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夏目漱石がイギリスで暮らしたアパートへ行ってきた

先日、天気が良かった週末、サイクリングがてら夏目漱石がイギリス留学中に住んでいた家に行ってきましたのでシェアしたいと思います。

ロンドンのテムズ川より南側に位置し、
静かな登り坂の真ん中辺りにひっそりとありました。
Googleマップに載ってるんです!

この青い版はたまに見かける、過去に著名な人が住んでいた家などに掲げられている、ブルー・プラークと呼ばれるものです。

ブルー・プラーク (blue plaque) は、イギリス国内に設置されている銘板である。著名な人物がかつて住んだ家、もしくは歴史的な出来事があった場所に、(その人物を褒め称えるためというよりも)建物の歴史的なつながりを伝えるために設置され、建物の外壁に掛けられていることが一般的である。(wikipediaより)

夏目漱石、日本人第一号のブルー・プラーク(この銘板)らしいです。第二号はまだ無いそう。

33歳でイギリス留学したとのことで一体どんな日々だったんだろう、さぞ大変だったんじゃないかな。と色々想像しました。

当時は空気が非常に悪かったそうです。

それに加えてこの冬の日照時間の少なさや
いくら英文学に精通していたとしても恐らくあるだろう言語の壁、
当時更に珍しかったろうアジア人としてどの様に過ごしていたんだろうと思いを馳せました。


ちなみにこのお家猫飼ってるみたいで窓から見えました😂🐈‼️さすが(?)

薄っすら寝てる猫見えるでしょうか。

人様のお家をパシャパシャすみません!

(日本文学を専攻していた友人より)
引きこもりがちになった漱石を心配した大家のおばさんが「自転車でも乗ってみたら?」と漱石に勧め、一生懸命自転車の練習したけれど、全然乗れなかったとか🚲笑 大人になって自転車の練習難しそうですね…。
その他こんな情報も
『漱石日記』より
「昨夜6時半(1901年1月22日)、女皇(ヴィクトリア女王)オズボーンにて死去す。弔いの半旗掲げられけり。街、みな喪に服せり。余もまた黒きネクタイを締め、異国の臣民ながら弔意を表さんとす。余に黒手袋を売りし店の男、「新世紀の開始、甚だ幸先悪し」と嘆く」

この10日後(2月2日)、漱石は宿(下宿先)の主人とともに、ロンドンからウィンザーへと女王の棺を運ぶ葬列を見物に出かけたらしい

『漱石日記』より
「宿の主人、余を肩車に乗せてくれたり。漸くにして行列の胸以上を見る。柩は白に赤を以て掩われたり。国王、ドイツ皇帝等随う」

ヴィクトリア女王の葬儀のタイミングでイギリスに居たとは。また肩車をしてくれた宿の主人、優しいですね。私がイメージする漱石はおじ様ですが、当時は33歳。若いですね。ほぼ同い年です。

約15年ぶりに、『こころ』や、作品を読もうかな、と思いました。

珍しくイギリスっぽい生活情報を記載しました。
楽しんでいただけたら幸いです。

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