ぬけがら

抜け殻になってる。

そんな自分が思うことを書き留めておく。


誰かが疲れたと言うと、それを聞いた人がもっと疲れてしまう。

誰かがやる気がないと、周りの人のやる気もなくなってしまう。

だから、疲れたとか、やりたくないとか、絶対に言いたくない。

し、聞きたくない。

だけど、

本当のことはいつも知りたい。本当の声をいつも聴きたい。

だから、疲れたなら、休みたいなら、やりたくないなら、それを聴きたいし、時々は、伝えなくちゃいけない。

だけど、何が本当なのか本当に分からない。本当に疲れてるの?やりたくないの?甘えてるだけなの?これは何かのSOSなの?

昨日まで地球の言葉で話し合えて分かり合えてたはずの人が、

今日、突然、宇宙語を話し出す。

その瞬間、会話はできなくなる。

それが、どんなに親しい人でも。

結局、言葉は無意味なものかなと思う。

誰だってそう。

私の言葉が誰にも届かないこともある。

誰が正しいかも分からない。

何をやりたいかも分からない。

たった一つ信じていたことが揺らいだ時に

何を信じたら良いのかな。

言葉が全部噓だとしたら、その行動だけを信じたい。

言葉が通じない外国の人だって、嫌な人は嫌だし、好きな人は好き。

言葉をこえて、気持ちは伝わる。

その人の態度で、その人の表情で、その人の思いは溢れ出している。

きっと自分もそうだ。

それを感じとりたい。

疲れたと、やりたくない、と叫んでいる人は、

誰かに助けてほしいのか、優しい言葉をかけてほしいのか、

私を嫌いだ、会いたくない、と叫んでいる人は、

側にいてほしいのかもしれない。

寂しい思いをしているのかもしれない。


そんなことを考えだしたら、自分は依存心の強すぎる、全てを自分の都合の良いように判断する人間になってしまっているみたい。


出会いも別れもあって当たり前。

自分は前を向いて進むだけ。


今の本当の自分は、

何を目指したいんだろう?どんな人間になりたいんだろう?

答えなんて出るのかな?

答えが出ないから目の前のことをがむしゃらにやってきたんだろうな。


きっとちょっといろんなことに疲れてるんだとしたら、

思いっきり休んでみるのが良いのかなって思う。

それにしたって、最近の私は、眠りすぎかもしれないけど。










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