夕暮れに夜明けの歌を 文学を探しにロシアに行く

ロシア文学の研究者・翻訳者でいらっしゃる奈倉有里さんの「夕暮れに夜明けの歌を、文学を探しにロシアに行く」を拝読。

ロシア文学を学びたいとの一心で2000年代のロシアで語学・文学を勉強した留学体験記、エッセイではあるのですが、エッセイというにはあまりにも内容が濃く重たく、読み終えた今もずっとこの本のことを考えています。

奈倉さんは最初はサンクトペテルブルクでロシア語の研修をして、その後モスクワへ移りゴーリキー記念文学大学でロシア文学を専攻、2008年に卒業されています。

まずは、ロシアへの留学経験・在住経験・ロシア文学をかじった経験がある私としては、こんなにもロシアに、生活に、言語に、文学に、そして人と交流に真剣に関わってきた奈倉さんに畏敬の念を覚えずにいられません。
私も同時期にモスクワにいたこともありますが、ボーっとしててきとうな毎日を過ごしていたかと思います。今のロシアの状況も憂えながらも鋭く客観的にみていらっしゃり、それはすべて奈倉さんの全身全霊で生きていたロシアでの生活があったからでしょう。

次にすごいのは「ロシア詩」について語っている点です。奈倉さんの研究テーマは詩人アレクサンドル・ブロークなので、ロシア詩が詳しいのは当たり前なのかもしれませんが、サンクトペテルブルク在住時に素晴らしい先生に出会いロシアの詩に惹かれていったこと、モスクワでも恩師の教えを通してますますロシアの詩にのめりこみ、研究を重ねたこと。
随所にロシアの詩への愛情を見て取ることができます。ロシア詩についても詩作理論の言及も多いですが、やはりロシア詩の音読時の音としての美しさへの言及が、詳細で素晴らしい。私のロシアの詩は素晴らしいと思いつつも、すらすら読めるまで真剣に勉強はしなかったので、奈倉さんの本を読んで、ロシア語を勉強しなおして、詩を読んでみたいと思います。できればブロークの詩を。

そしてなんといっても自らの心を、思いの綴り方が心に突きささります。
20代の貴重な時間をロシアで多くの体験をしながら過ごしていらっしゃるのですから、たしかに普通の人より語ること、俗な言葉でいうとネタ的なものは多いかもしれません。
ですが、アントーノフ先生との出会い、交流、別れは、彼女の感性・価値観でなくては感じとることのできない体験であり、彼女の言葉で語られるからこそ、よりその希少な体験がくっきりと形をとり読者につたわり、また体験そのものも奈倉さんにとって大切なだけでなく、読者にとってもかけがえのないものになりうるのだと思います。

「なにも言えなかったのは、言うべきことがなかったからではない。ただ、どの言葉も心を表しはしなかったからだ。そして言葉が心を超えないことを証明してしまうような瞬間が人生のどこかにあるからこそ、人はどうしてもその瞬間が生まれたのかを少しでも伝えるために、長い長い叙述を、本を、作りだしてきたのだ。」p206

この文章は、奈倉さんのこの本の根底にある「言葉への愛」を一番くっきりと表している一文です。言葉のもつ力、その恐ろしさ、その限界があるからこそ、ご自身はこれかも言葉と向き合い、学び、生きていくことの決意をこの本を通して語りたかったのだ感じます。そしてこのことはアントーノフ先生から教わったのだと。

奈倉さんと少しだけ似た体験をした私には、奈倉さんはすごいと思うのと同時に正直羨ましく思います。だからこそ、今からでも遅くないはずだから、人生に真摯に向き合い、言葉を大切にし学んでいかなければと、心新たにしました。


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