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監督WARと共に振り返る、伊東監督との5年間。

2019年も残すところ今日だけです。と投稿していたら、2020年となっていました。Syu.です。

皆さん明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願い致します。
さて先日、こちらの本を読みました。

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宝島社から出版されてるお股ニキさんの著書「なぜ日本人メジャーリーガーにはパ出身者が多いのか」を読みました。そこで取り上げられてた章に監督WARという項目がありました。

そこには『4年間、監督WAR(後ほど説明)がトップの伊東采配には何かあるのではないか』という趣旨の発言が。
そして『単純に考えて、伊東監督の存在によって毎年戦力より10勝近く多い勝利がもたらされたことになる』(本文p.84参照)と。

伊東監督の功績は素晴らしいものがあります。私は伊東監督が好きだった為、この機会に伊東政権を振り返ると共に、また監督WARに少し興味関心が湧いたので、今回はそれについて少し考えてみようと思います。

①伊東政権の5年間を振り返る

ここで5年間を振り返ってみます。
◯2013年: 74勝68敗2分 (3位)
就任初年度はドラフト指名した4人(松永昂大、川満寛弥、田村龍弘、加藤翔平)に加えて、巨人からゴンザレス投手、かつての教え子G.G.佐藤外野手を獲得、育成から西野勇士を支配下登録で補強完了。これで勝てるのか… 前年から戦力はほぼ変わらず、下馬評も高くありませんでした。

しかし開幕すると予想を上回る快進撃が。
開幕1ヶ月は勝率5割(13勝13敗)で終えましたが、5月初日から8連勝で首位に浮上すると、交流戦でも6連勝、一躍パ・リーグの主役となりました。夏場以降は仙台が鬼門となるも、8月に6カード連続勝ち越しと粘りを見せ優勝戦線に喰らい付きました。最終戦で3位に転落も、CSファーストステージは突破。ファイナルステージでは楽天に敗退も伊東政権1年目は上々のシーズンでした。現監督の井口資仁が日米通算2000本安打達成、一方で05年、10年の日本一に貢献した小野晋吾、薮田安彦両投手が引退しました。

◯2014年:66勝76敗2分 (4位)
FAで涌井秀章が加入。
開幕5連敗も4月下旬の5連勝、5月に6連勝と持ち直すも、交流戦明け以降はBクラスに低迷しそのまま4位で終えます。それでも夏場にキューバの主砲・デスパイネが加入し45試合で12本塁打を放ち、8月には9回に5点差を逆転サヨナラ勝ち、石川歩の新人王獲得など希望もありました。正捕手・里崎智也が引退しました。

◯2015年: 73勝69敗1分 (3位)
05年、10年と5年周期の日本一を理由にゴールデンイヤーと銘打って挑んだシーズン。
交流戦までは5割ラインでの戦いが目立ちましたが、7月に7連敗を喫し3位埼玉西武に6ゲーム差を付けられ球宴休みに。しかし後半戦2カード目から7連勝で5割復帰、埼玉西武の13連敗も相まって3位に浮上し、ここから熾烈なCS争いへ…。
9月に本拠地で西武との直接対決3連敗でCS争いから後退。更に131試合目で借金6を抱える状況… しかしここから12勝2敗で2年ぶりのAクラスに入り、CSファーストステージ突破。

◯2016年: 72勝68敗3分 (3位)
開幕から好調を維持しパ・リーグを引っ張る形に。特にブルペン陣が強力で伊東帝国、逆転のロッテと称されました。交流戦まではソフトバンクとの首位争いを演じるも、球宴前から7連敗を喫し、気づけば3位を独り旅。貯金4は昨年と変わらず、何事もなかったかのようにCSもファーストステージ敗退。ロッテ愛に溢れたサブローが現役生活に別れを告げました。

◯2017年: 54勝87敗2分 (6位)
悪夢でしかありません。チーム打率1割台、5月に自力優勝消滅… 8月に伊東監督辞任発表… 希望は井口引退試合での奇跡の同点2ランでしたかね。書く内容も乏しい一年でした。

②監督WARから見る、伊東監督の手腕


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本題はここからです。ではなぜ、この限られた戦力の中、いかにして伊東監督は5年間で3度のAクラスに導いたのか。その過程を見ます。こちらは伊東監督の監督WARを表にしたものです。(お股ニキさんの著書を参考にさせていただきました)

ここでセイバーメトリクス用語であるWARと、監督WARについての計算、算出方法について説明したいと思います。なお、ここで出る値は2013年の記録がない為2014年以降のものとなっています。

WAR(Wins Above Replacement)とは、打撃、走塁、守備、投球を総合的に評価して選手の貢献度を表す指標である。同じ出場機会分を最小のコストで代替可能な控え選手(リプレイスメント・レベルの選手)が出場する場合に比べてどれだけチームの勝利数を増やしたかによって計算される。(https://1point02.jp/op/gnav/glossary/gls_explanation.aspx?eid=20031)より
基本勝利数=試合数×22.1%
見込勝利数=投打WARの合計+基本勝利数
監督WAR=チーム勝利数−見込勝利数 

つまり、その選手が出る事で何勝分の上積みが見込めるのかという評価の事です。それを監督に当てはめたものを監督WARと称しているようです。

要するにロッテは伊東監督のおかげで毎年、10勝近くの上積みがなされていたという事になります。就任当初の伊東監督は「俺が最大の補強だ」と仰っていましたが、まさにその通りでした。

では、どのような手腕で10勝近くの上積みを体現したのでしょうか。その前にこちらがロッテの投打WAR一覧です。

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◯「投手」
まずは育成だった西野勇士の支配下登録でした。そのまま13年シーズンは春先からローテ入りしチーム最多の9勝をマーク。夏場に一時離脱してなければ二桁勝利もありました。
交流戦明けからは古谷拓哉が9勝を記録、またローテの谷間では、大嶺祐太や阿部和成の奮闘も光りま、前年未勝利だった投手だけで30勝近くの上積みがありました。

次に一つデータを入れます。この数字は1点差試合の勝率です。

2013年:26勝17敗①
2014年:24勝16敗①
2015年:25勝19敗②
2016年:25勝22敗②
2017年:18勝20敗③

ここから、いかに接戦に強かったかという事が分かると思います。1点差試合の勝率に関してはその監督の采配力が問われます。ここから伊東監督の凄さが証明されてます。ロッテはこの5年間毎年、高い水準で粘り強さを発揮してたと言えるのではないでしょうか。

伊東政権で特に印象的だったのは中継ぎ、ロングリリーフ(俗に言うBチームのリリーフ)の扱い方だったと思います。この枠では主力級ではなく、中堅で一皮向けきれないような投手たちが沢山輝いていたと思います。

例えば、13年の上野大樹、服部泰卓、中郷大樹はいずれも35試合〜50試合前後の登板を果たし、15年には香月良仁が40試合で防御率2点台を記録、その翌年には南昌輝もその枠から勝ちパターンにも入り57試合に登板しました。
またチェン、田中靖洋といった他球団からの選手もロッテで再生され、この2人は今のチームに貴重な戦力となってくれています。そしてロングリリーフで輝きを見せた藤岡貴裕の存在は凄く大きかったです。藤岡の好投から流れが変わり、逆転するケースは多々あったかなと。イ・デウンも一時的にその枠で好投してた印象があります。

試合序盤で先発が崩れたときの立て直し役、捨て試合と判断を下したら無理をさせずといったように、このBチームのリリーフの使い方が上手かったように思えます。そこは投手コーチの影響も大きいかもしれませんが。伊東監督の監督WARが比較的高い理由の一つには、中継ぎから逆算する試合展開が多かった事が挙げられるのではないでしょうか。実際、監督WAR最高値を記録してる16年はブルペンの強みから別称伊東帝国、逆転のロッテと称されてました。


またAチームの中継ぎでは14年に前年先発でブレークを果たした西野が抑え、同じく夏場に先発ローテ入りもやや不振だった大谷智久をセットアッパーに据え共に防御率1点台を記録しました。西野は12年オフの秋季キャンプで、大谷は14年の春季キャンプでそれぞれ「いい球を投げる」と評していました。翌年のAクラス復帰にも大きく貢献しました。やはり捕手出身監督とあって多くの投手の球を受けてきたこともあって、その目利きの良さは優れていると感じます。

◯「野手」
野手では角中勝也、鈴木大地が主軸として君臨した5年間でしたが、総合的に見ると主軸として育った選手は彼ら以外、微妙なところです。それは野手WARが如実に表しており、13〜14点台と全球団でも中位から下位に終わってます。その数値も上記の2人、特に角中は16年首位打者に輝き、絶対的4番デスパイネ、15年打率4位、ベストナイン、GG賞の清田で構成されていると思います。13年シーズンから見ていこうと思います。

1年目には、送球難の根元俊一を遊撃から二塁にコンバートし、空いた遊撃には堅実で活発な鈴木、そして38歳とベテランの井口は慣れ親しんだ二塁から一塁へ。守備の負担が減った井口はこの年3番で打率.297、23本、83打点を挙げ、鈴木大地は翌年主将に就任し、今年まで精神的支柱としてチームを引っ張ってくれました。また、打率.325を記録した今江敏晃を初めて4番に据え完走させました。

15年、16年には中堅の高濱卓也、細谷圭、伊志嶺翔太らを上手く起用し活躍の可能性を広げました。最下位に沈み、采配の批判が多々見受けられた17年はもう、どうしようもなく手に負えない状態で、取っ替え引っ替え選手の入れ替えも頻繁にありました。野手WAR4.1は1選手分相当のレベルでしたから…
それでも、夏場から中村奨吾、加藤翔平を辛抱強く起用し、特に中村は井口政権になり二塁の主力へと成長してきました。彼の活躍は伊東監督1つの置き土産かもしれません。2020年代以降、更なる成績を残してチームを頂点に導いて欲しいです。伊東監督は彼をトリプルスリーが達成出来る、山田哲人になれる逸材と評してました。

こうしてみると野手に関しては育成というよりかは、やり繰り上手だったという印象が強かったです。具体的な選手名が少なかったで申し訳ないですが…。野手に限らず、投手に関してもですが、中堅選手の個性を引き出す点が目立ったかと。

③マリーンズの将来を明るく変えたドラフト戦略

バレンタイン監督時代の投手重視ドラフト、西村監督時代の少数精鋭ドラフト。これによりチームの編成に大きく歪みが生じました。今年、福浦和也が惜しまれつつ引退しましたが、現段階でロッテが今後、盛大な引退試合を行う機会は無いと思います。それもこの影響が大きいのではないでしょうか。

そんな状況が伊東監督就任後に変わりました。初年度こそ4人と少人数ドラフトでしたが、まず、就任直後のドラフトで当時、光星学院(現、八戸学院光星)で中軸を担い甲子園準優勝を果たした捕手、田村龍弘を指名。やはり捕手出身監督ということもあり一流捕手を育てたいという気概が感じられました。またこの時期、里崎智也が衰退期を迎えてた事もあったので、彼を指名出来たことはとても大きかったです。

先程、野手の項目で説明しませんでしたが、この田村の成長は伊東監督最大の遺産でしょう。高卒3年目で100試合出場、盗塁阻止率3割超え、翌年ベストナイン獲得。しばらく安泰の正捕手を確立しました。来年以降は打力に磨きをかけてもらいたいです。

その後は6人から7人ずつ毎年指名、伊東政権前期は投打バランスよく指名してましたが後期は投手中心となりました。しかし、松永昂大、石川歩、中村奨吾、平沢大河、佐々木千隼と1位指名は一軍の戦力になって(なりかけて)います。

そして1番目立って今に継がれているのは毎年のように素材型高校生投手の指名を続けてきたこと。

・二木康太(13年6位)
・岩下大輝(14年3位)
・成田翔(15年3位)
・原嵩(15年5位)、
・島孝明(16年3位→引退)
・種市篤暉(16年6位)

今年は二木、岩下、種市が一軍で活躍しており、成田、原も2020年は一軍でその姿を見せてくれると思います。ドラフト戦略と一貫した投手育成方法によって、今のロッテは投手の若い有望株が揃ってきました。

投手に有望株が集まり育てば、ドラフト上位で野手のコアも指名しやすいです。実際、井口監督就任後は超高校級野手、安田尚憲、藤原恭大を2年続けて指名し、くじ引きの末獲得しています。今年は令和の怪物、佐々木朗希を獲得しました。


④伊東政権がロッテに与えたものとは

2010年代は前半から半ばにかけて球団が赤字を抱えてる中、それを削減する努力に大々的な補強が厳しく選手層の薄いロッテにおいて、このチームを勝たせられる監督は伊東勤氏以外に見当たらなかったと思います。誰もが思うでしょうが、この5年間で3度もAクラスに入れたことは素晴らしいです。

しかし、この戦い方(特に中継ぎを活かしきった戦い、粘り強い野球)では3位が限界だったとも思いますし、それも証明されています。この先、千葉ロッテマリーンズが3位より上に行くためには、投打ともに絶対的なコアを築き上げることです。事実、伊東監督は17年シーズン続投に向けて「優勝する為の戦力補強を」とフロントに訴えていました。しかし、中々満足の行く補強ではなく、軋轢が生じて最終的には最下位という形でこのチームから去ってしまいました…。

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今でも伊東監督にはこのチームに希望を与えて下さった感謝の気持ちと、このような形に終わって申し訳ない気持ちが入り混じっています。勝ち方を知らない未熟なチームに対し勝つ喜び、勝ち方を伝授してもらいました。あのときの伊東監督のお陰で優勝出来たんだ、と言える日が来ればいいと思ってます。

⑤まとめ、最後に。

①絶対的正捕手の育成: 田村の成長
②選手抜擢の目利きの良さ。
③B組リリーフの起用(ロングリリーフ、2番手中継ぎの活躍、劣勢と判断したら無理しない、継投レバレッジの擁立)
④ドラフトにおける将来性。

この①②③を中心に(探れば他にもあるでしょうが)勝負勘、思い切った采配を振るっていたかなと。そして将来性豊かなチーム作りの根本を築いてくれました。ここに挙げた以外にもいい部分、今回は取り上げてませんが、悪い面もあったと思います。しかし、総括すればいい監督です。私は伊東マリーンズ大好きでした。勿論、井口マリーンズも好きです。2020年こそ結果を残して欲しいです。

最後に、昨年の途中からnoteを始めましたが途轍もなく纏まりのない稚拙な文章で、自分でも至らぬ点が多くあると思います。今年も忙しくなりますが、もう少しいいものが書けるように精進したいです。

昨年は1年間本当にありがとうございました。本年もよろしくお願い致します!




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