The Perfect Insider/Outsider

「すべてがFになる」の感想…ではなくて、だいぶ時間経ってしまいましたが、テレビで観た太陽2068の感想です。

■舞台をテレビで観るということ
10月の放送の後すぐ書こうと思っていたのに、なんというか、よい意味でも悪い意味でもなく、予想以上に言葉が出て来なくて…。
あれだけ舞台に通ってしまうとどうしても、独立した映像作品というより、上演記録として見てしまい、「よし、この場面はちゃんと記録されてる!」と検証して、確認しただけで満足してしまったのかなあ(森繁の舞台下の涙とか、入れてほしかったところがだいたい記録されていたので嬉しかった。WOWOWさんに感謝!)。

冒頭のあの音楽が流れて、暗闇の中で裸電球の電燈がゆらゆらするだけで、もう胸が熱くなってしまいました(早っ^^;)。記録された22日は観に行っていないので、初めて見る芝居とも言えて、細かい遊びの箇所とか、「この日はこうだったんだなぁ」と楽しめました。
ただ、劇場で観ていた時は短いとすら感じた上演時間も長く感じて、集中力を切らさずにテレビで観るのは正直なかなか難しかった。

テレビドラマや映画はカメラの視点がすべてだけれど、舞台の一部を切り取るというのは、また別のものですね…。カメラの視点に固定されることで、逆に見えないところが気になっちゃって。カメラワークは凝っていて、目線や手元がクローズアップされたり、天井からのアングルがあったり。ああ舞台を映像記録で見るのってこういうことなんだな、と思うのですが。自分の見方とは違う視点でまとめられているから、興味深い点もあるんだけれど、どちらかというとストレスを感じた…かもしれない(この舞台の場合は私が何度も見に行きすぎているという問題ですが^^;)。

舞台とテレビで一番違うのは、音や振動。すぐ近くにいるという存在感。鉄彦が飛び降りてきたときのどすんという感触とか、声の響きとか、当たり前だけれどテレビでは100%は伝わらない。ハッと気づいたら目の前に凛々しい顔つきの森繁が立っていた時の驚きとか、「もしかして前にも…」といって客席を見つめる玲子さんと目が合いそうに感じる緊張感とか…。

ただ、ラストシーンの、虚構の枠から飛び出して現実との境が溶けていく感覚は、テレビを通してもはっきり感じられました。生で見た時と同じぐらい心動かされて、思わずテレビの前でスタンディングオベーション!あと、家だから遠慮なくきゃーきゃー言いながら拍手できたのはテレビならではの良さ(笑)

カーテンコールまで全部映してくれたのがうれしかった!
それから、テレビ放送のエンドロールで流れるのが、あのオルセンオルセンだったのもぐっときました。舞台本編では一幕ラストで少しだけ使われていますが、この曲なんとも切ないような幸福感に溢れていて、森繁と鉄彦のシーンにこの曲を使うということは、ノクスとキュリオのコンビの未来は明るいと考えていいのかな、なんて思ってしまう。

■脚本の描くもの、演出・役者の仕掛けたもの
ひとりでも観ましたが、年末年始のお休みで家族でも観ました。そうするとまた新たな発見があったりして。
まず、笑いが起きない!
たしかに、見れば見るほどこれって暗い話なんですよね。もちろん暗いの一言だけで済ませるものではないのですが。演出や役者がそれを緩和させようといろいろ仕込んでいる…というのか、舞台で観たときは意外にコメディ要素が多いなと感じたのに、テレビで観ると脚本の本質的な部分がより立ち上がって見えた気がしました。(逆にいうと、そこにこそ、舞台を生でみる醍醐味というのがあるのかもしれない。)
予備知識のない人と一緒に見ていると、ノクスとキュリオの関係性の説明がうまくセリフのやり取りの中に描かれてることにも改めて気づかされました。
もう1つ印象に残ったのは、生殖をめぐる会話がかなり大きな部分を占めているということ。ノクスの会話はほぼ全部そうだし、キュリオも拓海の存在が強烈に異様です。人類の数が激減した世界で、ノクスもキュリオも子孫を残すということが至上命題になっている。そんな中で、鉄彦と森繁の存在はそこから離れて浮遊しているような清涼感があって、それがこの暗い戯曲の希望を担っている。

■The Perfect Outsider
本編後のインタビュー番組の中の綾野さんのコメント。(少し編集してます)

もっと舞台ってものへの距離感を縮めてもらう。敷居が高いものじゃない。美術館とか、気乗りしなくても無理やり連れて行かれてダリの絵を目の前で見たら「すごいな」と思う。そういうもんなんです。そこに行くまでの時間が、この国は圧倒的に遅い。考えちゃうからまず。行動しないから。僕たちはその行動を起こしてもらうためのきっかけにすぎない。
蜷川さんの舞台を初めて観る人たち、これまで観てきた人たち、新しい可能性を観に来た人たちが、観てくれたということに、まず、僕たちは感謝の気持ちを持つべきだと思っています。

成宮さんやあっちゃんは、蜷川舞台と「役者としての自分の成長」とを関係づけたコメントが多いのに対し、綾野さんは観客との関係についてのコメントが採られています。
すごく綾野さんらしいコメントだなと思って…。
演じるということに対して、恥ずかしい、なんでこんなことをやらなきゃいけないんだろう、という状態からスタートしたからこそ、日ごろ舞台を観ない人にとって舞台がどういうものなのかをわかっているし、自分を目当てに日ごろ舞台を観ない層が来ることもよくわかっている。そういうアウトサイダーの視点を内面に持ちながら最前線を走っているというバランスのありようが、綾野さんの魅力の1つだと感じます。

コメントの内容もまさにそのとおりで、生で観たらうわあってなるんですよね、ほんと(余談ながらここで例にダリを挙げるのも興味深いところ)。私自身、太陽2068をきっかけにほかにもいくつかの舞台を観に行ったりしたので、まんまと綾野さんの思惑どおりになっちゃってます。
そして、やっぱり生で観ることに大きな意義があるんだということも実感としてわかりました。
と、いうわけで。再演希望!(←それが言いたかった!笑)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?