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病気でも、怪我でも、コロナでも。

私は88歳。
人生の終盤に来ていることは
自他共に認めています。

戦後の厳しい時代を
駆け抜けて生きていて
この年まで無事でいられたことは
感謝するべきなのでしょう。

10年前に大腸癌になったけど
今は高血圧と高脂血症の薬をもらうために
月に何度か近くの内科医に行くくらいで
膝や腰がたまに痛むけど
ゆっくり動けば大丈夫。

3年前に夫を見送ってからは
一人暮らしだけれど
一人でできるうちは、この家にいたいの。
近くに長女家族が住んでいるから
動けなくなったら、助けてもらおうかなと
思っているの。

こんな私のささやかな余生の楽しみは
週に3回のデイサービスで
みんなと一緒に体を動かすこと。
あそこには職員さんに若い人たちもいるから
おしゃべりしていても若返るみたいな気がして
嬉しいのよ。

小さな庭の畑で大好きな季節のお花を
育てることも
私の楽しみのひとつなの。

4軒先に住んでいる同い年の
お婆さんと
どっちが先かしらねなんて
おまんじゅうとお茶をいただきながら
お話するのも楽しいものよ。

こんな私が、最後に望むことは
おじいさんのところに行く日まで
なんとか自分で自分のことができたらいいなと。
そのために、注意して、暮らしています。

それでも、怪我をしたり、ひどい風邪をひいたり
病気になったりして、寝たきりになる日も来るかも
しれない。この年ですもの。

できることなら静かに
馴染みの内科の先生に往診してもらって
娘たちや、孫やひ孫たちや、
4軒先のお婆さんに
一粒だけ涙を流してもらって
見送ってもらえたら
もう何も思い残すことはないの。

知らないところに行くのは心細い
知らない人ばかりのところも心細い
テレビに映るような機械とかに
いっぱい繋がれて
顔も見えないお医者さんや看護婦さんに
覗き込まれるのも
私の場合は望んでいないの。

夫は風邪をこじらせて、肺炎になって
あっという間に逝ってしまったけれど
私がそばで手を握っていてあげたのよ。

私も、そんな風に旅立ちたいのです。
他の人はどうかは知りません。
でも、私は、そうやって、旅立つことを
望んでいます。

それが、怪我でも、事故でも、病気でも、コロナ感染でも。
私の、この88年を生きた、私の最後の望みは
叶えられるのでしょうか。

私は、コロナにかかって、一番怖いのは
そのことでお医者さんや看護婦さんにとって
怖い存在になってしまうことです。
最後は、できるだけ誰かに、そばにいて欲しいのに
近寄りがたい、怖い存在だけにはなりたくないです。

だから、今は、大好きだった
デイサービスも休み
家族にも来ないように言って
4軒先の同い年のお婆さんにも
もう何ヶ月も会っていないのです。

私の心が、とてもとても、寂しくて
夫に早く迎えに来るように頼みながら
夜、お布団に入るのです。


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