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【雑記】魯迅・梧桐・あおぎり高校・鳳凰・葉天士・我部りえるさん

浅学非才の身にて、齢40を来月に控えた今、ようやく魯迅に触れることになりました。

言うまでもなく、魯迅は近代中国文学の巨星であり、現代中国文学が生まれる道筋を開拓した作家です。

同時に、その改革性と晩年の国民党との対決姿勢は、毛沢東に深く好まれる理由となりました。中国共産党の正統性を誇示するにあたって、これ以上ない逸材となったと言えるでしょう。

魯迅自身は、日中戦争が勃発する前年の1936年に亡くなっているわけですが、そのころから高い名望を誇っていました。毛沢東が「我看要算是中国的第一等圣人(私は彼こそ中国で第一等の聖人と考える)」と発言した事実は、現代にまで残る不動の名声の土台になったとも言えそうです。

ただ、政治的配慮によってのみ作られた名声であれば、それが崩れるのは容易であり、世界にまで広く評価されることはありません。これはロシア未来派の際立った詩人にして、ソ連共産党から「革命詩人」として称えられたウラジーミル・マヤコフスキーと同様であると考えます。

私は早稲田大学に在学中にこのマヤコフスキーに触れて、強く感銘を受けました。ロシア・アヴァンギャルドの専門家であり、マヤコフスキー研究家でもある水野忠夫先生の講義を受けられたことも、間違いなく良い影響であったと思います。

しかしながら、齢20でマヤコフスキーを知った私も、それから同じ年数ほど生きてきて、ようやく魯迅を読んだわけです。すばらしかった。光文社古典新訳文庫版の『故郷/阿Q正伝』です。翻訳は魯迅研究の第一人者である、東京大学名誉教授の藤井省三さんですね。広く知られる岩波文庫版の魯迅研究者、東京大学教授の竹内好さんの翻訳とは異なる、より原文のテイストを大切にした訳文となっています。


■魯迅にて"あおぎり高校"を想う

©あおぎり高校/viviON

この光文社古典新訳文庫版の『故郷/阿Q正伝』で最も気に入ったのは、やはりというべきか、『阿Q正伝』でした。

恥ずかしながら、以前読んだことあると思って動画なり何なりでネタに使っていたこの有名作品。どうやら一部をつまみ読みしただけだった……。実際に読み通してみて、その読書体験に大きな満足を覚えた次第です。

さて、この本には魯迅の自伝的小説もいくつか収載されており、『父の病』もそうした一篇。ここに出てきたのが「古い処方に補助役一種――梧桐の葉――を加えた」という一文でした。

ははあ、そうでした。「梧桐」は"あおぎり"とフリガナがついてあるとおり、植物のアオギリの中国名です。「青桐」とも書きますが、個人的には「梧桐」のほうが好ましく思いますね。

この梧桐。確かに、白居易の長恨歌でその名を見た覚えはありましたが、さてはて、特別に意識したことはありませんでした。

アオギリの花言葉は「秘めた恋」や「秘めた意志」とのこと。かくて想念に浮かんだのが、VTuberグループの"あおぎり高校"さんだったわけです。実に、その個性を象徴しているかのような花言葉ですからね。

とはいえ、ここに留まらざるが、往古より謳われてきた植物の面白いところ。"梧桐"は、さらに新鮮な楽しみを私へと伝えてくれました。

■あおぎり高校から鳳凰へ

凤凰

あおぎり高校、梧桐ときて、話は飛び跳ねていきます。つまり、「梧桐は鳳凰が住む樹である」という話です。

鳳凰は日本でもおなじみの神話の鳥、伝説の鳥ですね。よくその性質的に、西洋のフェニックスと対比されることがある印象です。中国発祥ではあるものの、日本を含むアジア圏に大いにその影響を与えました。「平等院鳳凰堂」などは、その最たるところでしょう。

まさしく"パネェ霊鳥"な鳳凰は、霊泉を口にし、60年に1度だけ結実する竹の実を食し、梧桐の樹にその羽を休めるとされています。

かくのごとき霊鳥の住処が都会にあるはずもなく、伝説に謳われる崑崙山にこそ住まうのだと言い伝えられてきました。翻って、峻険な山を「鳳凰山」と名付ける文化が生まれ、これは中国の湖南省にある山のみならず、日本においても南アルプスの地蔵ヶ岳・観音ヶ岳・薬師ヶ岳の3山を指して呼ばれることになりました。

中国の鳳凰山は大清帝国のあるころに鳳凰県という行政主体を生むにいたり、現代の中華人民共和国においても「湖南省湘西トゥチャ族ミャオ族自治州(湘西土家族苗族自治州)」の最南部に存続しています。

この鳳凰県で有名な観光地が、「鳳凰古城」です。2022年には高速鉄道が開通。「絶景が見られる高速鉄道」として、よりアクセスしやすくなったと言われています。リニアも開通予定だそうですが、ツイッター情報だと「言うほど順風満帆でもないよ」みたいですね……。

■瑞鳥・葉天士・我部りえるさん

©我部りえる/viviON

かわいい。

鳳凰は瑞鳥であり、その卵は不老長寿の霊薬であると言い伝えられています。健やかにして泰平をもたらす、吉兆の顕現とさえ言えるでしょう。

さてもさても、最後に魯迅の『父の病』、ひいては梧桐に翻りましょう。この梧桐の葉を補助薬として漢方の処方に加えたのが、清の乾隆年間に活躍した葉天士です。康煕帝の時代に生まれた葉天士は江蘇省の生まれで、清代の名医としてその名を残しました。

葉天士はまた宮仕えをせず、長く市井にあって庶民の治療に努め、弟子の育成を行いました。その多忙さゆえに自ら著書を残すことはなく、彼の偉業や知識は弟子たちがこれをまとめたとされています。ソクラテスに対するプラトンクセノフォンのような感じですね。

このような名医の葉天士は、死に際して子孫たちに警句を残しました。

「医術とは、容易に為せるものではない。必ずや天資の才能を悟り、万巻の書を読み、そこから術を借りてようやく世を救うことができる。さもなければ、人を殺めることになるだろう。薬餌はまた刀刃と同じだからだ」

現代の医業に、ひいては人生に通じる箴言でしょう。

魯迅もまた医師たることを志して日本に留学。仙台で藤野厳九郎などに学ぶものの、民衆の精神を覚醒させなければ、いかに健康であっても無意味であると考え、ついに人生の目標を医業から変えることになりました。その深い知性もまた、"天資"だったと言えそうです。

鳳凰はまた高貴な鳥であり、「聖天子の出現を待ってこの世に現れる」ともされています。徳高き"聖天子"の現れを告げる霊鳥は、その輝きがあまねく地平の平和を約するとさえ表現できるかもしれません。

清代の"葉天士"は民のなかにあり、長く伝えられてきた東洋医学にさらなる解決の術策を残しました。その教え、その考えは、きっと霊山の頂上に美麗な花が開くように、あらゆる労苦や苦難の果てに至上の成果をもたらす助けになるはずです。

それで、でございます。

あおぎり高校に所属の教育実習生「我部りえる」さんは、現在ゆったりとご体調を整えるためにお休みのなかにありますが、いずれ良い形でご復帰されると思い、願うものです。何しろ、聖なる"天使"でございますので。

最後にお気に入りのVTuberさんアピールだけしようと決めて、魯迅からノープランで書き連ねてきましたが、なかなかの着地点を見つけられたのではないでしょうか。

ひいきの引き倒しになってはいけませんので、無理無謀に付加することはないものの、せっかく"あおぎり高校"の話をするのなら……ということで、ひとつの落着とさせていただきました。

魯迅が革命期に激動の人生を送ったように、我部りえるさんにも、またこの記事をご覧の皆様にも、存分に吉凶定かならぬ人生があろうと思います。

それは苦しき貧困であり、願望の未達であり、望まぬ現状であり、ままならぬ人間関係かもしれません。

されど、この記事はそれらを解決しません。もとより、私にその解決力はないでしょう。なればこそ、純然たる懇望をもって、万事の向上の"揚力"が身の内から湧き上がることを祈念するものです。

平穏にて、良き日々を。

命を革めるのは、激動や暴虐のみならず、むしろ静穏から生まれいでる活力こそが最重要であると、私は考えております。

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