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母との話

少し前、母とラインで「死」について話した。
ちょうど先日、祖母の命日だったのと叔父(母の兄)が亡くなりまる1年と少し過ぎたときだった。

その時、母が送ってきた言葉が、母ではない別の誰かの声を聴くみたいに思えた。
たぶん「私の母」という関係を超えた、母の本当の姿が見えたから。

こんなことはあまりないのだけど、前にも一度あった。亡くなった叔父の告別式の時だった。
順番に前に出てお焼香をする。
足の悪い母の番になり、少しふらふらしながら前に進み、母はお焼香をあげた。
その時、母は叔父の遺影に向かって、
「にいちゃんサヨナラ、にいちゃんサヨナラ」
って言った。
それはそれはか細くて、可愛らしい小さな女の子の声だった。私はその時はじめて、涙がこぼれた。

そんな母が「死」について語った言葉。
今でも私のこころの中に、お寺の鐘みたいに長く深く響いている。どこかに留めておきたくてnoteに記しておこうと思った。
自分のために。

(棺の中で眠る姿は)
人形みたいだったね。

おかあさんは 何だか死は想像できるよ。
やはり 年のせいもあると思う。

やっぱり 本人もとても淋しいことなんだ。自分が居なくなる。
この世の中 全てぜーんぶに さよなら。

何十年か前
自分は居なかった。少しの時間 この世の中に人間として居たけど また居なくなる。無が来るんだ。

気になること 心配もあるけど 全て放り出していくしかない。

考えても どうしようもない。全てを うっちゃって サヨナラなんだ。

だから 感謝 これだけの気持ちを持って逝けばいい。と思う。

あんなにスパルタの教育ママだったのに。
こんな風に手放す気持ちを今、持っている。
風みたいに。
でも、やっぱり未練もある。そんな母が愛しい。
それもこれもぜんぶひっくるめて、
感謝 これだけを胸に灯そうとしている。

母に会いたくなってきた。

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