見出し画像

太陽というタイトル

今さらのようですが、タイトルについて。

「太陽」も「2068」もわかるようでわからない。太陽という言葉が出てくる台詞はそれほど多くないし…。
といっても、色々と意味を考えうる、ひろくイメージを喚起する言葉だから、とくにこれだ、と意味を決める必要はないけれど、初日以来なんとなく考えていました。

(まあ難しいこと考えなくても「鉄彦の存在自体が太陽です!」で十分なんですけど、わたしにとっては(笑))

そうこうしていたら、タイムリーなことに今朝(8/1)の脳科学者の茂木健一郎さんのツイート(毎朝ほぼ恒例の、テーマのある連続ツイート)のテーマが「太陽」でした。長いですが、引用です(途中省略ありの抜粋)。

--------------------------------------------------------------------------
茂木健一郎 @kenichiromogi

太陽って、すごいなあ、と思う。このところ日が長いから、朝、明るくなって目が覚めて、太陽を見ると、ほんとうにすごい。昔の人が、素朴に、太陽を信仰したくなった気持ちも、よくわかる。圧倒的な存在感がある。世界を照らして、温めてしまうのだ。

太陽が水平線の上に顔を出すと、海の上のすべてが変容していく。空の雲も、水の表情も、なにもかもが、時々刻々とその顕れ方を置き換えていく。それらの変化をもたらしているのが、たった一つの「太陽」という天体であることが、すごい。まさに、スーパースター、王者登場、という感じである。

ところで、子どもに風景を描かせると、ごく自然に、画面の一部に太陽を描く。ぼくも、どーんと力強く太陽を描いていたように思う。ところが、絵の指導の考え方として、太陽を描いてはいけない、みたいなことを言う傾向が、少なくとも一時期あったように思う(今はどうか知らないけれども)。

スタジオでものを見て描くとき、光源自体を描き込むというのは、前提をこわしてしまうからよくない、みたいな考え方はわかって、その流れで、太陽は世界の光源だから、その光源を描くのはよくない、という指導も、発想としてはわからないわけではないが、できれば自由に描かせてくれないかな、と思う。

プロの画家も、もちろん太陽を描く。ぼくがいちばん好きな太陽の絵は、ムンクが描いたやつ。どこかの展覧会でこれを10分くらいは見ていた。幸せな時間だった。ムンクの絵の中で、いちばん好きかもしれない。

ところで、人生や社会において、「太陽」に相当するものを実は描いていない、ということは時々あるように思う。それなしではすべては存在しないが、「光源」として背後に隠れているもの。それをうまく描けたら、きっと、ムンクの「太陽」のような傑作が生まれることであろう。

(*画像も茂木健一郎 @kenichiromogiさんのツイートから引用)

-----------------------------------------------------------------------------

無理に、太陽2068につなげたいわけではないけど、いろいろ新たなイメージがわいてきました。
直接見えないけれどすべての光源…、太陽2068では、それは「お互いを思う心」という感じがします。鉄彦と森繁や草一と金田はもちろん、征治や玲子にも、拓海にも、たぶん克哉にもあるもの。それは時にめんどくさいことを呼び寄せる原因でもありますが。人間らしさの源…でしょうか。

この蜷川さんの舞台自体、「力強く太陽を描いた絵」のような舞台かも。
はっきり描かない作品もある中で、あえて、直球勝負のわかりやすさ。
だからこそ伝わる感動がたしかにあります。

残すところあと2日、輝くような完走を!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?