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出産に立ち会った夫目線の出産レポ
出産レポを前編・後編と分けて投稿しましたが、出産に立ち会った夫が当日に家で一人で備忘録として書き残していたものもあるので公開したいと思います。
当日の夜中に夫からこれが送られてきて、病室で一人読んで泣きました。
今思えばお互いに産後ハイだった。笑
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以下は、夫が書いた文章に私が公開用に修正、誤字脱字の訂正を加えたものになります。
出産前から名前を決めていたため、赤ちゃんのことを名前で呼ぶ表現があります。
その部分は「○○くん」と修正しました。
ちなみに、夫は看護師なので少し医療者目線な部分があります。
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12月5日 komari ○○くんを産む
前日の日曜に
「残り予定日は3日後だし早く産みたいね」
と2人で話をしながら近くの里山公園を散歩。
komari「もう早く産みたい。もやもやする。お腹張るし陣痛かな?」
と呑気に会話しながら出産前、最後のお散歩ついでに近所のお魚広場で寿司とてんぷらの定食を食べて2人ご満悦で帰る。
その夜12時にサッカーW杯の日本VSクロアチアをみるためスタンバイ。
しかし、開始と思う時間間際に24時間後の日程と気づきその後就寝。
12月5日朝
komari「なんかお腹が張るなあ、痛み3.5(自覚スケールMAX10段階)かな。起きて立ったら痛みがでてきた。」
夫「大丈夫?」
komari「うん。多分」
俺がkomariの作ったトーストを食べ
「行っちゃうぞ、大丈夫か?」
と出勤直前に声をかけると、トイレで
「これおしるしじゃないかも」と。
出血のまわりにわずかに黄色味がかかったほぼ透明の液体がナプキンについていた。
さらに「どんどんでてきた。」
病院に連絡し予定時間9時より少し前に到着。陣痛間隔が10分以内で続き、子宮口は2cm開大。
破水かはっきりしないので途中帰宅の可能性があるものの入院となった。
11時頃よりNSTを装着すると40ほどの数値が5、6分間隔でおき、まだ強くなるのかな、と心配のさなか昼食後は痛みが70、80と計測されるようになる。
胎児心拍は120~150位。
痛みMAX10の主観値ではこの時に8位と、14時か15時頃には痛みが100を超えて計測。
「子宮口は4cmでこれから拡大ペースがあがる。期待はさせられないけど明日の朝までには生まれるんじゃないか」と助産師さん。
komariはそんなに長いのと絶望する。
16時半頃にDrと別の助産師さんに陣痛促進薬を使うよと不躾に同意書のサインを求められる。
内容を確認し、komariと同意のもと署名。
この時100を陣痛カウンター(MP)は超えていた。
薬はいらないくらい陣痛がありそう、と思った。
17時、助産師さんの交代でkomariが陣痛で苦悶の表情で悶える中
「痛いね~痛いね」と笑いながら登場。
この人大丈夫か、と心配になる。
しかし、その後陣痛促進薬を使わず経過を見てくれており、komariの痛みの推移の仕方、マッサージの仕方を教えてくれた。
陣痛カウンターで127とグラフの一番上を突き抜けるような線が出ており、痛みとともにkomariは「出そう。お尻押して。」と一番辛そうな表情となる。
頼むから無事でいてくれ。
親元から離れて俺を頼りに痛みに耐えている姿をみたら泣けてきてしまう。
内診で子宮口が9cm。
「あと少し、もう産めるよ」
分娩の準備がワゴンの清潔野で行われる中、カーテン越しに待たされている時も分娩状況が気になり何度もカーテンを開けていると
「ご主人、何度も開けるなっていってもすぐ開けちゃうの。しばらく廊下で待ってて」
と退場を言い渡される。
再度入室許可を得た際はすでにkomariが分娩体位になっていた。再会したkomariは俺を見て安心した表情に見えた。
もうあと少し。無事に生んでくれ!
陣痛間隔が2分以内に、陣痛カウンターが120となるとともに息が荒くなり呼吸を整えて力強くいきむkomari。
助産師さんは
「上手だね。本当に大丈夫だよ」
「少し(いきむ時間が)短いけどちょっとずつ(赤ちゃんが)押されてるよ」
とkomariを励ましながら(赤ちゃんの)頭の位置を確認、ガーゼで産道部分をふいていた。
助産師さん2人に
「足をひらいて骨盤が広がるように猫がくにゃんと曲がるようにしてお尻を下に抑えるように」
「呼吸を整えて息を吸った状態で一番痛いとこでいきんで」
と言われ同じようなことをkomariの前で声掛けしていった。
分娩体位になってから隣の分娩室も子宮口MAXの妊婦がいたようだが、いよいよkomariが産む態勢のためフルサポートだった。
どうしても俺が下の方をのぞき込もうをするのもあり
「そろそろ生まれるからちゃんと上の方が写るようカメラを構えてて」
と促された。
komariが最後のいきむあたりで胎児が引っかかる部分も自覚して、最大限のいきみをし、俺の場所から(赤ちゃんの)頭が見えてきた。
そこでDrが呼ばれ麻酔と会陰切開をハサミで行い、最後の最後のkomariのいきみで○○くんが生まれた。
しっかりとした顔が見え、産声も聞こえた。
komariも、酸欠っぽい顔色もなくやりきった顔をしていて安心した。
あとは○○くんの写真を無事に撮影し、へその緒や胎盤の処置のために退室を命じられ素直に従った。
komari、無事に○○くんを産んでくれてありがとう。
こんなに家族が増えるのが幸せで感動するとは思わなかったし、安心感から涙が出てきた。
俺が生まれる時もkomariが生まれる時も、お母さんはkomariのように必死に痛みを感じながら産んでくれたありがたみを感じた。
あの世にいる実母への漠然とした報告と、komariの両親、実父にラインで報告をした。
komariも○○くんもよく頑張った。
みんなありがとう。
助産師さんには邪険に扱われたけどフルサポートしてもらったので遺恨もないです。
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