_ホーム2005袖

私家版・プロ野球ユニフォーム史 2004-2020 Vol.6

【東北楽天ゴールデンイーグルス①】

・球団創設(2004)

 2004年・秋、東北楽天ゴールデンイーグルスはNPBへの新規参入が承認された。チームが結成された直後、大阪近鉄バファローズのファーム本拠地であった藤井寺球場にて秋季キャンプを開催。この時はまだ新しいユニフォームが作られずに、真っ白な無地の練習着に楽天のロゴをつけて用意されていた。まったくのゼロからのスタートを象徴するシーンであったといっていいだろう。

・ホーム(2005〜2017・2018〜2019・20120~)

①ホーム2005

 2005年シーズンより歴史の幕を開けたイーグルス。まったく新しい球団の誕生によって注目された初代ユニフォームは、白地にクリムゾンレッド(えんじ色)のカラーリング。県営宮城球場から改修された本拠地・クリネックススタジアム宮城(現・楽天生命パーク)の真新しいスタンドなど、球場のカラーとマッチする色合いとなった。青森から秋田に広がる世界遺産の白神山地に生息する天然記念物・イヌワシの翼をイメージしたロゴが胸に入る。本拠地で初めて開催された公式戦では、このユニフォームをまとった初代キャプテン・礒部公一が先頭打者ホームランを放つなど躍動。大阪近鉄バファローズの幕引きからイーグルスの幕開け、という歴史の大きな転換点となった。2011年からは背番号のフォントが変更。日本一に輝いた2013年、東日本大震災に傷ついた多くの人々を勇気づけたことは間違いない。

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 ミズノ、デサント、マジェスティックとサプライヤーを変えながら13シーズンにわたり着用してきたホームユニフォームは、2018年にマイナーチェンジ。襟と袖口に赤と金色のラインが加わり、背番号のフォントも再び変更された。

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 2020年、サプライヤーがミズノへ変更されることにともない、再びマイナーチェンジ。襟のラインが消え、袖のラインが赤・金色・赤というカラーリングとなる。デザインを大きく変えてはいないため、球団創設以来のユニフォームのイメージは保たれている。

 イベントのユニフォームでチャレンジする一方で、普段から着用するホーム・ビジターユニフォームは一定のデザインを長期間にわたり使用していくという姿勢は高く評価したい。


・ビジター(2005〜2009・2010〜2017・2018〜2019・2020~)

 ビジターユニフォームはこれまで楽天本社のイメージカラーでもあるクリムゾンレッドで全身を覆うデザインで統一されている。胸のロゴはユニフォーム変更のたびに楽天本社のロゴに近づけられている。あくまで忖度なしに親会社の都合であるとはっきりしているので、いっそわかりやすい。サッカーの世界でもJリーグのヴィッセル神戸を運営するだけでなくリーガ・エスパニョーラのFCバルセロナともパートナーシップを結び、あらゆる場面で目にすることの多いRakutenのロゴはひとつのブランドにまで押し上げられていった。イーグルスもそうしたコンテンツの中のひとつ、と表現するといかにも冷たい印象を持たれるかもしれないが、プロスポーツの経営としてはこれがひとつの正解と提示されているのだと言われたら、それまでだ。

②ビジター2005

 初代のビジターユニフォームには白いラインが加えられた。胸のロゴはRAKUTEN。「TOHOKU」や「SENDAI」の文字は入れられなかったのか、と思いつつも、新しいチームの新しいユニフォーム、新しいカラーが、交流戦も含めた各地の球場を駆けまわっていく姿は新鮮そのものだった。

②ビジター2010

2010年から胸のロゴはRakutenに変更。2013年にリーグ優勝を決めた西武ドーム(現・メットライフドーム)の試合で着用していたのはこのデザイン。決勝タイムリーを放ったアンドリュー・ジョーンズと、歓喜と涙が交錯するスタンドのファンの姿が今も鮮烈な記憶が残っている。

②ビジター2018

 2018年からロゴが変更。白いラインは襟と袖口に移動し、これだけの変更でクリムゾンレッドの範囲が広がったように見えるのが不思議だ。

ビジターユニフォーム(2020年)

 2020年に採用されたデザインは、ホーム同様に襟のラインがなくなり、袖のラインは白・金色・白に変更された。また、ホームには残されているもののビジターでは胸番号がなくなった。

 石井一久GMの手腕によって補強が進んでいることを考慮すると、ビジターユニフォームのクリムゾンレッドは他球団にとってますます脅威となりそうである。

【東北楽天ゴールデンイーグルス②につづく】

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