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scene3 父ふたり📒#『私の物語』#自分育て#Find It#私はどうしてお花畑脳に育ったのか。このままでいいのだろうか。

母の亡き後、その桜の樹のあるアパートで実父と暮していたのは数ヶ月だったと思います。

禅僧だった父は、3歳の私を彼の親友にに託して托鉢の旅に出ます。

父は、私の生まれる以前から、彼の親友と新興宗教を立ち上げる野心を抱いていました。その名を『真理仏教会』とし、私の名前の由来です。(このために私は最近まで自分の名前の漢字表記に抵抗がありました。父が成功していたら、私は教祖の娘になっているところでした。)

「仏は1人1人の心の内にある。宗教は形を持ってはいけない」その思想のもとに、寺を出た父は、人々から内なる仏を
引き出す力を得るために托鉢修行の放浪の旅に出たのです。つまり乞食僧の旅です。僧衣を着た意識高いホームレスと言えなくもない気がします。「後ろ姿のしぐれていくかな」笑
せめて父も山頭火のように名を残せたら良かったのでしょうか。

父が私を託した人は、父の大学時代からの親友で二人は同じ思想を共有していました。人の心の内なる仏を引き出すことが、二度と戦争への道を進まない最善最短の方法であると。

幼い私は、母の生前から、その父の親友の「おじちゃんが」大好きでした。父と三人で浅草や上野の動物園に出かけたことを覚えています。

ある日私はそのおじちゃんから
「今日から真理子のとうちゃんだよ」
と告げられ、私の父は二人になりました。

実父は「お父さん」
養父は「とうちゃん」

たぶんそれは普通の家庭で、兄弟が1人ふえた感覚と同じだろうと思います。

二人の父はそれぞれ富裕な家庭の生まれでした。実父は名のある旧家。養父は元華族の家柄です。戦時中は二人は近衛兵。戦後に没落し、私が生まれたときにはすでに貧乏長屋の住人でした。つまり私は生まれながらの貧乏育ちで、富裕層に生まれた父二人とは心理的格差も大きいのです笑。

乳母やお手伝いさんたちを抱えていた富裕な家庭に育った親の貧乏になってからの子供というのはなかなかたいへんです。彼等は富裕だったがゆえに物質欲や金銭欲というものがまるでないのです。
勤労意欲も耐性も無いのです。学用品にも事欠きます。お粥ばかりの日々の糧は哲学と思想です。

ただ
貧しさへの無頓着は私のお花畑脳の
土壌になっているのかも知れません。

そしてその貧しさの中で無償で私を引き取った養父の存在が結局は私の人間信頼への土台になっているのかも知れません。



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