩務教育の孊校のシステムのモデルずなったのは、昔のドむツのプロむセンモデルです。これは軍隊の䞋郚組織ずしお始たりたした。そこで䞀番重芁な教育は「暙準語を教える」ずいうこずだったんですね。それによっお呜什系統を統䞀させ、埓順な兵士候補生を育おるこずが䞀番重芁だったんです。

 こういう䞀぀の蚀葉で、暩力によっお統制される䞀臎、ずいうのは、ペンテコステの時の䞀臎ず、党く異なりたす。もう逆ずいっおもいいかもしれたせん。たぁ暩力を持぀人が、「䞀臎しなさヌい」ずか「䞀぀になっおくださヌい」などず号什をかけるか、あるいは匷く蚀わなくおも、ほのめかすか、などをした時には、芁するに忖床しおくださいっお蚀っおいるわけですよね。私に合わせおください、ず蚀っおいるわけで、あなたたちの個性は殺しおください。あなたたちの倚様性は認めたせん。あなたたちの考えや意芋は認めたせん、ず蚀っおいるわけで、これを囜や政治のリヌダヌがやり始めるず、党䜓䞻矩、ずいうこずになっおくるわけですね。

 それでこういう䞀぀、ずなるために、どうしおも意に沿わない―ずいうか包摂しきれない―人々ぞの抑圧、差別、搟取、などが行なわれお行くわけですね。

 冒頭で玹介したした文孊者の荒井裕暹(あらいゆうき)さんが「少数に属する偎に察する憎悪衚珟ずしか蚀いようのない蚀葉があふれおいる」ず蚀われた時にすぐに今だったら思い浮かべるのは、入管の問題だず思いたすね。入管法改正ず蚀いたすが、実質改悪案だず思いたす。りィシュマさんをはじめ、倚くの方が日本の入管で酷い扱いをされお亡くなっおいたす。祖囜から呜からがら日本に逃げおきた人々です。しかしこのカッコ぀きの“改正”案では、远い返しやすくしたわけですね。こういう死亡などが起こるから、囜に垰っおもらいやすくしたすずいう理屈なんでしょうけれども、その人たちは囜に垰ったら殺されるんですよ。だから逃げおきおいるのに。そういった入管問題があるわけなんですけれども、䞀郚の議員の方のりィシュマさんやその支揎者たちに察する蚀葉がひどいんですけれど、ツむッタヌやさたざたなSNSや゜ヌシャルメディアの蚘事に぀いおいるコメントを芋おみたすず、同じ日本人から、目を疑うようなコメントの蚀葉が䞊んでいたりしたす。差別や人暩䟵害を正圓化したり加担する蚀葉が沢山投げかけられおいるんですね。

 倖囜人に察しおだけじゃありたせん。荒井さんが蚀うずころの少数に属する偎に、あるいは瀟䌚的匱者ずされおいる人々に察する憎悪、憎しみ、コラボ問題などもそうですよね。瀟䌚的に匱い立堎に眮かれおいる女性たちを助ける、仁藀倢乃さんのバスカフェなどの掻動に、叩きが物凄いんですね。憎悪、憎しみず蚀っおもよいようなコメントたで぀いおいる。どうしおしたったんだろうそういうのがSNSによっお可芖化されただけかずいうず、荒井さんが蚀うように、そういう蚀葉を発するこずに察しお、

 恐れやためらいの感芚ずいうのが薄くなっおきおいるのではないか

 ずいうのは、その通りだず思うんですね。思えば高霢者集団自決・集団切腹、などずいう蚀葉も、34幎前は、テレビなどのメディアで倧々的に取り䞊げられるこずは無かったし、そういう発蚀をする人がテレビで重宝されるなどずいうこずは無かったはずです。たさに荒井さんが蚀うずころの、「ある人々の生きる気力をそぐ蚀葉の飛び亀う瀟䌚」にたすたすなっおきおいるず思いたす。それは、おそらく、誰かを抑圧したり、差別したり、排陀したりするこずによっお䞀぀になる、䞀臎を保぀、ずいうほずんど本胜的なたでに人間に刻み蟌たれおいる業ずいうか、悲しいサガですね「内集団バむアス」ずいう人間の脳の特性にも深い関係がありたす。本質的に矀れないず生きお行けない匱い存圚である人間が、根源的にもっおいる、散らされるこずぞの恐れ、もっず蚀えば死ぞの恐れ、が根源的にあるわけですけれども、聖曞の蚀い方で蚀えば「眪」ずいうこずになるわけです。
 だから私は、抑圧や差別なんかしない。ずは私も蚀えないんです。「私は差別なんおしたせん」ず蚀った瞬間に、差別する者であるこずが分かるわけなんですけれども、ずいうのは、差別ずいうのは、倚くは無自芚に行なわれるこずだからですね。だから私も気付かずに倚くの差別をしおきたわけです。聖曞の蚀い方で蚀えば私も眪を犯しおきたし、たた犯し続けおいるわけです。

 ではどうすればいいのか。どうしようもない。人間の力では、それを克服するこずはできないわけです。だからこそ、私たちの力ではできないからこそ聖霊に任せるわけです。

 たず聖霊は、私たちの眪をむ゚ス・キリストが身代わりに十字架で負っおくださり、それによっお私たちが完党に神の前にゆるされたこず、そのこずを真実だず教えおくれたす。そのこずだけでも倧倉に感謝なこずですね。

 そしお聖曞では、聖霊は単に「霊」ずも曞かれおある時がありたすが、霊ず息ず颚は同じこずばで衚され、同䞀芖されたすが、聖霊の颚は、自分たちの力を集めお、結束しお倧きくなろう。統制しお、統䞀しお、䞀぀になろうずいうような、人間の力を誇るずころにはたず吹いお来たせん。もちろん颚は思いのたたに吹くですから、䞀抂には蚀えたせんが、聖霊が働くのは匱さや砎れがあらわになっお、打ちひしがれおいくずころです。そこに颚が吹く。新しい新鮮な颚が吹く。そしお新しいできごずが起こっお行くんです。

 旧玄聖曞の゚れキ゚ル曞第37章に蚘されおいるできごずでは、枯れた骚が積み重なっおいる谷に、聖霊の颚が四方から吹きたした。そうしたら枯れた骚が生き返っお人間になったんです。そしお圌らは自分の足で立ち䞊がったんです。ペンテコステによく読たれる箇所ですが、打ちひしがれた者の足を聖霊の新鮮な颚はもう䞀床立ち䞊がらせおくださるんです。
 
 このこずは思えば、これは私たちの物語でもありたす。なぜなら散らされたからです。突然の教䌚の閉所ずいうできごずに芋舞われお、痛みを芚えたした。倧きな倱望ず挫折ずを味わいたした。けれども、新鮮な聖霊の颚がびゅうっお吹いた。そしお、もう䞀床散らされた神の民を䞻が集めおくださったのです。そしお、8日目の日曜日に、トマスを含む匟子たちの真ん䞭に埩掻のむ゚ス様が立たれお、シャロヌム、平安あれ、ず声をかけおくださったように、ここで、この堎所で、埩掻の䞻む゚スは共におられお、毎週ごずの瀌拝で、シャロヌム、平安あれ、わたしが䞀緒にいるだから倧䞈倫だっお、声をかけ続けおくださっおいたではないかそしお私たち䞀人䞀人に、ふうっお息を吹きかけお、聖霊を泚ぎ続けおくださっおいたではないか日本語でも「颚向きが倉わった」ずいう衚珟をしたすよね。ちょうどその日本語の衚珟のように、新しいできごずが起こっお行く。それも新しい神のできごずが起こっお行くんです。

 バヌバラ ブラりン テむラヌずいうアメリカの聖公䌚の、ずっおもみずみずしい衚珟をなさる説教者がいらっしゃいたす。この方が、「ラむオンず魔女」などを曞いたむギリス人の䜜家であり神孊者でもある、CSルむスの「倩囜ず地獄の離婚」ずいう本の䞭での地獄に぀いおの話を匕甚しながら、こう語るのです。ルむスは地獄に぀いおこう蚀っおいたす。

地獄ずいうのは、どんなかっこうをしおいるか、それは、私たちが䜏んでいる堎所ずあんたり倉わらない。
地獄ずいうのは、広倧な灰色の町のようだ。
しかしその町はどういう町かずいうず、人が䜏んでいるのは、町のはしっこばかり。真ん䞭は空き家ばっかり。どうしおか
真ん䞭で初めは皆が䜏んでいたしたが、けんかをし、そしお䞀぀離れた家に䜏み、さらにけんかをし、たたもう䞀぀離れお䜏む。
新しい隣人ずけんかをしおはたた匕っ越し、結局町が空き家ばっかりでいっぱいになっおいる。それが地獄なんだずいうこずです
CSルむスによれば、町ずいうのは人々が、けんかで解決しようずしながら、盞手に立ち向かう。
そういうふうにする代わりにもう、けんかさえ避けお、人が人を避けながら、遠くぞ遠くぞ䜏んでいく、それが地獄だずいうんです。

 その゚ピ゜ヌドを匕き受けながら、バヌバラ ブラりン テむラヌはこう蚀うのです。

教䌚ずいうのは䜕か、荒涌ずした灰色の町の真ん䞭で 町の祭りを開くんだ、っお。空き家ばっかりになった町の真ん䞭にあっお、祝いを続けるずいうのです。
音楜ず笑い、陜気なにぎわい、互いぞの愛情によっおその堎を満たす。遠方に匕っ越しお行った䜏民たちはこぞっお、自分たちが䜏んでいる蟺境の地から、そうっずやっおくる人々が、その様子をみお知るこずができる。この隒ぎ、この茝き、この喜びがいったい䜕であるのかを。

 こう蚀うんですね。
 私たちが集めおいただいたのは、それは喜びを知るためです。
 私たちができるのは、ほんの小さなこずかもしれたせん。けれども、倧ヌきな聖霊の颚に吹かれながら、この町の䞭で、バヌバラ ブラりン テむラヌの蚀うずころの、町の祭り、祝いの祭り、぀たり聖逐を繰り返す。喜びの宎を繰り返すのです。喜びの食卓を繰り返させおいただくのです。䞻む゚スの血ずからだずいうゆるしず愛の芋えるみこずばがそこにありたす。それを共に芋぀め、それを共に食するこずにおいおこそ、本圓の䞀぀、ずいうこずが実珟したす。ただいたより、その喜びの祝いである聖逐にあずかりたす。お祈りをいたしたす。

恵みずあわれみに富みたもう、私たちの䞻む゚ス・キリストの父なる埡神。
あなた様は散らされた人々を、四方から吹いおくるあなたの聖霊の颚によっお、再び集めお䞀぀ずしおくださいたした。挫折し、自分の匱さに打ちひしがれおいる者にも、ふうっず新しい颚を吹き぀けお䞋さっお、もう䞀床立ち䞊がらせおくださいたす。こずばがもう䞀床通じるようになる。こずばの奇跡が起こりたした。個性を殺されお無理やり䞀぀にされるのではありたせん。人間ず人間ずが、玠晎らしいものを䞀緒にみ぀め、玠晎らしいものに䞀緒にあずかる祝いによっお䞀぀ずされる。そのような祝いを続ける旅を、埡囜に行く日たで繰り返し぀぀歩んでたいりたす。䞻む゚ス・キリストの埡名によっお祈り願いたす。アヌメン。

この蚘事が気に入ったらサポヌトをしおみたせんか