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シエナの夏

私は、1988年の夏をシエナで過ごしました。シエナでみんなが歌っている動画を見てその時のことを思い出しました。

父がシエナ大学に呼ばれたのについていったのです。シエナはイタリアのトスカーナ州の中部に位置する町で、中世には金融業で栄えた都市国家です。ドゥオーモを中心とした旧市街は世界遺産にも登録されています。

 シエナ大学が借りてくれたのはポンティニャーノという修道院を改装したホテルでした。値段はぼんやりとしか覚えていないのですが、一泊2000円ぐらいでシーツを交換すると300円タオルは100円という感じで宿泊施設としては格安でした。自分でシーツなどは洗濯したので、かなり安く過ごせたはずです。分厚い石造りの建物は、外がいくら暑くなっても涼しくとても快適に過ごせました。シャワーしかありませんでしたが、乾燥しているイタリアの気候では気になることはありませんでした。

 ここで父は岩波新書『経済学の考え方』を書きます。突然思い立ったので、原稿用紙も手元になく、母が白い紙に原稿用紙のマス目を切ってそれをシエナの町でコピーして使ったのです。その当時はまたネットなど繋がる環境でもなく、父はあの経済史にまつわる話を自分の頭の中にある知識だけで書いたのですが、本当に驚きです。細かい年号や人の名前も間違いがほとんどなかったと聞いています。「一度読んだ本を読み返すことはないんだよね。」と言っておりました。幼い頃はふ〜〜んそんなものなのねと当たり前のように聞いていましたが、それはそれはすごいことだということに気がついたのは、そんなに昔のことではありません。そんな才を受け継げなかったのは本当に残念です。


 さて、シエナの町の中心部から1日8本くらいしかないバスで30分ぐらい行ったところにあるこの元修道院は見渡すばかりのブドウ畑の中にありました。トスカーナワインになるぶどう達です。近くのワイン醸造家をを訪ね、身振り手振りでワインを分けてもらいました。ワインの樽をトントンと叩きながらこの年はこんな感じとイタリア語で一生懸命説明してくれました。片言のイタリア語と英語で対話しオススメを購入しました。味はとんと覚えていないのですが、今でも、トスカーナワインを飲むとあのブドウ畑を思い出します。

 父はジョギングが好きで、トスカーナ地方のぶどう畑の中を、酒瓶をぶら下げてトコトコと走っていき、ワインを買って帰って帰り、ひたすら執筆するという生活をしていました。あの仙人にようなヒゲをなびかせて、ぶどう畑の中を行く姿はなんとも絵になりました。大した不自由がなく魔法の水が入手できる環境に父はとても満足していました。名誉のために付け加えますと、色々な雑務から解放されて、執筆に専念できるということが一番だった。。。はずです。

 父はそんな感じでしたが、母と私は1日何本かのバスに合わせて、街中におりていき、食料品やら日用品を入手して、ジェラートなどをなめつつバスの時間を待ったものです。とても美味しくて、注文をスムーズにするために色々な果物の名前をイタリア語で覚えるのも楽しかったのです。パイナップルはAnanas(アナナス)で、バナナとよく似ていて、
「どっちだい?」
「おすすめなほう」
「どっちもだよ!」
「じゃあダブルで!」
などという会話を身振り手振りですることでなんとなく心が通じるような気がして幸せでした。

 シエナの町にはスーパーマーケットのようなものもありましたが、小さな商店で買う方がずっと美味しいので、お店をはしごして色々買い物をしました。モッツアレラチーズがお豆腐のような感覚で、その日の出来立てを買うことも知りました。何回も行くのでそのうち覚えてくれて、職人気質のちょっと強面の大将が行くと「うむ」という感じで袋に入れてくれました。様々なハムやサラミが所狭しと並んでいるショーケースの中を指さし身振り手振りで注文したことなど昨日のことのようです。

「200g」「え?そんなぽっちりでいいの??」なんていう会話も懐かしいです。

 私が過ごした夏はもう30年以上前です。動画の中の変わらぬ街並みがありました。我々異邦人を受けて入れてくれたあの温かな町の人々に想いを馳せています。ともに前に進んでいいきましょう。素敵な歌声をありがとうございます!!またシエナを訪れる日をたのしみにしています!


※一般的にはシエーナと書くようですが、宇沢家ではシエナシエナと言っていたのでシエナと書いています。


https://www.youtube.com/watch?v=hDu_kLJ-5Mk


経済学の考え方 1989年岩波新書

https://bookmeter.com/books/452722

 

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