「貴族とは騎士」のヴァリエーション
めっきり寒すぎる今日このごろだけど、ようやく長時間座っていられるようになり『メタファー:リファンタジオ』をプレイしているよ!
序盤レビューと、序盤からムンムンに入れ込まれているテーマモチーフの読解は上記事にすでにまとめてある。
今週中にも一周目が終わりそうであるので、12月からはリハビリがてらYoutubeチャンネルで読解実況をしていくつもりだ。みてね。
今回は『メタファー』のテーマの真ん中からは脇の部分の余談、作中の「貴族」「騎士」の扱いについてつらつらと。
「貴族とは騎士」そもそも論
ブログ読者のかたならぼくが「高貴」にやたらと興味のある権威主義にとりつかれた変なやつだとご存知だとおもう。
今作もまた「高貴とは何か」について語っているぼくの大好きなテーマの作品なわけだが、そういう好き作品の代表的なひとつに『パレドゥレーヌ』がある。
『パレドゥレーヌ』のほかに見ないすばらしポイントは「領主=王侯貴族は本来的に全員騎士である」という現実のヨーロッパにもあった前提を全編にわたって示しまくるところだ。この前提は、言語化されないが『ファイアーエムブレム』シリーズでもフツーにそうなっている(ソシアルナイト系やアーマーナイト系の板金鎧ユニット)。
日本の文化では「貴族」と「騎馬戦闘を行う者(武者)」はかなり早期にぜんぜんちがう社会グループに分化しており、それらがおなじ人たちだったのは平安時代中期くらいまで。武家社会、ことに江戸時代の文化が色濃い現代の社会意識には感覚が残っていない。
一方ヨーロッパの多くの国では現代でも王侯は戦時となれば積極的に戦地に向かうべきとみなされ、若き日の故エリザベス二世女王陛下も物資輸送車を駆っておられた。日本人はフィクションの舞台として王侯貴族や騎士のいる中世〜近世のヨーロッパ的社会を好むが、そこは日本とはちょっとちがう「貴族ってそもそも騎士」という常識のある世界(ちょっと違う常識を見て自分の常識を相対的に見直せるところがまたいい)なのだ。
しかし『メタファー』には、この「貴族とは騎士」というヨーロッパ的社会の前提がちゃんと存在したう〜え〜で、からの〜? 「貴族」キャラと「騎士」キャラが明確に別に存在する。それがおもしろい。
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