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midokulのはじまり

ある日、私は友人の紹介で知り合った企業家に

「新しく観葉植物の事業を始めるのだけど、協力してくれないか?」と声をかけられました。

期せずして、アーティストとしていろいろな仕事をしてきた私は、ちょうど一年前に改めて両親の仕事であったランドスケープデザインや造園に通じてゆくかのように樹医の資格を取ろうと決意していました。両親はともに家業が造園業でもないのですが植物好き自然好きが高じて仕事にしていたかのような植物好きで、仕事にかかわらず家の中にも庭にもいつも植物があふれ、それに飽き足らずに畑まで借りて野菜を育て...私はそれが当然のように育ちました。それなのに、なぜか私は造園業は継がずに美大に行きました。まぁ、まったく関係のない世界とは言えなくもないですが、造園業を継ごうとは思わなかったのです。

時が過ぎて、私も子供の手が離れて改めて自分の絵をかいてみたいと思うようになりました。小さなポストカードから、描き始めて数年、私がどうしても描いてしまうものが植物な事に改めて気が付きました。そのころから、絵のお仕事もいただくようになりましたが、その依頼も植物。

私は植物の何が好きなのだろう?

まずは、私にとっては当たり前に物言わず傍にあるもの

物言わないのだけど  刻々と変化して二度と同じ姿には戻らず

ともすると気が付かずに季節が変わって

もうその年には見られなくなってしまう

だけど、一年待てばまた会えたりもする

でも、その時の自分はその前の年とは違う感じ方をしたりする。

私はその姿を描きたいと思う

今の気持ちで描きたいと思うようになりました。

そしてもう一つ

植物の中にある法則を見つけることがまことに楽しい

初めて描く植物とうまく対話ができて、その植物の形が成り立つ法則をうまく見つけられると、まことにその植物らしく描けるし、そこからは目の前にその植物がなくてもそれらしく描けるようになったりします。それが、とても楽しいのです。

そうして、植物を描いているうちに、やっぱり木ともっと親しくなりたいと思うようになったのです。

そして2020年の早春、フランスで木の絵の個展を開こうとパリに出向いて打ち合わせをして、大きな夢を描きながら帰って着た途端の新コロナ騒ぎです。

今考えると、無事に日本に帰ってこられたのが奇跡のようです。

残念ながら、パリでの個展は実現しませんでしたが、パリのギャラリーのオーナーのアイさんと木について語り合ったことで私がこれから木をテーマにして生きていこうと思う気持ちは決定的になりました。

少しでも、木に近づきたいと樹医の勉強も始めました。

人間の世界は新コロナによってスローになったその年、春の木々の芽吹きは本当に美しくいろいろな情報に一喜一憂しながらも自然の力強さと美しさを感じながら、私は数年ぶりに自宅の庭を掘り起こして畑にし、土と植物の世界を存分に楽しむことができました。

そんな矢先に

「新しく観葉植物の事業を始めるのだけど、協力してくれないか?」というお声かけをいただいた。それはやらないわけにはいかないでしょう!

というところからmidokulの構築が始まったのです。




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