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小田桐の日々 あるいはおれの代わりはいないこと

「ペルソナ3は人生」と多くの人が言う。

限られた時間の生と死の疑似体験をさせようと期して作られたゲームなのだからコンセプト的にも正しい。ぼくにとってもペルソナ3は人生にうちたてられたゲームであった、ここから少なからず人生が変わったとおもっている。

でもそれは普遍的にみんなにとってその価値があるはずだとかは思わなくて、たまたまぼくの人生の時間とタイミングにハマったものがペルソナ3だっただけだとおもうのだ。いうなら「思い出補正」というやつだ。

でもその「思い出補正」と「人生」が絡み合って腑に落ちさせるのがペルソナ3という体験でもあって、「生の一回性」や「自分の人生を引き受けること」のことなどを考えるとき、ぼくはいつでも小田桐のことを想う。


自分を生きるということ

ペルソナ3のもととなっている思想の本のひとつにハイデガーの『存在と時間』がある。

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まあゼミ室だと思って ゲーム考察ブログ『湖底より愛とかこめて』の照二朗が管を巻く勉強室でゆっくりして…

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