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虚像の世界

小学校二年生の頃と思いますが、夜、父に連れられ大井町線に乗っていたときのことです、僕はドアのガラスの所に立っていたのですが、僕の背がちょうど眼の高さでドアのガラスの下のはじの辺りであったと思います。
ガラスの向こうに写る自分の姿を見ていたのですが、突然そのガラスに自分の足の先まで正確に写っていることを発見し愕然としました。
たぶんそれまでは背が低くガラスの向こう側のそんな角度の浅い下のところまで覗いたことが無かったのと、ガラスに写る姿は全て非現実の虚像の世界と思っていたのにそんなに詳細な所までさぼらずにちゃんとやっているということに驚いたのかも知れません。
とにかくものすごく驚き、家に帰ってから、しばらくは鏡の前で色々な角度で物を写して見ていました。
その時に沸いた疑問は、鏡に写り得ない部分は像として存在するのかという問題です。もちろんそのような言葉で表現できるようになったのはつい最近のことですが、その当時の言葉で言えぼ「僕の頭の裏側は在るのだけれど、どうなってるの?」というような事だったと思いますが。
でも、「大丈夫、君の頭は後ろ側もいつもちゃんと有るよ」といっている父に「全人類ロボット仮説」が成立しているかもしれないのですから。

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