見出し画像

世にも幸せな共犯者たち

2016年5月22日、映画「ひそひそ星」とワタリウム美術館で行われた「園子温展」の関連イベントとして、綾野剛さんと園子温監督の対談が行われました。

いつものようにレポもしたいのですが…

トークの終わりごろに、「Twitterとかに載せちゃだめだよ、ここだけの話、共犯関係」、と言われて。

たしかに、かなりの部分、トークを聞いているのはこれまでも応援してきてくれている人たちである、という前提でお話ししてくださったから、普段の、マスコミにのるような不特定多数に向けた状況では決して口にしないようなこともおっしゃっていて。そういう意味でセンシティブです。

おそらくは特定のNGな話題があるというよりは、前後の文脈や背景をある程度わかっているファンに向けて話したことだから、伝え方によっては意図と違って伝わってしまったり、一部のフレーズだけ不特定多数の人のあいだで独り歩きしてしまうかもしれないから、ということなのかなと思います。

でも、すっごく伝えたい!この感動を!

というわけで、ひとまず、レポではない文章で、書いてみたいと思います。なんていうか、具体的なことを書かないでいかに伝えるかに挑戦…! 真夜中に書いちゃったラブレターみたいな文章ですが、少しでも感動が伝われば幸いです。

※綾野さんを応援していらっしゃる方ならばこのような注意書きは不要だと思いますが、もし偶然このページにたどりついて読んでくださっている方がいらっしゃいましたら、このnoteの内容を抜き出しての転載などはしないでいただきますよう、どうかよろしくお願いいたします。


不思議な夜

語弊があるけど、地味な会だったと思うんです。

1時間半のあいだ、派手なことはなにも起きていないんだけれど、なんだかずっとわたしは驚いていたような気がします。

(あと、ずっと笑っていた(笑)。 けっこうR15的なお話も多くて自由で…そういう意味では「ピースオブケイク」のシネマライズでの初日舞台挨拶の時なんかに雰囲気は近かったかなぁと思います。←こちらはTwitterのほうに、ざっくりレポあります)

うまく言葉にできない、不思議な、そして幸せな夜でした。

いわゆる芸能人がファンに相対するときのパターンっていろいろあると思いますが、たとえば、「あ、ありがとうございます…」みたいな引いた感じではなく、かといって「俺は愛されて当然」みたいなナルシストな感じでもなく。

あの夜は、すごくふつうっぽい会話が、コミュニケーションが、成立してる場でした。そのふつうっぽさが新鮮でした。


トークの中では本当にいろんな人の名前が出てきました。綾野さんがよくおっしゃっていた「人生は人です」という言葉がまさに、と思うような。

対談のタイトルが「映画と芸術」で、始まる前は、いったい何をお話しされるんだろう…とドキドキしていましたが、始まってみると、もちろん映画のお話をたくさんされていましたが、作品より何より、「人」のお話が中心だったと感じました。監督、俳優、スタッフの垣根なく名前が挙がり、それも悪口なんてひとつもない、あたたかい人間同士のやりとりで。その輪にわたしたちも入れてもらっているような心地よさがありました。

ファンであることが許されている

あれから少し時間が経って、やっと冷静に振り返ることができるようになってきました。

あの夜の不思議な感覚の正体は、ひとつには、「ファンとしてその場にいることが全面的に許されている!」という感動でした。

わたしは、舞台挨拶などのイベントでは、やはり「綾野さんが力を注いだ作品をまず尊重しなければ」、「共演者や監督にも関心を向けなければ」、という思いがあって、綾野さん個人のファンとしてキャーキャー言うことには後ろめたい気持ちが必ずあります。たとえ主演作であってもそれは同じです。(なんて言いつつ、どうしてもキャーキャーせずにはいられないんですけど…)

だから、ただのファンとしていられたのは、握手会以来だったかもしれません。(握手会のときは、わたしはまだファンになって日が浅かったので、今回のような種類の感慨は抱きませんでしたが…)。

綾野さん、「知ってると思うけど」とか、「前から応援してくれる人には喜んでもらえると思う」とか、ファンたちがずっと綾野さんを見ていたことを受け止めたうえで、話してくださっていたんです。

最近の、秋田に行ったとか韓国に行ったとか、そういうことをファンたちが目撃情報で知ってるってことも把握されて、でも「なんで言ってないのに知ってるの〜」と、笑っていじるような余裕があって。

綾野さんがファンに対してすごく思いやりのある方だってことは今までもいろんなエピソードからじゅうぶん知っているつもりだったのですが。それを活字とか映像とか伝聞形じゃなくて、直接に目の前で受け止めることができたのが、感動でした。

そういう場になったのは、園監督のおかげでもあって。そうです、これはファンミーティングじゃなくて、本来、監督のイベントのはず…!(笑)

ご自身の映画と展覧会のイベントだけれど、それについて直接語るのはちょっと照れがあるというか、「それより、綾野剛と映画の話とか人の話とか、あるいは馬鹿話とかをしたいんだ」と思っていらっしゃるらしいのが伝わってきて、それがあの楽しい場をつくってくれたんじゃないかと思います。

綾野ファンたちに対してもフラットで、どうせ綾野剛見に来たんでしょ、みたいな拗ねた様子はまったく感じられなくて(まあ、新宿スワンで熱狂ぶりはご承知なのでしょう…^^;)、それを楽しんでるような余裕があるように感じました。

それは監督の優しさであると同時に、綾野さんとの良い関係性、綾野さんへの信頼を感じさせました。

今まで言わなかったこと

とくにファンとして印象的だったお話がふたつあります。今から思えば、これは対談中ではなく、いずれも園監督が一時中座されている間に、ファンと綾野さんだけになった時間に、お話ししてくださったことです。

ひとつは週刊誌(2014年のFRIDAY)の記事のこと。もう、けっこう前のことになるのに、綾野さんはそれを忘れていないどころか、機会があったら伝えたいこととして持ち続けていたんだなあと知って、少し驚きました。

そして、その後の東スポ記事は、完全に事実無根だとはっきり否定して「だから安心してください」と笑って言ってくださいました。

舞台挨拶中座とか週刊誌記事とか、今でも気にしているというわけではないけれど、ファンにとって小さな棘みたいなできごとを、それが起きた頃から時間を共有してるという前提で、気取らずに真摯にお話ししてくださったこと。うれしかった。

もうひとつも、実は上記と同じ流れでのお話だったのですが、マスコミなど公の前に立つときの気持ちのこと。

今でも緊張して慣れない、とお話しされて。

「撮られていると思うと、ちゃんとしなきゃって。ちゃんと『綾野剛』にならなきゃ、って思って。そうすると小さいことも、すべて失敗に感じるんです。ちょっと躓いただけでも」

とおっしゃいました。

それを聞いて、なんだか胸がいっぱいになって…。

綾野さんは、確実に、ありたい姿、あるべき綾野剛の姿というのを考えたうえでの言動をされていて、でもそれをしていることを表に出すことは拒んでいるような印象を持っていました。

インタビュー記事でも、素直に思っていることと、そうあろうと自己暗示をかけていることが混ざって出てきたりして(そのことに自己言及されていた記事も中にはありますが)。それが綾野さんの恰好良さだし、魅力の源泉でもあるし、尊敬する部分だし、もちろん、俳優のマネジメントとしてパブリックイメージをつくり守ることが大切だろうということもわかります。

でも、このことばを聞いて、今までよりももっともっと好きになってしまいました。

変化し続ける

いずれの内容も、長く応援しているファンたちにとってはなんとなくわかっていたことだったから、内容自体が驚きというより、御本人がそれを口にした、ということが驚きでした。

この、ある意味で弱みを見せるようなことばは、今回が珍しい貴重な機会だったのかもしれませんが、もしかしたら、綾野さんの心境に変化があって、これからはそういった発言を聞けることが増えるのかもしれません。

…と書いていたら、まさに、トークショー後の5/28に発売されたNumeroの記事で、似たお話が出ているのを読みました。やっぱり、これは綾野さんの大きな変化なのかもしれません。

(実のところ、「綾野剛にならなきゃ」ということばがある意味核心だったような気がして、note中で文字として出すか迷ったのですが、Numeroの記事を読んで、当日のことばそのままを出すことにしました。)

変化といえば、ちょっと話が逸れますが、今回のトークの中で海外の話が多く出たことも印象的です。以前はどちらかというと海外に出ることや旅行についてマイナスイメージを持っていたような気がするのですが。

それから、明日の予定さえ知りたくないと言っていた綾野さんが、今後の予定や待機作について言える範囲でしっかりと教えてくださったり、未来の話をしてくださったことも。変化、変化、なんですね。

愛されている、という感覚

別に、これまで人格を疑っていたというのではありませんが、インタビューもニュースもやはり別の人のフィルターを介して伝わるものだから、いつでも「…でも、ほんとは全然違う人かもしれない」という可能性について、心の安全装置を働かせること、自分で自分に釘を刺す行為をいつもどこかで課しながらファンをしていました(もちろん今でも、節度ある応援のために、それは必要なことだと個人的に思っています。全部わかった気になるのもおかしいですものね…)。

そして、これはすごく失礼な言い方なんだろうとわかっているのですが、綾野さんは優れた「役者」だから、わたしたちに見えている姿が素とは限らない、ということも、どうしても思います。

…対談中に綾野さんは、「僕はSNSもしていないから、こういう場ではきちんと話したい。役者という仕事をしていると、真実なんて何の役にも立たなくて。だからこそ、こういう場では限りなく真実でありたいと思う」とおっしゃいました。

この、「真実なんて何の役にも立たない」ということば、最初聞いたときは意味をとりきれなかったのですが、文字にしていて、あっと思い至りました。情熱大陸の釘のエピソードの時と同じで、御本人にとっていくら真実でも、周りにはそう思ってもらえないことがいくらでもある、という、諦観というか、そういう事実のことをおっしゃっていたのだと思います。

一般人同士でもそうだし、「役者」という職業であればなおさら。

こんな熱いファンでさえ、綾野さんが見せている姿が真実かどうか判別できないということを理解したうえで、受け止めたうえで、それでも真実を伝えようとしている…。

本当にあの夜は、「信じて大丈夫。安心して」という綾野さんのメッセージがまっすぐに伝わってきました。

そんなメッセージをわざわざ伝えられるのって、心の余裕というか、自信、勇気、強さがなければできないことだと思いました。

言葉にするとおおげさだけど、確かに「愛」が伝わりました。

突然に発表されたイベントで、行きたいのに行けなかった方も多かったと思います。わたしは幸運にも参加することができましたが、でもあの「愛」は、あの場にいた人だけじゃなく、綾野さんを大切に思う人すべてに等しく向けられていたものです(わたしが断言するようなことじゃないけど、断言できます!)。

対談からの帰り道の猛烈に幸せな感覚は、「綾野さんを近くで見れた!キャー!」とか「すごい話聞いちゃった!キャー!」という種類のものじゃなくて、確かに愛されたという安心感から来る幸福だったのだと、いま振り返って思います。


幸せな時の常として、やがてそれを失うことへの一抹の不安も感じます。

(全面的に失う不安というより、こんなに安定されたのは誰か素敵な方がそばにいるのかな?みたいな勝手な不安です、ごめんなさい!^^;)

でも、そんな複雑な気持ちもひっくるめてすべてが愛おしい。もののあはれってこういう気持ちかな…などと思いました。

こんな機会をつくってくださった、綾野さん、園監督、ワタリウムの関係者の方々に御礼を言いたいです。ありがとうございました!


*映画「ひそひそ星」とワタリウムでの園子温展、拝見しました。「ひそひそ星」は独特のテンポ、世界観の作品ですが、わたしはとても好きでした。展示もすばらしかったです。

(おわり)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?