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鉄彦の変化を追う

2回目の観劇は同じく夜公演。初日との違いを感じたところを、綾野さん演じる鉄彦を中心に書き留めておきたいと思います。

※「違い」は、単に初日に私が気づいていなかった・読み取れなかったのと、芝居自体が変わってるのと、曖昧な記憶をもとに判断しているので、「初日からそうだったよ!」という場合もあるかと思います…すみません。
鑑賞・批評のプロではなくむしろ苦手で、感想を言語化する訓練の意味もこめて個人的な記録として書いているので、本noteはあくまで私が気づいた(または気づいたつもりになっている)ところについて書いているものです。くどくど前置き失礼いたしました。

■数日のうちに変化している!
全編通して会話の間が、さすが、初日よりかなり自然になっていました。やりとりで見せたかったものが、より伝わってきやすくなっているという印象を受けました。
そして、初日で疑問を感じたところがかなり解消されていた!
観る側も2回目だから、感じ方や理解度に差があるというのももちろんあるとは思いますが、とくに綾野さん演じる鉄彦において、明確に芝居が違うところがいくつもあった。
すごいなあ…この数日で、この進化!

■ラストシーンのふたり
しょっぱなからラストシーンについて。
初日は、搬入口が開く演出に気を取られて余裕がなくて気づけなかったけど、今回はっきりわかりました。
鉄彦と森繁のふたり、外に向かって駆け出していくけど、前を目指してただ猛然と走るんじゃなく、何度もこちらを振り返って「おいで、おいで」というふうに手でぐいぐい呼んでるんですね!
今回、そのことに気づいた時、思わず涙がこみ上げて声にならない声を上げてしまいました。
ふたりは、ままならない現実を投げ出して逃避行するんじゃなくて、新しい共存の希望を見せるために旅に出る。

そんな旅に、みんなも行こうよ!できるよ、大丈夫だよ!って鼓舞されているような、傍観者でいるだけでなく自らも立ち上がることを期待されているような、そんな気持ちになりました。
前回は、本当に「置いてかれた……?」ぐらいの茫然とした気持ちだったのに、今日は、ふたりに続いて一緒に走り出していきたい気持ちになりました。こんなに違うのかーーー。

■鉄彦の変化を追う
初日で私が最も腑に落ちなかったのが、叔父さんの死の前後の流れでした。
初日の印象では鉄彦は、「森繁を助けるため手首切り落とす→息荒く全身震えながらうずくまっている→叔父さんがノクス狩りをぶち上げたところでついにキレる→母・純子にリンチの許可を自ら取り、主犯的に暴行→叔父さん死亡→森繁の手首回復を喜ぶ→キュリオがうらやましいなんて驕りだと森繁をくってかかるが諭される→やっぱりノクスはやめよう、旅に行く!」という感じで(←超乱暴なまとめ)、少しその変化についていけない部分があった。
この、ストーリーの流れ・台詞自体は変わらないんだけれど、細やかな表現によって全然印象が違ってみえました!

その1 鉄彦の右手
手首を切り落とした後、その行為自体に自分で慄いている様子が伝わるしぐさが、加わっていました(鉈をふるった手である右手がずっと激しくふるえる、左手でそれを押さえる、など)。その後、叔父に立ち向かう武器として警棒を手にした時も、そのふるえる右手が意識されていました。
これは初日にはなかったような…
森繁の手首切り落としという鉄彦にとっておそらく初めての暴力的な行為によって興奮状態になってしまった「右手」が引き続き暴力の衝動を持ち続けて、それが引き金になって、叔父さんの暴行まで至るという流れを感じました。
暴力の原動力は森繁を傷つけたくないというところにあるけれど、未熟な鉄彦にはもはやコントロールがきかなくなっていて、それは感情に支配されるキュリオの一面を象徴する行動にもなっている。

(その後、森繁が鉄彦のことを愛をもってなぐる時も、それを受けた鉄彦が右腕・右肩を痛めているようなしぐさがあって。単に利き腕だからということかもしれないけど、なんかこの暴走する右手を森繁がリセットしてくれたように感じた…のはちょっと考えすぎかな)

その2 結を見つめる鉄彦
叔父さんが暴行されて倒れている状態の時、なすすべもなく茫然としている結の存在に鉄彦がはっと気づいて、まじまじと結を見つめているシーンがありました。
これも初日にはなかったような…
キュリオの悪しき一面にショックを受けている結に気づくことで、鉄彦は我に返り、自分がしたことを自覚したように感じさせられる印象深いシーンでした。台詞は何にもないのに目線だけで雄弁。

その3 克哉を見ない鉄彦
克哉が森繁の血に接触してしまったことに気づいて「汚ねえ汚ねえ」と繰り返し、やがて感染して死ぬわけですが。
この、のたうちまわって壮絶に死ぬ叔父さんの様子を、鉄彦はまったく見ていなかったんです。他の人は、当然克哉に注目する場面で、見ていない!
恐ろしさで目をそらすというのではなく、状況ははっきり把握しながら、悲鳴を聞きながら、もっと別のところをじっと見ている。
これも初日にはなかったような…
この時の鉄彦は、何を考えているのか…。自分も含めたキュリオという存在の暗黒面を見て、価値観の破壊に衝撃を受けているのかな…と想像しました。
あと、克哉が息絶えた後、村人たちからすすり泣きが漏れたのも、初日には気づかなかったことでした。初回は、圧倒的な暴力しか感じなかったけれど、ちょっとほっとするというか、手を下しておきながら悲しむという矛盾が人間らしいというか。

その3 森繁を恐れる鉄彦
事件後、森繁に手首の回復具合を聞く会話の時、どうも鉄彦は前よりこわごわ聞いている様子でした。
これも初日はなかったような…
それまでは、ノクスの実態をよく知らないままに憧れていた鉄彦だったけれど、森繁が日光を浴びて苦しむ様や、ウィルスに感染した叔父の克哉が死ぬ様子を目の当たりにした後で、手首を切り落としてもすぐ復活している森繁を見て、正直ちょっと怖かったんだろうな、と思わせる反応。
でもそれは自然な反応の範囲で、鉄彦はやっぱりノクスを差別はしない(そこが、わざとらしいぐらいに汚い汚いと嫌悪の言葉を繰り返した叔父さんとの違いか)。
本能として、どうしても異質なものを恐れてしまう瞬間はあっても、友情は真実。
そのことが、いったん鉄彦が恐れる様子があることで、むしろ明確に意識されました。

その4 鉄彦がぶつける疑問
友情があるから、鉄彦は本音をぶつける。
キュリオがいいわけない、ノクスがいいに決まってる、ようにみえるのに、なんだか変なんだ…結局どっちなんだ、という鉄彦の混乱。この鉄彦の混乱と怒り、初日よりもかなり激しく表現されていました(鉄彦大暴れ!)。
今までのような漠然とした憧れをもとに駄々をこねるようなレベルではなく、根源的な疑問から出る言動であることがより伝わってきました。

これらの変化で、鉄彦の暴力からキュリオとしての自己受容に向けた流れが格段に自然に!台詞は変わってないのに、こんなに違うって、芝居って本当に奥が深い…(そして言わずもがなですが、綾野剛という人はすごい)。

■鉄彦と結、それぞれが渡された言葉が運命を分ける
鉄彦の疑問に森繁は、物語中でおそらく最も重要な言葉をくれる。
これ、結のほうときれいな対になっていて、結はキュリオの弱さについて悩みを抱えたとき、征治に「乗り越えたのがぼくらノクスじゃないか」と、ノクス化すること=弱さを乗り越えること、として導かれてしまう(金田は「キュリオが自分で乗り越えなきゃ」と言ってくれたけど)。
ほぼ同じ悩みをぶつけた鉄彦に、森繁は「自分で乗り越えるしかないんだ、ノクスになったところで自分の弱さは解決しない」と、一見厳しいけどノクス化しないでキュリオのままで解決できると励ますことばを伝える。
鉄彦…森繁に会えてよかったね、と思える場面でした。

*余談…森繁が、殴りあいのすえ鉄彦に馬乗りになって胸倉つかむ場面、一部ではBLシーンと言われがちなところですが…。ここの森繁の諭しかたが初日よりすっごく優しくなってて、鉄彦のあごやら頬やらつまんで、やさしくつねるみたいな…(きゃー)。でも兄が弟にするような感じです。

■鉄彦が涙を見せるのは
ノクス結の豹変に、草一と純子が涙するところ、それから金田が詫びて死のうとするところを見た鉄彦がどんな様子なのか、初日の記憶がなかったので(あっちゃん・六平さん・朋子さん・大石さんの熱演に目が釘づけで)、今回は意識してその場面の鉄彦を見ました。
結果、意外にも、ほぼ表情を動かさないままだった。
メインの芝居は鉄彦以外で進行しているから、あえて鉄彦が大きく動く必要はないという感じなのかな。

うつむいたり、壁のほうへ顔を背けているのは、表現としては泣いている状態に近いのかなと思うものの、涙をこぼすまでは至っていない感じ。金田のくだりで相当心乱れた様子ではあり、だめ押しでノクス抽選当たり券を草一に渡された時、最もこみ上げてきている表現(でも涙こぼれない)。
親の前で涙を見せるのはよしとしないのかな、鉄彦18歳は…と思っていたら、その後、森繁とのラスト前の会話のところで、初めて本当に泣いている表情、声をして顔を一瞬覆うシーンがありました。
森繁の前では涙を見せられるんだね、鉄彦!(その前にすでに思いっきり泣き顔見せちゃったもんね…。)
この一連のシーン、なんとなく、もっと進化しそうな予感がします。

■今、旅に出なきゃ
ラストの鉄彦の「今じゃないといけない気がする」という言葉は、良い意味でひっかかります。芝居の流れからいったら、ノクスになるかどうかの決断には1年猶予があると言われているし、なにも今すぐである必然性はなさそうなのに、なんで?と。

メッセージ性を読み取る必要は必ずしもない(鉄彦の切迫した衝動として受け取るだけで十分)とも思いますが、私はどうしても、いまの現実世界の切迫感に言及しているように感じてしまいました。
ラストシーンの「おいでおいで」しぐさのこととも合わせて考えるとやっぱり、「今じゃなきゃ間に合わない、今なら間に合う、さあ、行こう!」という現実世界の私たちに向けての「今行こう」のように思われてなりません。

■鉄彦&森繁のバリエーション
・ 森繁が雑誌を鉄彦に渡すシーンで、森繁がフェイントかけて遊ぶ
・ 友達になって最初に会いに来たシーンでお互いに「いぇあ」「おぃす」みたいな声のやりとりがより多い
・ 手錠をかけられた森繁を日光から守るため鉄彦が差し掛ける傘がアサガオ状態になる
…などなど初日とは変えていました。鉄彦&森繁のやりとりは、ほんと、毎回いろいろなバリエーションがありそう!

■拓海という存在
克哉を襲った村人とはまた別の側面から、暴力で結の絶望に加担したのが拓海。ひたすら気持ち悪いので初回はスルー気味でしたが、無味無臭な感じで性を語るノクスに対しキュリオの性の部分のどうしようもなさとか、流れ着いた無人島でふたりきりで子孫を残そうみたいな神話的な図式を表現する「記号」としての存在と受け止めました。
「結は女の子なんだから」という台詞もいやらしく印象的だったけど、弱っちくみえて、実はすごく男性性を担ったキャラですねえ。2回目見た印象では、もともと結は鉄彦は完全に眼中にはなくてどちらかというと拓海のほうを好ましく思っていたのかなぐらいのニュアンスを感じました。
演じる内田健司さんは、すごく体を鍛えていて、声がとてもきれいで、他の役でも見てみたいと思いました。

■次なる注目ポイント、森繁の内面
今回、際立って印象に残ったのは森繁の哀しみでした。
しゃべる言葉は一見のんきで、ユーモアがあって、ノクスとしての余裕でいつもスマートという印象だったけど、よく見ていると、森繁は心の中で泣いている時も多いんじゃないかなと思うシーンが多数。
冒頭のほうで村人に過剰警戒されて鉄彦も雑誌を返して立ち去る場面、ひとり残された森繁の寂しげな笑顔が見えてからフェードアウトするところとか胸が締め付けられるようでした。
生まれながらのノクスというノクスの中でも特殊な存在として、ノクスが悲しい生き物であるということをひしひしと感じて生きているような気がした。
ノクスについては、草一の金田への台詞、「お前らには夜明けがないからな!」が、強烈。事実として太陽に当たれないから夜明けを見れないという話ではありますが、象徴的な意味で取ると「夜明けが来ない」ってすごい絶望的な言葉です。

それなのに、自分の事情は見せずに、そんな気も知らないでノクスになりたいとわめく鉄彦を優しく励ましてキュリオの良さを教えようと必死になってくれる。
そして最後は、旅に出ようと誘う。
でも、この旅って、やっぱり不可能感が漂うというか、絶対うまくいくはずない夢物語みたいな無謀な話ですよね!?そうするとどうしても悲壮な予感もつきまとう…。
でも、誘った森繁も(たぶん鉄彦も)そんなこと百も承知で、それでもふたりで旅に出たいと言い出したその真意、その心境を考え出すと…。
なんかいろいろ森繁の立場で考えてみるのも面白いかもと思いました。

(*かなり余談…なんかこれって誰かに似てると思ったら、クレオパトラな女たちの黒崎裕じゃないかと。ゲイで切ない片思いをしているのに、その片思いの相手は女なんて嫌いだとわめき、それを励ますあの彼…。一緒に旅に出ようと誘うのってあの「思い出ちょうだい」みたいなもの…?ぎゃあ!次回確実にそういう目線で見てしまう予感とともに、今回は以上です)

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