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空も飛べるはず

近所を散歩がてら、馴染み猫への挨拶に向かう。
彼が寄宿しているお家の前まで来て、いつものように、「みゃ〜」と呼ぶ。
いつもなら、どこか物陰から現れてスキップしながら迎えてくれるのだが、今日は応答がない。
「あのコもお散歩中かな」と諦め半分、懲りずに「みゃ〜」と鳴きながら帰路に就く。
すると仲良しママさんのYさんとばったり遭遇した。

「何してるんですか?」
「えっと、猫に挨拶しに…ごにょごにょ」

立ち話もなんだから、ということで、のちほどお昼ご飯を一緒に食べようということになった。

初めて私の家にお招きして、昼食と喫茶を共にし、Yさんの近況や今後の活動計画などをお聞きしながら、前向きで純粋な人が放つ特有の癒しエナジーを受けて元気をもらった。死生観や宇宙観などを共有できる人の存在は貴重だ。

いろんな話をしたけれど、その中でも「脳科学者が脳麻痺になって右脳しか使えなくなった話」が印象的で、つまるところ、右脳がフル稼働すると人間はとてつもない幸福感に包まれるのだという。
世界と自己との境界が消えていく、というような感覚。
生を超越した、幸福なる死、と想像することもできる。
創作に集中するときも「ハイ」になる瞬間があるが、これも一種の幸福なる死であるかもしれない。
生が重力の上にあるとすれば、死は無重力の上にあるのかな、なんて考えた。
まあ、右脳にだけ任せてたらハイになって簡単に死んじゃうかもしれないということで、左脳さんが頑張ってくれているのかな。

玄関先でYさんを見送る。秋晴れの空、心地のよい風に乗って金木犀の香りが漂う。足元では猫たちがご機嫌そうにゴロゴロと仰向けに揺れている。
ああ、なんと平和で幸せなんだろう。

幸せの引力に導かれるようにして、スーパーカブを走らせ、砲台跡まで向かった。ここは大島の絶景スポットのひとつで、東西の海をぐるりと一望できる。
日本海側には風車が設置してあり、最近は映えスポットとしても人気が高まっている。

平日の夕方ということもあってか、誰もいない。
両眼に収まりきらない水平線が太陽の光を反射して黄金に輝いている。
美しさには、人を癒す力がある。その根元はなんだろう。愛だろうか。
ある人は、それを神と呼ぶ。愛を超えた存在として。

気がつけば私は体を大きく揺らし、深く息を吸い込み、吐き出し、全身でその美しさを吸収していた。

自分は、この広大なる宇宙の一つの細胞なのだろう。
細胞が生きることを後押しするように、私も宇宙を後押しする。

そういえば、右脳だけの状態になったら、世界との境界がなくなるんだっけ。
自意識の殻から抜け出たら、その重力の膜を破ったら、そのときは空も飛べるはず。
私の場合、手がその翼になる。作品を生み出す、この手が。

生きていると幸せなことばかりではないけれど、世界は美しい。
色とりどりの翼で飛ぶことができる。
飛んでいく先でまた美しい景色を見たいから、生きていけるのだろう。

2023.10.17

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