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scene6 サイレントコミュニケーション📒#『私の物語』#自分育て#Find It#私はどうしてお花畑脳に育ったのか。このままでいいのだろうか。

3歳の私を引き取ることに、養母の合意は無かったと思います。「黙って俺に従え」という亭主関白を自負する養父でした。貧しい長屋暮しによその子を一人、食費さえも払われずに引き取ることを養母が大歓迎であったとは思えません。しかも養父は日がなお酒を飲んでいるばかりで、3歳児の私の世話は、殆ど養母に丸投げでした。

養母の私への沈黙は「無視」という虐待だったのだろうか、と振り返る時、そうでは無かったと確信します。

なぜなら養母は、養父とも殆ど話しをしなかったのです。

彼女は私にも養父にも
サイレントコミュニケーションだったのです。

そして私は養父の良き話し相手、彼の哲学や思想や華やかなりし頃の自慢話を、目を輝かせて聴く、良き聴き手だったのです。疎外感を抱いていたのはむしろ養母だったのではないかと思います。

ちゃぶ台に並ぶ三人分の貧しい食事。寒い日でも冷たい水で手洗いして、きちんと畳んで渡される衣類。手を繋いで無言で歩く買い物道。

養母のひとつひとつの所作に
私は愛情を感じていました。

養母とのその不思議な世界は
中学1年 私がアサーティブを学ぶまで続きました。


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