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scene5 ははそはの📒#『私の物語』#自分育て#Find It#私はどうしてお花畑脳に育ったのか。このままでいいのだろうか。

1 お母さんじゃない

養父母は浅草下町の長屋に住む貧しい内縁の夫婦でした。二人とももともとは富裕な家庭の生まれです。養父は元華族の長男。養母は地元では著名な画家の娘です。(ここでも生まれながらに貧しいのは私だけです笑)戦後身分制度は廃止されましたが、元華族の養父の親戚たちから平民との結婚を反対され、二人は駆け落ちをして、貧しさの中寄り沿って暮していました。

私は鮮明に覚えています。

初めて養母を「お母さん」と呼んだ時のことです。養母に手を繋がれ どこかに出かけるところでした。養母は、私の手を思いっきり振り払い、「お母さんじゃないよ」と言ったのです。

三歳の私。自分を「星の子」であり養父母の保護者であると認知していた私は、悲しくもなく、傷つきもしませんでした。ただ困惑していました。
「では、なんと呼ぶの、」
その問いを声に出せませんでした。

なんと呼ぼうが自分を「とうちゃん」と呼ぶように言った父は養母を怒るだろうと思ったのです。

養父は時々激怒する人でした。
養母に身体的暴力こそ振るわないまでも、かの星一徹さながら、ちゃぶ台をひっくり返して怒るのです。そして手当たり次第ものを投げるのです。いつも酒気を帯びている人でした。ひとしきり投げ終わると、狭い部屋の片隅にあるお仏壇に行き、お位牌を抱きしめて、「お母さんが怒っている」とおいおいと泣き始めるのです。

養母を守らなければ、と星の子の私は思いました。

私は養母に呼びかける言葉を失い、さらには話しかける言葉も失いました。
それから養母と私は、10年余も、殆ど言葉のない 沈黙の対話、非言語コミュニケーション、テレパシーの対話の世界を
過ごすことになります。



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